3.
翌日は展示会の最終日だった。
(今日で最後、か……)
店構えは同じなのに、なんとなく昨日までとは違う雰囲気を感じていた。
エミールがいつも通りに裏口から入っていくと、ロビーに数人のカメラマンたちがたむろしていた。
「おはようございます、今日も宜しくお願いします」
「おお、期待の若手くん。最終日も頑張ろうな」
会釈するエミールに笑いかけ、すっかり打ち解けた皆がジョーク混じりに声をかけてくる。
「昨日来てくれてた君のお母さんと妹さん、すごい美人だったな。驚いたよ」
「ああ、それはどうも…」
「ぜひモデルになってほしいな。なあ、交渉はどこの窓口を通せばいいんだい?」
「ええと…母はそういうのが苦手で……すみません」
「サイン会の開催はいつだ?ポスターの写真は俺が撮ってやろうか?」
「ふふ、僕は芸能人じゃないですよ」
そんな会話を奥で聞いていた人影がゆっくりとエミールに近寄ってきた。会期中、エミールのことを何かと気に留めてくれたジャン・ルイだった。
「まったく、お前たちときたら。彼を困らせることしか言わないんだな」
「いやあ、あの美人から産まれたんならエミールがこんなに美形なのも納得だったよ。冗談ではなく、本当にモデルをお願いしたいくらいだ」
話を聞いていたエミールは苦笑いを浮かべて立っていた。ジャン・ルイはそんなエミールの肩をポンと軽く叩き、
「お母さんも、君の成長を喜んでくれている様子だった。年齢や経験的には私たちの後輩とはいえ、君の撮影テクニックや天性のセンスならいつ追い越されても不思議じゃない。お互い、良い刺激を与えたり受けたりしながらやっていこうじゃないか」
「ありがとうございます。今後も皆さんから盗める技術は遠慮せずに盗みますから、宜しくお願いします」
茶目っ気混じりのエミールの言葉に、他の面々は目を丸くしたり、大笑いする反応をみせた。
「お前、言うなあ。こりゃあ、本当に負けてられないな」
「そういうところも魅力なんだろうな。君は君の撮る写真と同様に、不思議な若者だよ」
最終日で緊張するかと思っていたが、こんな和やかな雰囲気にエミールは満足げに笑った。
一人での撮影では気づかなかった、仲間との触れ合いの心地よさ。展示会に参加して本当に良かったと思わせてくれた。
「さあ、みんな最後まで気を抜くなよ?何度も見に来てくれるお客もいるし、駆け込みでようやく見に来るお客もいる。我々の撮った写真の素晴らしさを、とことん聞かせてあげようじゃないか!」
ジャン・ルイが声をあげ、皆が「おおっ」と快活に応えた。普段は斜に構えているようなエミールも、つられて同じように自然に声を上げていた。
(最後まで、僕の撮った写真を楽しんでくれるお客のために)
珍しく頬を紅潮させながら、彼は満面の笑顔を見せていた。
「よお。また、来たぜ」
昼過ぎに現れたのは、数日前に来てくれたばかりのハリーだった。いつもながらの革ジャケットとTシャツ、革のパンツにエンジニアブーツという出で立ちだ。
来るとは聞かされていなかったので、エミールは「ええっ?」と声を出して驚く。
「なんだ?俺が来ちゃダメかよ?」
「あ、いや…そういうわけじゃ──」
しどろもどろになってしまったエミールは、どうするか考えあぐねる。
(困ったな、今日は確か彼女も…)
最終日にまた来るわ、と言い残して帰って行ったはずだ。
ハリーはおかまいなしにエミールの展示スペースに踏み込んでいく。エミールは歩み寄り、小声で訊く。
「ムッシュウ・ノワールたちは?もうハンブルクへ帰ったのかい?」
「ああ。2日ほどパリ観光をしてたけどな。仕事もあるし、イザワの学校もあるからそう長くはいられねえだろ」
「そうか。また何かの機会に会えたらいいね」
そう言いかけたエミールはふと脳裏に浮かんだことがあった。
「撮影旅行、か。もしかしたら一緒に行けるかもしれないな」
