第7章『剥がれゆく前髪』そして五人の輝き
「……終わった、のか?」
液晶画面から放たれる青白い光が、部屋の隅に積み上げられた空の栄養ドリンクの瓶を寒々しく照らしている。
一ノ瀬財閥が誇る超高層セキュリティビルの最上階。その一室で、神城蓮はキーボードを叩いていた指をようやく止め、深く椅子の背もたれに体を預けた。
画面に表示されているのは、刻一刻と数字を刻んでいた「ネット一般投票」の特設カウントダウンタイマー。それがちょうど【00:00:00】を示し、完全にロックされた瞬間だった。
「当たり前でしょう。私が『そこまで』と決めた時間は、一秒たりとも extension(延長)を許さないわ」
部屋の主であり、この狂気的な国家規模のオーディションの最高権力者――一ノ瀬葵は、特注の革張りソファに優雅に足を組み、冷え切った紅茶のカップをソーサーに戻した。
書類審査で一万枚の履歴書をシュレッダーにかけてから数週間。葵が「下々の民にも拝ませてあげるわ」と高飛車に解禁したネット投票は、葵の想定を遥かに超える大熱狂の渦を生み出していた。
大手芸能事務所による組織票の不正操作、それに対する葵の生配信での大粛清、さらに某週刊誌『レガリア』による悪質な報復報道……。数々のスキャンダルをすべて自らの「気高きプライド」と蓮の「天才的なハッキング・セキュリティ技術」でねじ伏せてきた結果、このオーディションは今や日本中の注目を集める超巨大コンテンツへと化していたのだ。
「で? 奴隷。集計結果は出たの? 私の世界に相応しい、選りすぐりのイケメンたちの顔ぶれを早く見せなさい」
「奴隷って言うな。……今、最終のバグチェックとIP重複の排除が終わった。画面に出すよ」
蓮が手元のスイッチを押すと、部屋の壁一面を覆う巨大なプロジェクターに、集計グラフと上位陣の顔写真が映し出された。
「一般投票を経て、残ったファイナリストは予定通り……个性豊かな『5名』だ」
画面を見上げる葵の瞳が、鋭く、そしてどこか満足げに細められる。
「ふん……。まあ、妥当なラインナップね。私の審美眼に狂いはなかったということかしら」
そこに並ぶ5人の男たちは、まさに現代の「美」の縮図とも言える、圧倒的な存在感を放つ者たちばかりだった。
◇
「まず、堂の一位は言わずもがな、ね」
葵が贅沢なネイルの施された指先で画面の最上部を指す。
そこに映るのは、文句のつけようがない完璧な黄金比率の顔立ちをした青年――皇類、20歳。
「大手芸能事務所の組織票を剥ぎ取ってなお、純粋な一般票だけでこの数字よ。さすがは現役の売れっ子プロモデルといったところかしら。……まあ、裏で何を企んでいるかは別として、ね」
葵はふっと鼻で笑った。組織票の不正を暴かれた際、彼は「僕は何も知らなかった。ただ、葵様の世界にふさわしい男になりたかっただけです」と、カメラの前で完璧な涙を流してみせた。そのあざといまでの美貌に、世の女性たちはさらに狂わされたのだ。葵は彼の「私の財力と名声を狙う」というギラついた本性を、書類審査の段階から見抜いている。だが、表舞台に立たせるコマとしては申し分ない。
「次、二位。SNSのバズから一気に駆け上がってきた、この『天才』」
次に蓮がポインターを合わせたのは、如月涼、16歳。
まだあどけなさの残る、ピュアで素朴な顔立ちをした少年だ。姉に勝手に応募されたという彼は、オーディション中の歌唱審査の動画がTikTokやX(旧Twitter)で拡散され、一夜にして「奇跡の歌ウマ少年」として社会現象になった。
「本当に、下々の民の口コミ力には驚かされるわ。でも、彼のあの無垢な歌声は、私の荒んだ心をほんの少しだけ amuse(退屈しのぎに)してくれたことは認めてあげる」
「荒んだ心ねぇ……。毎日俺をこき使って楽しそうにしてる癖に」
「何か言ったかしら? 奴隷」
