第14章『泥を払った女王の凱旋』そしてツンデレの誓い
「黒崎駆! あんたよ!!」
一ノ瀬葵の叫びがスタジオの音響を震わせた瞬間、お台場の巨大スタジオは文字通り、歓声と熱狂の爆風に包まれた。
天井から降り注ぐ金色の紙吹雪が、まばゆい照明の光を浴びてキラキラと輝き、ステージを美しく彩っていく。鳴り響くファンファーレの中、カメラが一斉に勝者となった黒崎駆の姿を大画面に映し出した。
駆は、自分が選ばれたという現実を前にしても、大声をあげることはなかった。ただ、一瞬だけ驚いたように目を見張ったあと、深く、長く、息を吐き出した。彼の拳がギチギチと音を立てるほど強く握りしめられる。
その瞳に、じわりと熱いものが浮かぶのを、葵は見逃さなかった。
(……これで、アイツの妹は助かるのね)
葵は心の中でそっと呟き、胸の奥に灯った確かな満足感に微笑んだ。
一方で、敗北した皇類は完璧なプロモデルの仮面を完全に崩し、信じられないという表情で頭を抱えてステージにへたり込んでいる。如月涼は「おめでとう、黒崎くん!」と、自分のことのように満面の笑みを浮かべ、駆の背中をバシバシと叩いていた。
ネットのタイムラインは、もはやスクロールが視認できないほどの超高速で、賞賛と感動のコメントを吐き出し続けている。
【黒崎くん優勝キターーーー!!】
【一ノ瀬さん、マジで見る目あるわ。顔だけじゃなく本物の男を選んだ】
【妹さんの治療費、本当によかったね……涙が止まらない】
【チャラチャラしたモデルじゃなくて、魂のイケメンが勝つオーディション、最高すぎる】
日本中が感動の渦に巻き込まれる中、葵は贅沢な金色の目録――「金一億円」と書かれたパネルを、優雅な足取りで駆の前へと運んでいった。
「さあ、受け取りなさい、黒崎駆」
葵はツンと顎を尖らせ、いつもの高飛車な女王の笑みを浮かべてみせた。
「あんたのその泥臭い執念に、一ノ瀬財閥の十億円の私財の一部を分けてあげるわ。この一億円で、さっさとその貧乏くさい身なりを何とかして、病気の妹さんを最高の病院に入れて差し上げなさい!」
駆は、差し出された目録を傷だらけの大きな手でしっかりと受け取った。そして、葵の目をまっすぐに見つめ、ぶっきらぼうながらも、芯の通った声で言った。
「……ああ。ありがとな、お嬢様。あんたのその理不尽なワガママに付き合った甲斐があった。この恩は、一生忘れねえ」
「ふん、当然よ! 私を誰だと思っているの?」
葵はふいっと顔を背けたが、その頬は嬉しさに少しだけ赤く染まっていた。
生放送のカメラが、そんな二人のドラマチックなやり取りを感動的に捉え、番組は最高潮の熱気の中でグランドフィナーレを迎えたのだった。
◇
深夜。番組の生放送がすべて終了し、あれほど喧騒に満ちていたスタジオは、撤収作業を行うスタッフたちの静かな足音だけが響く空間へと戻っていた。
メインステージの端、照明が落とされた薄暗いひな壇の影に、葵は一人で腰掛けていた。
ティアラを外し、長い髪を少しだけ崩した彼女は、自分の靴の先をじっと見つめている。
十億円を投じた大騒動が、ついに終わった。美しくないものを排除し、完璧な男を見つけるための旅。結果として、自分は精神的に一回り成長したという自負があった。けれど、それと同時に、胸の真ん中には、ぽっかりと大きな穴が空いたような寂しさが広がっていた。
「――お疲れ様でした、お嬢様。完璧なグランドフィナーレでしたよ」
背後からかけられた聞き慣れた声に、葵はハッとして振り返った。
そこに立っていたのは、包帯を巻いた右手をポケットに突っ込み、新調した実用性重視の作業用メガネを指で押し上げる幼馴染――神城蓮だった。
「蓮……。あんた、片付けは終わったの?」
「へいへい。メインサーバーのシャットダウンと、一般投票の最終データのアーカイブ化まで、すべて奴隷らしく完璧にこなしてきましたよ。これで僕の『強制運営チーフ』としての任務も無罪放免ってわけですね」
蓮はいつものように、少し呆れたような軽い調子で笑った。
その態度を見て、葵の胸の奥にあるツンデレの防衛本能が、またしても激しく暴れ始めた。
(何よ……。あんたは、本当にそれだけなの?)