「あ?なんのことだ?」
ハリーが振り返って訊く。井沢が撮影に興味があるらしい旨を聞き、へえと行って口を歪ませる。
「そんで、今度はどこへ行くんだ?」
「詳しい日程はまだ決まってないけれど、クリスマス前にフィンランド入りして北極圏のとある村に行く予定なんだ」
「……北極圏、ね」
ハリーは少し考えるような素振りをみせ、フッと笑う。
「なあ。それ、俺も行っていいか?」
「…え?」
訊かれたエミールは意外そうに聞き返した。
「君、寒いところは苦手じゃなかった?」
「…まあな。けどよ、なかなかそんな場所に行ける機会はねえだろ。依頼も来ねえだろうし」
「それもそうか…君がいいなら僕は構わないよ。緯度が高いからいつも以上に防寒をしっかりする必要があるけれど」
ああ、とハリーは返した。
「イザワが来るんならノワールも来るだろう。クリスマス休暇を北極圏で、なんて言ったら、あいつらどんな顔するか楽しみだぜ」
茶化すように言うハリーに、エミールは軽く笑ってみせた。
「ハリー、年末の予定は無いのかい?いつもなら暖かい南の島に行くって言ってるのに」
「…ああ。今年は何も決めてねえんだよ。予定が向こうから飛びこんでくりゃいいけどな、なかなかそうもいかねえ。ロッセーリの方もからっきしでよ」
「ふうん…」
なんとなく気にはなったものの、エミールはそれ以上の言及を避けた。長い付き合いで、“依頼”についての質問はタブーになっている。
それよりも今ここに長居されることの方が問題だった。
「と、とにかくハリー、展示会が終わったらまた日を改めて事務所に来てくれるかい?その時に話を──」
慌てて言いかけた、その時。
「…何であなたがここにいるワケ?」
冷たいトーンの声が背後で響く。
エミールは“ヤバい…!”というように身を堅くして振り返った。
そこにいたのは腕組みをし、顎を少し上げて睨むようにしながら立っているイリヤだった。数日前に来てくれた時と同様に高級ブランドの服とバッグ、そしていつものハイヒール姿だ。
ハリーは振り向きざまに舌打ちし、眉間に皺を寄せる。
「いたら悪いかよ?親友の展示会に来て文句言われる筋合いはねえっての」
「そういう意味じゃないわよ。最終日に来るなんて聞いてなかったわ。ねえ、エミール?」
話を振られ、エミールは肩を竦めてみせた。
「僕だって今日ハリーが来るなんて知らなかった。彼はいつも突然やってくるんだ」
「……」
エミールの言葉を聞いている様子もなく、イリヤとハリーは苦々しい顔で向かい合っている。
「だいたいあなたは、相手の予定なんて気にせず行動するのがおかしいのよ。普通はお伺いを立ててから、でしょ?」
「…っるせえな。いちいち都合聞いてるほどヒマじゃねえんだよ俺は。いいじゃねえか、こいつの作品を何度見に来ようがよ」
「そういうところが自分勝手過ぎるって言ってるの。少しは迷惑考えたらどうなのよ?」
「ああ、そうかい。知り合いの晴れ舞台で喧嘩ふっかけるような女に何を言われようが、まともに聞きたかねえな」
ハリーはエミールをチラリと見遣り、目配せしてみせる。そしてイリヤの腕を軽く引っ張りながら、ドアの方へズカズカと歩き出した。
「ちょ、ちょっと…何するのよ!」
抗おうとするイリヤに対し、ハリーは顔を近づけてジロリと睨む。
「ここで騒ぎを起こす気か?外でならいくらでもバトルしてやるぜ。さあて、昼から飲める店探すとすっか!」
「な、何言ってるの?あなたと飲む気なんてないわよ!…ちょっと!」
そのまま連れ立って店を出ていく2人を、周りは唖然として見送っていた。
「なんだ、ありゃ」
「痴話ゲンカか?しかしすごい美人だったな。あの人も知り合いか?」
エミールはそう訊かれ、肩をすくめる。
「…普段は有能なルポライターなんですけどね。どうもあの男とは相性が合わないらしくて」