「何でもありません、お嬢様」
蓮はため息をつきながら、三位の人物に画面を切り替えた。
黒崎駆、19歳。
一見するとぶっきらぼうで、カメラを睨みつけるような鋭い眼光。他の煌びやかな参加者たちとは違い、どこかくすんだ、しかし決して折れない雑草のような強さを持つ苦学生だ。
「……黒崎駆。病気の妹の治療費のために賞金を狙う、ね」
葵はそのプロフィールをじっと見つめた。
ネットでは「不器用だけど家族想いのヤンキー系イケメン」として、熱狂的な固定ファンを味方につけている。世間はこういう「背負っているものがある男」のストーリーに弱い。
「私の前でも一切媚びを売らない無礼者だけど……その目に宿る執念だけは、評価してあげなくもないわ。中途半端な覚悟でこの一ノ瀬葵の伴侶(候補)を名乗られても困るもの」
そして、画面にはさらに2人の実力派イケメンが並んでいる。
一人は、大人の色気を纏った若き実業家。もう一人は、王道を征く正統派の清純系大学生。それぞれが数千、数万の応募者の中から、一般の荒波を乗り越えて生き残ってきた猛者たちだった。
「これで、最高の5人が出揃ったわけだ」
蓮は画面を閉じ、部屋の照明を元の明るさに戻した。
「ああ、本当に。不潔なものや不細工が徹底的に排除された、私の為のファイナリストたち。完璧よ」
葵はソファから立ち上がり、窓の外に広がる東京の夜景を見下ろした。
だが、その完璧なリストを前にしても、彼女の胸の奥には、ほんの小さな「引っかかり」が残っていた。
◇
「……よし、これで俺の今日の仕事は終わりだな。メインサーバーの監視ログをセットして、俺は仮眠室で寝る。じゃあな、葵」
蓮が伸びをしながら、椅子の背に干してあったヨレヨレのパーカーを羽織ろうとした、その時だった。
「待ち nasai、蓮」
葵が鋭い声で呼び止める。
「……何だよ、まだ何か不具合でもあったか?」
「そうじゃないわ。あなた、さっきからずっと思っていたのだけれど……」
葵はコツコツとヒールの音を響かせながら、蓮のデスクへと近づいていった。
蓮は不思議そうに足を止め、怪訝な顔で葵を見つめる。
いつもの蓮だ。
前髪が異常に長くて、両目がほとんど隠れてしまっている。
おまけに、度の強そうな、ブルーライトカットの分厚い作業用メガネを常にやぼったくかけている。
服装はいつも一ノ瀬財閥の裏方スタッフが着るような、機能性重視の冴えないグレーのジャージやパーカーばかり。
葵にとって、彼は幼馴染でありながら、今回のオーディションにおいては完全に「空気」であり、「裏方(奴隷)」であり、自分のワガママを処理するためだけの存在のはずだった。
書類審査の徹夜作業の時、葵はふと、「蓮は私の厳しい基準(短足・不潔・口臭不可など)をすべてクリアしている」という、恐ろしい事実に気づいてしまった。だが、あの時は「まあ、顔は妥協ギリギリのスレスレよ」と自分を納得させたはずだった。
しかし、数週間に及ぶ過酷なネット投票の運営、そして外部からのサイバー攻撃を24時間体制で防ぎ続けてきた今の蓮は――どこか、おかしかった。
「何だよ、葵。俺の顔に何かついてるか?」
「……前髪。長すぎるわ。邪魔だと思わないの?」
「あー、そろそろ切りに行こうと思ってたんだけど、お前が次から次へと無茶振りするから時間がなくてさ」
蓮は困ったように笑いながら、右手で無造作に長い前髪を掻き上げた。
――その、瞬間だった。
◇
掻き上げられた前髪の隙間から、それまで隠されていた蓮の「素顔」が、一瞬だけ露わになった。
作業用メガネの奥にある瞳は、寝不足のはずなのに、驚くほど澄んでいた。切れ上がった目元と、すっと通った高い鼻梁。徹夜続きで少し痩せたせいか、フェイスラインは彫刻のようにシャープで、葵が「完璧」と称賛した皇類や、他のファイナリストたちと比べても、微塵も引けを取らないほどの……。
(え――?)
