4.
数日後、ハリーが事務所へやってきた。
「あの後、イリヤとは…?」
心配そうに訊くエミールに、ハリーは事もなげに笑って言う。
「さんざん俺をけなして、しこたま飲んで帰ってったよ。良いストレス発散になったんじゃねえの?」
「…意外と大人なんだ、君」
エミールはクスッと笑う。
廊下にスーツケースが置かれ、荷物がまとめられているのを見てハリーは言った。
「実家に帰るのか?」
「そう、明日。しばらく帰れなかったからね。1週間ぐらいのんびり過ごしてくるつもりだよ」
「そっか…」
ソファにどっかりと座り込んだハリーは、腕組みをしてしばし考えるような表情になった。気になったエミールが問うと、
「フィンランド行きの件なんだがよ、日程がわかり次第教えてくれ。ヴェネツィアにも何度か行くんでね」
「それはいいけど……この前、“からっきし”って言ってたのはどういう意味?君が依頼されないなんてことは、今まで無かっただろう?」
エミールは気にかけていたことを訊いた。
「それなのに何度も行くっていうのは、どうなんだい?」
だがハリーは眉間に皺を寄せたままだ。
「…探りにいこうと思ってな」
「何を?」
「俺の考えすぎならいいんだが…何か隠されてる気がするんだよな。あのジジイ、どうも最近様子がおかしい」
「…ロッセーリ翁が、何かを隠している?」
「ああ。俺への依頼を避けているようにも思える。まるで“いつでも動ける”ように“わざと時間を作っている”というか」
「……どういう事?」
「ま、たいしたことじゃねえだろうとは思うがね。といっても、お前さんは気にするこたあねえぜ。用があるのは、おそらく俺だけだからな」
「……」
軽い口調でハリーは話を切り上げたが、エミールはどうも腑に落ちなかった。
だがハリーは必要以上のことは話したがらない性格だ。どうでもいいことはうるさいほど喋りまくるのに、大事なことになると隠したがる。10年にもなる付き合いでエミールもそのことは解っているつもりだった。
息をついて、エミールは話を切り替える。
「僕も、隠してることがあるんだけど」
「…何だよ?俺にか?」
「君じゃなくて、シモーヌにだよ。どう説明したらいいか迷っていてね」
フィンランド行きの件を話すのをまだ躊躇っていたのだ。直前にと考えていたものの、あまりにも唐突すぎるのも可哀想な気がしたのだ。
「クリスマスと年末年始を一緒に過ごすのは毎年のことだからね。どう言えば解ってもらえると思う?」
「はあ?そんなの、素直に言えばいいだろ?仕事なんだから仕方ねえって」
ハリーは素っ気なく言うが、エミールは食い下がる。
「プレゼントは事前に送るとしても、その時期に帰れないのはやっぱり気が引けてしまうよ。帰ったら話すつもりだけど…困ったなあ」
考え込むエミールを眺めていたハリーだったが、ふいにフッと笑って言った。
「お前、ホントにシモーヌ優先なんだな。まあ、無理もねえか…重度のシスコンだしなぁ」
「…悪かったね」
ジロリと睨むエミール。ハリーはおかしそうに笑った。
「顔見て言いづらけりゃ、こっちに帰ってきてから電話で伝えりゃいい。あの娘ももう子供じゃねえんだし、解ってくれるさ」
「……そうだといいけれど」
エミールは短く言って少し笑う。
仕事だからと言えば納得はしてくれるかもしれないが、シモーヌはきっと一人の時に寂しがるだろうな、と思う。母にも執事やメイドにも、さらにエミールにも気を遣ってしまうだろう。それが解るから、なおさら言いづらいのだ。
『あの娘ももう子供じゃねえんだし』
ハリーの言葉が妙に頭に残った。
子供じゃないからこそ、悩んだり考え込んだりしてしまう。
PCを操作する手を止め、頬杖をついてため息にも似た息をつくエミール。そんな彼をソファから眺めていたハリーは何か言いたげな表情をしていたが、ややあって立ち上がる。
