27. 走る、走る
資料館の裏手に回り、川伝いに森へ駆け込む。昨日出てきた道を逆に進むのだ。
踏みつけられた砂利が擦れる。ゆっくり歩いていた時とは比べ物にならないほど大きな音だ。爪先に弾かれた小石が川へと落ちて水飛沫を上げたが、秋山は振り返りもしなかった。
川沿いの道を行く秋山の頭上は開けている。晩夏の太陽が遠慮なく頬を照らす。きっとこれなら、師走でもじゅうぶん明るいだろう。
沢をまたぐように張り出した倒木を乗り越える。靴の下で乾いた樹皮が軋む悲鳴を上げる。
ただでさえ走りにくい砂利交じりの山道を、頂に向かって登っているのだ、さして肉体派でもない秋山の息はあっという間に上がった。ゼエゼエと荒い息だけが森に響く。
思わずえづきそうになるのを、つばを飲んで抑え込んだ。小枝を踏みしめ、砂利を蹴散らし、走る。走る。走る。
やっと崖が見えてきて、秋山はスピードを落とした。脚がガクガクする。落ちていた枝を拾うと、昨日タヌキ穴を見かけたあたりの枯れ枝を片っ端からかき分けていく。
「……あった」
ぽっかりと開いた暗い虚。ほんの少し怖気たが、迷っている暇はない。狭い入り口を、肩をねじるようにして身をねじ込むと、中は意外と広い。ひんやりとした湿気が肌を覆った。
幸いタヌキは今不在のようだが、生臭い獣臭がむっと鼻腔を衝いた。
携帯電話を開き、暗い足元を照らしながら手探りで進む。触れた壁はひんやりと堅かった。この虚の正体はひび割れた岩盤の隙間であるようだ。滴る雫がぬるり、と指先を濡らした。
タヌキの巣材らしい枯草を踏んでしまい、土埃と獣臭が舞い上がった。驚いた拍子に脛を強かにぶつけ、無言で身悶える。ここから先は段差になっているようだ。腕と足だけで体を支えながら、慎重に登っていく。
水のにおいと瀑声が大きくなった。平べったい穴の口から光が漏れている。入口よりもさらに狭いが、服を汚さぬように躙り出た。
「うぉっ……。あっぶね。ここに出るのかよ」
秋山が顔を出したのは、張り出した岩棚の上。昨日自然のセツリとふざけていた場所だ。自然にできた亀裂が滝の裏を通り、柔らかい粘土層が年月で削れ、硬い岩盤だけが残って出入口となっていたようだ。
空でも飛んで正面から撮影でもしない限り、穴の存在には気付きようがない。
恐る恐る覗き込むと、眼下はまさに滝壺。ここから落ちれば無事では済むまい。生理的な恐怖で脚がジーンと痺れた。
へっぴり腰で岩棚の上に立つ。岩棚から崖上までは一メートルほどしかないようだ。崖縁に手をついて体を持ち上げる。足を引っかけた岩がボロリと剥がれて肝が冷えたが、なんとか持ち直した。
「よい……っしょっと。マジ地面!最高!」
確かな地面に感謝の意を表する。抜け道は本当にあった。鹿鳴館のような厳かな洋館が、すぐ目の前で黄昏に染まっている。
その前に、ポケットに手を入れた男が、広い背中をこちらに向けていた。
──ゆらり。こちらを向いた。
「よお。きたのか」
思春期の少女が熱をあげそうな、爽やかだが少し陰のある笑顔。
「十五分で、着きました」
息も絶え絶えに報告する。
「そうか、俺は十分だった。政治家は足が資本だからな」
そこにいたのは、朝倉遼だ。