葵の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
いつもは「冴えない裏方の男」というフィルターを通して見ていたはずの幼馴染の風貌が、光の加減か、あるいは過労による葵の幻覚か。
ほんの一瞬、信じられないほどの『美形』に見えてしまったのだ。
「あ……」
「ん? どうした? 本当に体調でも悪いのか? 顔が赤いぞ、葵」
蓮は前髪を戻し、心配そうに葵の顔を覗き込んできた。
前髪が戻ったことで、いつもの「冴えない裏方・蓮」に一瞬で戻る。しかし、葵の脳裏に焼き付いたその残像は、容易に消えてはくれなかった。
「な、何でもないわよ! バカ蓮! 誰の顔が赤いっていうのよ!」
葵は思わず一歩後ろに飛び退き、胸元を両手で押さえた。
心臓がうるさいくらいに脈打っている。
「なんだよ、怒るなよ。悪かったよ」
「ふん! あなたみたいな空気男の顔を真面目に見る筋合いなんてないわ! さっさと仮眠室でもどこでも行き nasai!」
「はいはい。じゃあお言葉に甘えて。お前も早く寝ろよ、明日からは……いよいよ『合宿審査』なんだからな」
蓮は苦笑しながら、今度こそ部屋を出て行った。
重厚な自動ドアが静かに閉まり、部屋には再び葵一人だけが残される。
◇
「……あり得ないわ。あり得るはずがないでしょう、あんなの」
葵は自分の両頬をパチンと叩いた。
神城蓮は、ただの幼馴染だ。私のワガママに振り回されるために存在する奴隷だ。
ルックスだって、ギリギリ妥協スレスレのレベル……。
本気を出したらイケメンに見えなくもない、だなんて。そんな都合のいい少女漫画のような展開、この私が認めるわけがない。
「私のために選ばれるべきは、日本中から選ばれた最高の1名。あの5人の中から選ぶのよ……」
葵は自分に言い聞かせるように、もう一度プロジェクターの画面を見つめた。
皇類、如月涼、黒崎駆……。それぞれが全く異なる輝きを放つ、洗練されたファイナリストたち。
しかし、彼らの写真を見つめれば見つめるほど、なぜか先ほど一瞬だけ見えた、蓮の「前髪の向こう側の瞳」が重なってしまう。
「あーもう! イライラするわね!」
葵はシルクの髪を大きくかき乱すと、ソファに倒れ込んだ。
ネット投票という第一の地獄は終わった。世間は大熱狂の渦の中にいる。
だが、ここからが本当の審査だ。
次なる舞台は、一般の目から隔離された、葵の所有する豪華客船――あるいは、外界から閉ざされた孤島のリゾート。
3日間に及ぶ【最終合宿審査】。
そこで彼らの「食事のマナー」「トラブルへの対応力」、そして何より葵が最も重視する「圧倒的な清潔感」を、間近で徹底的にチェックしてあげる。
男たちのメッキが剥がれ落ちるか、それとも本物の輝きを見せるか。
「……見ていなさい。私が本物のイケメンというものを、証明してあげるわ」
葵は夜空に向かって、いつもの高飛車な笑みを浮かべた。
しかし、その胸のざわめきだけは、次の舞台へと確実に引き継がれていくのだった。