大きく息をつき、エミールは周囲に頭を下げた。
「僕の友人たちがお騒がせして、すみません」
「気にするなよ。あの男、ここでトラブるのはまずいと思って外に出てったんだろ?あんなチャラけた見た目でも、意外と常識があるヤツだと思うぞ」
「…そう、ですね」
エミールは曖昧に応えて苦笑する。確かにハリーの目配せはそういう意味合いだったと思える。口は悪いし悪態はつきまくる男だが、タイミングを見計らって引くときは引く。駆け引きが巧いというか、そういう“読み”は得意な男だ。
「なんにせよ、君の周りには面白い人間が揃ってるってことだ。それも君の人徳ってやつか?」
「さあ…どうかなあ…ハハ…」
和やかに笑う面々を前に、エミールは頭を搔きながら困惑顔で笑うしかなかった。
(今頃、どこの店で口撃バトルを繰り広げているのやら…まったく毎回毎回、僕の身にもなれって言うんだ)
内心ではハリーとイリヤにいらつきを隠せずにいた。彼は気疲れしたように、はあーっ…と大きなため息をついた。
午後6時過ぎ。
展示会が閉まる時間となり、最後まで残っていた客たちは名残惜しそうにカメラマンと会話してから帰って行った。
エミールの作品を気に入ってくれた客も数人が残っていたので、彼も最後まで真摯な態度で質問に答えていた。
「これからも応援しています」
その一言が心に染みて本当に嬉しく思えた。SNSで『いいね!』マークを押してくれる人たちも同じように応援してくれる思いなのだろうが、やはり実際に顔を合わせてその人の言葉で伝えられると感動が大きく、その差はまるで違っていた。
「ありがとうございました!」
店の前で客たちに手を振り、カメラマンたちは店内に戻った。表のシャッターが閉められ、がらんとしたホールを横切る。
「終わってしまったな」
「うん。だがとても楽しかった。またいつかやろうじゃないか」
「ああ。次はテーマを変えてやりたいものだな」
そんなことを話しながらカメラマンたちは皆、笑顔で帰り支度を始め出す。エミールも自分の荷物を取りに行きかけ、ふと静かになったギャラリーを振り返る。
見る人のいなくなった壁の写真たちが静かに、しかし確かにそこに“在った”。
(終わったんだ……)
(けれど、ここからまた始まるんだ。僕の次なる目標に向けての一歩が)
見渡して佇む彼の肩を、誰かが軽く叩いた。会期中、いろいろと世話を焼いてくれたジャン・ルイだった。
「エミール、お疲れさん。初の合同展示会はどうだった?」
「ええ、とても有意義なものになりました。知らなかったことも多くて勉強にもなりましたし、反省すべき点もいくつか見つかりました」
「そうか。では総合的には良かったと判断したんだね?」
「はい。ジャン・ルイさんには色々とお世話になりました。ありがとうございます」
深々と頭を下げて、エミールはそう言った。
ジャン・ルイは満足そうな笑顔になり、
「今度ぜひ君の作品を見させてくれ。風景もだが、今回出さなかった人物写真などもね。主催者も見たがっていたよ」
「ぜひとも宜しくお願いします」
笑顔で言うエミールは、完走し終えたランナーのように満足した様子だった。
「明日、撤収する時にまた話そう。皆、君と写真について話をしたがっていたからな。あれこれ訊かれると思うが、君も負けずに聞き返してやるといい」
「ええ。そういうのは得意です」
2人は笑いながらホールを後にした。
「お疲れさまでした。また明日」
荷物を持ち、エミールは皆に声をかけてから裏口へと進んだ。扉を開け、一歩踏み出したところへ、
「ルイ!」
急に母の声が響き、驚いてその方を見遣る。少し離れた所にマリー・セレスティーヌとシモーヌが立っていた。
「え、どうして…!?」
「そろそろ出てくる頃かと思って、待っていたのよ。本当にお疲れさま」
ニッコリ笑って言う母に、エミールは首を振った。