「何やってんだ?」
「…え?ああ、これかい?」
画面に表示されている写真を覗き込むハリーに、エミールは笑ってみせた。
「母さんとシモーヌと3人で撮ったんだ」
展示会最終日の家族写真だと話し、
「僕はいつも撮る側だから、家族写真っていうのはほとんど無くてね。でも、これを見てるとそういうのも悪くないなって思えてくるよ」
彼はふふっと笑う。ハリーもフッと笑ってみせながら、
「良い写真だな。お前さんは良い家族に恵まれてるよ、本当に」
「…うん。僕もそう思う」
そして、一呼吸置いてから続けた。
「先月、遊びにきたシモーヌにヘンリー卿のことを話したんだ。一月に亡くなったってことをね。…彼女、とても驚いて泣いてしまったけれど、事情を話したら解ってくれた。アラン兄さんにも手紙を書くって言っていた」
「…そうか。アランも元気でいるんだな」
半年以上も前の、昨冬の一連の事件を思い起こし、ハリーは何とも言えない表情になる。
「お前ら兄妹にとっちゃあ、あいつは良いアニキだったんだろ?色々あったが、ヘンリー卿が死んだんならもう遠慮することもねえ。また仲良くやっていけるだろうよ」
「ハリー…なんだい、唐突に」
エミールが苦笑交じりの声で言う。
「…まあ、確かに色々あったかな。ヘンリー卿にはさんざん振り回されたし、シモーヌも自分の存在意義について一人で悩んでいたから…ママンも口には出さなかったけれど、やっぱり辛かったと思う」
「……」
「けれどね、こんなふうに笑顔で写真を撮れる今は本当に幸せだと思ってる。僕はそれを絶対に壊したくない。だから守る。ママンとシモーヌの笑顔をね」
そう言って画面を見るエミールの横顔には、強い意思が見てとれた。
ハリーは頷き、椅子に座ったエミールの背をぽんぽんっと叩く。
「ま、あんまり気負うなよ?なんかあったら俺に言えよ、親友。格安で請け負ってやるから」
「はあ?親友からも金を取る気かい?まったく君って人は…」
エミールは苦笑いを浮かべるが、すぐにふふふっと吹き出し肩を揺らして笑った。ハリーも歯を見せて笑う。
「俺がそういうヤツだって知ってるだろ?長年の付き合いだからな」
ハリーが帰った後、一人になった事務所でエミールはぼんやりとしていた。
展示会の企画が始まってから数ヶ月。バタバタと夢中で過ごしていて、他の仕事も平行しながらで本当に忙しかった。
だが、結果として参加して良かったと思えるし、写真家という道を選んだことに誇りを強く感じていた。
横に置いてある愛用のカメラを眺め、エミールはそっと手を伸ばして触れた。
──もう“盾”なんかではない。
無くてはならない、大切な相棒だ。
「ありがとう。これからも宜しく」
ふと、そんなふうに口に出していた、
そして彼はカメラを手にし、窓に歩み寄った。
夕暮れの中に、シルエットのエッフェル塔が浮かんでいる。
子供の頃から見ていた変わらない風景。光と影とが織りなす、この夕焼けのパリが一番パリらしいと思っていた。
(……)
無言でカメラを向け、ファインダーにエッフェル塔を収める。
……カシャッ。カシャッ。
無意識に連続で、何度もシャッターを切っていた。
撮らないはずのパリの名物を、夢中で追った。
(…四季のパリ、か…)
(エッフェル塔のある四季も、意外と悪くないかもしれないな)
カメラを下ろし、エミールは微かに笑う。
愛するこの街の四季を、もっと撮りたい。
そしてゆくゆくは世界の四季をも──
『光を、撮りたい……』
そう願う。
柔らかい黄昏時の風を受けながら、エミールは穏やかな表情のまま、しばらくの間夕陽を見つめていた。
fin.
(2026.02.05 up)




