18. 自然のセツリ
「うわ……これは」
現れた絶壁に秋山は思わず足を止め、困惑した表情を見せた。
高さ四、五メートルはあるだろうか。
過去に地滑りでもあったのか、切り立った壁は自然のものとは思えないほど直線的で、生々しい断面を見せている。崖面のほとんどは下草や苔で覆われているが、ところどころバウムークーヘンのような地層を覗かせていた。垂直方向には節理
と呼ばれる亀裂が節ばった指のように走っており、まるで神様の掌のようだ。
「これが自然のセツリってやつだな」
ひとり駄洒落を呟いたが、瀑声にかき消された。
上流から流れてきた沢の水は拠り所を喪って急激に落下し、ちょっとした滝のようになっている。特別に大きい滝という訳ではないが、長い年月をかけて削られたのか水の流れる所が大きくV字に抉れていて、あちこちに大きく張り出した岩棚がある。オーバーハングだ。
かき混ぜられた流水はそこにぶつかるたびに白く泡立って盛大に飛沫を飛ばしており、秋山は肌がしっとりと濡れるのを感じた。
崖は山頂に向かうほど大きく、下るにつれて緩やかに小さくなっているようだが、麓のほうまで行かないと迂回できそうにない。
「どっか、登れるとこあるかな」
秋山は手掛かりとなりそうな出っ張りや岩肌を探してキョロキョロとあたりを見回した。
ちょうど二メートルぐらいの位置に紫灰色の岩が露出しているのが見えた。あそこに飛びつければ、その上で地面からはみ出している木の根を掴めるかもしれない。さっそく斜面に足をかけると、根の浅い苔と下草が土ごとずるりと剥がれ落ちてつんのめりそうになる。
ならばとジャンプで岩に飛びつくものの、岩そのものがボコリと外れて落下してきた。
「うわっ! あっぶね」
飛び退いて岩は避けたものの、同じ層から砂礫もバラバラと崩れ落ち、土埃とともに降り注いで秋山のTシャツを汚した。
すると、横手にあった枯草の茂みからガサガサという物音がした。秋山が音のした辺りの茂みを掻き分けてみると、割合大きな洞穴が現れた。
覗き込むと暗闇で小さな黒い目が光っていて、キューンと驚いたような鳴き声を上げた。岩の落ちる大きな音で巣穴にいたタヌキを驚かせてしまったらしい。秋山は「ごめん」と謝ると茂みを元に戻した。
改めて見ると絶壁は酷い有り様だった。苔は剥がれ、岩は落ち、自分の靴跡がべったりと付いている。秋山自身も泥だらけだ。想定以上に地肌が緩い。これでは痕跡を残さずに崖を越えるのは不可能だろう。
じゃあ、滝ならどうだ。秋山は半ば自棄になって服を脱いだ。Tシャツとズボンを脱いで岩の上に放り投げると、ボクサーパンツと靴だけの姿になる。気合を入れて、夜空のような紺碧を湛えた滝壺にざぶりと飛び込んだ。
「ううぅ~、冷たっ」
滝の水は沢よりもさらに一段冷たい。滝の勢いが思いのほか強く、水圧で押し戻されそうになる。頭から降ってくる滝水のせいで息継ぎのタイミングが難しい。水の隙間から滝上までの距離を測ろうとなんとか視線を上げるが、張り出した岩が邪魔で崖頂を見ることはできない。秋山は黒光りする岩に指をかけた。
ぬるり。
ぬめった岩肌に指が滑り、バランスを崩して身体が沈んだ。頭上から容赦なく滝水が降り注ぐ。
「無理! ぜってぇ~に無理だ!」
どうやっても、この崖を越えられそうにない。誰もいない森でひとり、ずぶ濡れになった秋山は声を上げて笑い転げた。




