第12章『舞台裏の残像』そして女王の焦燥
生放送のボルテージは、誰もが制御できない次元へと突入していた。
お台場の巨大メディアセンターに設置された巨大な電光掲示板の数値は、目まぐるしく更新され続け、タイムラインには毎秒数万件のコメントが濁流のごとく流れ込んでいく。
スタジオ中央のスポットライトを浴びるファイナリスト三名――皇類、如月涼、黒崎駆。彼らの自己アピールが終了し、ネット投票の締め切りが刻一刻と近づく中、スタジオを支配する重圧は一ノ瀬葵の華奢な肩へと重くのしかかっていた。
「ふう……。みんな、本当にいい面構えをするようになったじゃない」
葵は、きらびやかな漆黒のドレスの裾をエレガントに翻し、メインステージの特設ひな壇へと腰を下ろした。
だが、その胸中はかつてないほどの激動に見舞われていた。
昨夜の不審者侵入事件。その凄惨な暗闇の中で、自分を本当に身を挺して守ってくれたのは、一体誰だったのか。
恐怖に震える自分を、最も泥臭く、最も危険な刃の前に立ちはだかって救い出してくれた男の背中が、どうしても脳裏から離れない。
(……神城蓮。あいつ、昨日の今日で、ちゃんと動けているのかしら)
葵はインカムをそっと指で押さえ、副調整室の「奴隷」へと思いを馳せる。いつもは「顔は妥協ギリギリ」と切り捨てていたはずの幼馴染。しかし、昨夜見た彼の、前髪の向こう側の冷徹で美しい素顔と、自分を匿う手の温もりが、今も皮膚の裏側に焼き付いて消えない。
その時だった。
スタジオの空気を一変させる「放送事故」が勃発したのは。
「――おい! スイッチャー、何やってる! 映像が乱れてるぞ!」
副調整室からチーフディレクターの怒号が響くのと、スタジオの巨大LEDスクリーン、そして日本全国に配信されている一般投票サイトのトップ画面が切り替わったのは、完全に同時だった。
突如として、一般投票の特設サイトの背景映像に、本来映るはずのない「副調整室の生カメラ」の映像が、システムのバグによって一瞬だけ、誤って映り込んでしまったのだ。
時間にして、わずか数秒。
だが、そこに映し出されたのは、あまりにも劇的な「裏方の姿」だった。
無数の電子モニターの青白い光に照らされながら、凄まじいタイピング速度でキーボードを叩き、システムを復旧させている一人の少年の横顔。
乱れた長い前髪の隙間から覗く、鋭く涼やかな目元。
手元を照らすランプの光が、実用性重視の作業用メガネの奥にある、恐ろしいほどに整った鼻筋と、引き締まった輪郭を立体的に浮かび上がらせていた。
さらに、キーボードを叩く彼の右手には、昨夜の戦いを物語る痛々しい白い包帯が巻かれている。
冷徹な技術者としての圧倒的なオーラ。そして、月光の下の戦士を思わせる、隠しきれない本物の美貌。
パツン、と映像は元の投票グラフへと切り替わった。
だが、そのわずか数秒の「誤爆」を目撃した数百万人のネット民たちが、静まり返るはずがなかった。
インターネットのタイムラインが、それまでのファイナリストたちの議論をすべて消し飛ばすほどの勢いで、一瞬にして大爆発を起こしたのだ。
【待って、今の一瞬映った裏方の男だれ!?!?】
【え、めちゃくちゃイケメンじゃない!?!?】
【あの黒髪メガネの技術者、ヤバい。ドストライクすぎる】
【右手の包帯なに!? 昨日のリゾートの事件で戦ってたのって、もしかしてこの人!?】
【隠れイケメンじゃん!! なんでこの人がオーディションに出てないの!?】
【一ノ瀬財閥の裏方、レベル高すぎだろ……】
「隠れイケメン」「裏方の男」というワードが、瞬く間にSNSのトレンドの最上位へと駆け上がっていく。ネット民たちの悪ノリと熱狂は止まらず、投票サイトのコメント欄は、蓮の正体を突き止めようとする書き込みで埋め尽くされていった。
「なっ……何よ、これ……!?」
ひな壇の上で、手元のタブレットでタイムラインを確認していた葵は、驚愕のあまり椅子の背もたれから身を乗り出した。
画面を埋め尽くす「蓮」への絶賛と、プチバズりの嵐。
あんな、いつも自分の後ろで猫背になって、文句ばかり言っていた冴えない奴隷が、日本中の下々の民に見つかり、あろうことか「超イケメン」として崇め奉られているのだ。
「ちょっと、何でアイツがバズってるのよ! 私のオーディションよ!? アイツはただの裏方で、私の奴隷なのよ!」
葵の胸の奥から、今までに経験したことのない、激しい「焦り」と「独占欲」に似た感情が湧き上がってきた。
世界で自分だけが知っていたはずの、あの蓮の「本気を出せばイケメンに見えなくもない素顔」が、日本全国の有象無象の目に晒されてしまった。その事実が、どうしようもないほどの悔しさと動揺を彼女に植え付けていく。
『あんなの、顔は妥協ギリギリよ! ただの空気よ!』
心の中で必死にそう叫び、思いとどまろうとする葵。
だが、脳裏をよぎるのは、このオーディションが始まってからの、地獄のような日々の記憶だった。
全国から集まった一万枚の応募書類。
「私の世界に不潔なものは不要」と言い放つ自分の、極悪とも言える超ハイレベルな基準に合わせ、寝ずに、嫌な顔一つせず、毎日文句を言いながらも、一緒にすべての書類を仕分けてくれたのは誰だったか。
自分の理不尽なワガママをすべて受け止め、支え、最後の最後まで自分の味方でいてくれたのは、一体誰だったのか。
「……蓮。あんた、本当に……」
ステージ上のファイナリストたちの輝きが、葵の瞳の中で微かに霞んでいく。
一般投票のサイトがこれほどまでに大熱狂しているのは、ファイナリストたちの魅力だけではない。その裏で、すべてを完璧にコントロールし、自分を輝かせるために文字通り身を挺して支えてくれた、幼馴染という「最大の存在」がそこにいたからだ。
葵はハッと気づかされる。
自分が求めていた「最高の伴侶」の条件を、目の前の誰よりも完璧に満たしている男が、最初から自分のすぐ隣にいたのだということに。
「投票、あと三十秒で締め切ります!」
フロアディレクターの声が響く。
タイムラインの熱狂と、蓮へのプチバズりの余韻が渦巻く中、日本中のすべての視線が、ついにマイクを握りしめる審査委員長・一ノ瀬葵へと集まっていく。
葵の心臓は、壊れた時計のように激しく脈打っていた。悔しさと、動揺と、そして言葉にできない焦燥感を抱えながら、彼女は運命のステージの最前線へと、ゆっくりと歩みを進めるのだった。