「そうじゃなくて…家に帰ったんじゃなかったのかい?てっきりもう着いた頃かと…」
「ええ、せっかく市内へ来たのだから、もう一日ゆっくり見て回ってから帰ろうってシモーヌと話したの」
娘の顔を見ながら、母は優しく言った。
シモーヌも微笑み、
「ママンも久しぶりのパリだから、色々と見たがってね。昼間はアンティークショップやイザベルさんのお店にも行ってきたのよ」
「そうだったのか。それなら一言言ってくれれば良かったのに。驚かさないでくれよ」
エミールも笑って言う。3人で歩き出しながら、話を続けた。
「じゃあ、明日帰るってこと?」
「ええ、のんびりお昼の電車でね。ルイも明日の片付けが終わったら少し時間が空くんでしょう?また帰っていらっしゃいね」
「うん、必ず帰るよ。シモーヌとも約束したから。ね?」
手を繋ぎ、エミールはシモーヌの顔を覗き込む。シモーヌは小さく頷き、もう片方の手でそっと兄の袖に触れた。
「ねえ、兄さん。せっかくだから3人で写真撮らない?」
「それは素敵ね。展示会の記念に家族で一枚ぐらい撮ってもいいわね」
母もすぐに賛成した。エミールも柔らかい笑顔で頷いた。
3人は足を止め、エミールがどこで撮るかを見回す。暗くなってきて外灯の優しい明かりがぽつぽつと灯る。その光がちょうどよく当たりそうな場所を選んで三脚を立てる。
「じゃあ…簡単に撮るけど、カメラは仕事で使ってる良い物だから、出来には満足いくと思うよ」
カメラのタイマーをセットし、エミールも早足で2人の立つ所へ近寄る。
徐々に深まる秋の夜風が少しだけ冷たいけれど、3人で寄り添うとその寒さもどこかへ遠のいていくようだった。
母がそっとシモーヌの肩を抱き、シモーヌは兄の腕に手を添える。
「兄さん、ちゃんと笑ってる?」
「…言われなくても笑ってるよ。ほら、撮るよ」
赤い光が点滅を始め、シャッター音が静かに切れた。
カシャッ。
その瞬間、3人の距離がふっと縮まった気がした。
撮れた写真を確認すると、三人三様の表情をしていた。
母のいつも通りの優しい微笑み。
妹の無邪気な、可愛らしい笑顔。
そして自分は──
「あらあ、ぎこちないわねえ…緊張したの?」
母がクスクス笑って言う。
エミールは柔らかく笑ったつもりだったが、写ってる自分の顔は母の言うとおりだった。首を傾げて、納得いかない顔をする。
「普通に笑ってたんだけどなあ…」
「きっと普段は撮る側だから、撮られることに慣れてないのよ。兄さんはもっと笑顔の練習しないとね」
シモーヌも可笑しそうに言った。
マリー・セレスティーヌはもう一度写真を確認し、
「…でも、みんな幸せそう。良い家族写真だわ。現像したら家に飾りましょう」
「そうだね。また明るい場所で皆で撮ろう。今度はもう少し、上手に笑ってみせるよ」
エミールはそう言ってシモーヌを見た。
自分が写っている写真はほとんど無かっただけに、こうして撮ってみるととても新鮮な思いだった。
シモーヌも嬉しそうに笑い、
「そうね、たくさん撮りましょう。これからも、家族みんなでたくさん」
「うん、何枚でも撮ろう」
その言葉には写真家としての思いのほかに、家族への深い愛情が自然に混ざっていた。
展示会の成功も嬉しかったし、先輩カメラマンたちとの触れ合いや共同作業も楽しかった。客との距離の近い触れ合いも、久しぶりに会った友人たちとの語らいも温かかった。
だが、一番の収穫は今夜のこの一枚ではないかとエミールは思う。
ファインダーを覗いた時は気づかなかったが、確認した写真には遠くにエッフェル塔の明かりが写っていたからだ。
普段は避けるようにしていたエッフェル塔が偶然映り込んだことで、エミールは苦笑いを浮かべる。
(エッフェル塔は…外せないってことかな)
(やっぱり、ここはパリなんだ)
そんな当たり前のことに気づかされた夜だった。