ネットのバズり画面を思い出す。日本中の下々の民が「隠れイケメン」と大騒ぎした、あの蓮の素顔。昨夜、暗闇の中で自分を命懸けで守ってくれた、あの強くて優しい手の温もり。
目の前にいるこの男こそが、自分の掲げた「短足・不潔・口臭不可」という超ハイレベルな基準をすべて完璧にクリアしている、本物の超イケメンなのだ。
けれど、蓮は自分から何かを言い出す風でもなく、ただ「裏方」として、一歩引いた場所で佇んでいる。その境界線が、葵にはどうしようもなくもどかしかった。
「……蓮。あんた、私が何で黒崎駆を優勝させたか、本当に分かってる?」
葵はひな壇から立ち上がり、ドレスの裾を強く握りしめながら、蓮の前に一歩踏み出した。
「え? そりゃあ、あいつの根性と人間性が、お嬢様の高すぎる基準の裏にある『本物の美しさ』に合格したからでしょう? ネットのウケも最高でしたし、一ノ瀬財閥のイメージアップとしても完璧な選択でしたよ」
「違うわよ、この大バカ!」
葵は声を荒らげ、蓮の胸元を両手でドスッと小突いた。蓮は「うおっと」と小さくよろめく。
「私が……私が、あの場で、あんたの名前を呼べるわけないでしょうが!!」
「え……?」
蓮が初めて、前髪の向こうの目を丸くして硬直した。
「あんた、自分がネットでどれだけ大騒ぎされてるか分かってないの!? 『隠れイケメン』だの『裏方の男が一番尊い』だの、下々の民たちが勝手にあんたを品定めして、崇め奉ってるのよ! 昨日の今日で、私がステージの上であんたを勝者に選んでみ y なさい。オーディションの私物化だの、裏口当選だのって、またレガリアみたいな悪質な連中に騒がれるに決まってるじゃない!」
葵は顔を真っ赤に染め、息を荒くしながらまくしたてた。
「黒崎を優勝させたのは、アイツの覚悟が本物だったからよ。それは事実。……でもね! あんたをあの汚い有象無象のカメラの前に引っ張り出して、私の『伴侶候補』として日本中に公式発表するなんて、絶対に嫌だったのよ!」
「お嬢様……それって、もしかして僕のために……」
「勘違いしないでよね!!」
葵はブンブンと首を振り、蓮の言葉を強引に遮った。彼女のプライドが、これ以上の本音の露呈を必死に拒絶している。
「私は! 一ノ瀬葵よ! 超絶美少女で、大財閥の令嬢なの! 今の私は、ちょっとワガママがすぎて、精神的に成長途中なだけ。そんな私が、今のままであんたみたいな冴えない裏方と並んだら、格好がつかないでしょうが!」
葵は、ツンと胸を張り、月光が差し込むスタジオの真ん中で、最高のツンデレの笑みを浮かべてみせた。
「だから……今回は、お預けよ! 黒崎たちには一億円を渡して、ひとまず解放してあげる! 私はね、これからもっと勉強して、もっと自分を磨いて、世界中の誰もがひれ伏すような『もっとまともな女』になってあげるわ!」
彼女は蓮の作業用メガネのブリッジを、人差し指でクイッと手荒に押し上げた。至近距離で、蓮の無臭で爽やかな息が葵の顔に触れる。
「そうして、私が完璧に『もっとまともな女』になってから……あんたたちを、改めて迎えに行ってあげるわ! ありがたく思いなさい、私の特別な奴隷!」
それが、一ノ瀬葵という少女が、このイケメンオーディションを通じて、精神的に一回り成長して辿り着いた、彼女なりの最大限の愛の告白――「ツンデレエンド」だった。
蓮は、赤くなって胸を張る葵の姿をじっと見つめていたが、やがて、観念したように、ふっと優しく、そして心底愛おしそうな笑みをその素顔に浮かべた。
「……へいへい。どこまでも手強いお嬢様ですね。分かりましたよ。あなたが『もっとまともな女』になるまで、いくらでもそのワガママの裏方として、付き合ってあげますから」
「ふん、よろしいわ!」
紙吹雪が静かに床に積もる無人のステージで、二人の影が月光に照らされて、寄り添うように長く伸びていた。
地獄の書類審査から始まった大騒動は、こうして、一人の少女の精神的な成長と、途切れることのない幼馴染の絆を繋ぎ止めて、幕を閉じたのだった。




