2.
展示会は連日、満員御礼の状態だった。
エミールは観客との対話にもだいぶ慣れ、初日に比べるとリラックスできるようになっていた。
最終日が近づいたある晩、事務所に戻った彼は郊外に住む母に電話をした。
「もしもし、ママン?こっちに来るのは明後日だけど、問題はない?」
『ええ、問題ないわ。ホテルの予約も取ってあるし、私たちのことは心配しなくて大丈夫よ。あなたは自分のことだけに集中しなさいね』
母の声は相変わらず優しかった。
シモーヌに換われるかいと問うエミールに、
『今夜は早く休むって言って、自分の部屋に行ってしまったのよ』
「…え?まだ9時過ぎなのに?」
時計を見て少し驚くエミールに、母は苦笑しながら言う。
『ここのところ、ずっとそうなの。早寝早起きして、とても健康に気を遣っているみたいで…何か伝えたいことがあれば言っておくわよ?』
「そうか。じゃあ…」
考える様子になり、エミールは息をつく。
「会うのを本当に楽しみにしてる、って伝えてほしいんだ。あれからずっと家に帰れていないからね…」
先月、シモーヌがパリ市内に遊びに来た後は展示会の準備に追われ、電話すらろくに出来ていなかったことをエミールは残念に思っていた。
母はそうね、と呟いて、少し笑う。
『あの子もきっと同じように思っているわ。毎日ルイに会いたがっているから、電話があったことを伝えたら待ち遠しくなってそわそわしてしまいそうね』
「くれぐれも気を付けて来てくれよ。ママンもシモーヌも……それじゃあ、おやすみ」
『ええ、おやすみなさい』
通話を終わってからも、エミールは暗くなったスマホの画面をじっと眺めていた。
(…健康に気を遣っている、って…もしかしたら……)
思い当たることは、前回の熱を出した件だった。
長い時間を一緒に過ごそうとしていたのに、シモーヌは自分が熱を出したことをずいぶんと悔やんでいたのを思い出した。ベッドに横になり、“せっかくの兄さんの休みを無駄にしちゃった”と零した彼女の姿をエミールは思い起こしていた。
「……」
エミールは思わずふふっと笑う。
(会えたら、最初に何を言おうか)
来てくれてありがとう、か。
そして自分のスペースへ彼女の手を引いて連れて行き、点字が打ってある小さなボードに触れさせながら、写真を一枚ずつ詳しく説明をして……
『毎日ルイに会いたがっているから…』
母の言葉を思い出し、エミールはうん、と頷く。
(僕だって同じ気持ちだよ、シモーヌ)
展示会が終わったら、少し暇が出来る。
そうしたら……また郊外の家に帰ろう。
そう思い、あと少しの期間頑張ろうという気持ちが強くなった。
そして翌日に最終日が迫った日──
マリー・セレスティーヌとシモーヌ母娘が展示会場を訪れた。
その瞬間、会場の空気が一変したことに誰もが気づく。
優雅で美しいマリー・セレスティーヌはオフホワイトのツーピースに、柔らかな花柄のシルクスカーフを合わせている。そのスカーフは先月エミールがプレゼントした物だった。
そしてつかず離れずの距離を歩くシモーヌは母の若い頃を彷彿とさせる愛らしさで、その身に纏っているのは──
「シモーヌ、そのドレス…着てくれたんだね」
エミールは思わず笑顔になり、嬉しそうに2人に駆け寄った。
シモーヌも先月エミールがプレゼントした、ブルーグレーの上品なワンピースを着て少し恥ずかしそうに笑う。
「ええ。だってせっかく兄さんが買ってくれたんだもの。着てあげなきゃ」
試着した際もあまりにも彼女に似合うことに驚いたエミールだったが、展示会場の柔らかいライトの下で改めて見ると、とても優しい色合いの美しいカジュアルドレスだった。それを着る薄化粧を施した今日のシモーヌは、展示作品を見に来た周囲の人が思わず足を止めるほど可憐で可愛らしかった。
「ママンも、シモーヌもありがとう。さあ、ゆっくり見ていって」
エミールはそう言って、シモーヌの手を取って歩き出した。その姿はまるでおとぎ話の王子と姫といった様子で、他のカメラマンたちが息を呑んでしまったぐらいだ。中にはカメラを向ける不埒な者もいたが、ジャン・ルイが手で制した。
「パパラッチのように好奇の目で撮るのは同じカメラマンとして感心しないな。きちんと彼らに取材を申し込んでからにしようか」
その言葉に他の皆も、そして一部始終を見ていた観客たちもが拍手を送った。
エミールはジャン・ルイに軽く会釈してから、自分の写真が飾られているスペースへ移動していく。そして壁のタイトルボードにシモーヌの手を沿わせた。彼女はそこに打ってある点字を指で追う。
「『朝の小さな行列』…あ、このパン屋ってもしかして…?」
「そう、先月一緒にクロワッサンを買いに行ったパン屋だよ。時間が早いとこんな行列もできてるんだ」
「こっちは…『川のほとりで本と戯れる』……セーヌの傍でベンチに座って読書する老人…」
シモーヌはひとつひとつの作品を点字から読み取りながら、エミールの説明を聞く。
「ここ、覚えてる?セーヌ川の傍の、一緒に歩いた道だよ。僕を川のようだと言ってくれた、あのベンチもある」
「もちろん、覚えてるわ。どれもみんな、温かくて素敵な風景ばかりね。兄さんの写真は本当に柔らかくて、優しい光が溢れてる。はっきり見えなくても、わたしには光景がちゃんと頭に浮かんでくるわ…」
優しい笑顔で言うシモーヌ。エミールの手をしっかりと握りしめ、
「兄さん、素晴らしい写真家になったのね。本当におめでとう…わたし、とても誇らしいわ」
「君がいつも応援してくれているからだよ。僕の写真の一番のファンは君なんだから、君に満足してもらえなければモチベーションも下がってしまう。これからも応援してくれるかい?」
「もちろんよ、兄さん」
そんな2人の様子を、一歩下がった場所で見ている母。
何も声はかけなくとも、兄妹の強い絆を見守る笑顔は慈愛に満ちていた。
(…良かったわ。シモーヌに笑顔が戻ってくれて)
そして、エミールの前では昔のように明るい笑顔を振りまくシモーヌを見てホッと胸をなで下ろした。
先月、エミールが市内へ戻ってしまってからというもの、シモーヌはぼんやり考え事をすることが増えていた。
花壇の手入れをしていても、料理の手伝いをしていても、好きな編み物をしている時ですらどこか元気がなかった。兄のいない部屋を訪れては、窓を開けて風にあたりながらぼーっと過ごす時間が増えた。
母はそのことをエミールには伝えずにいた。ただでさえ展示会の準備で忙しい息子に言えば、きっと妹を心配して連絡を優先するだろうと思ったからだ。
しかし、こうして直接会えて会話を交わしている2人は昔のように仲の良い兄妹のままだった。思わず胸の奥がじん…と温かくなった。
「ママン、気になる写真はある?」
エミールが振り返り、母に声をかける。
彼女は笑いかけ、シモーヌにそっと寄り添うように並んだ。
「そうね、この…『春の雨のあと』という写真がとても素敵だわ」
「それはね、雨の後に道が鏡のようになっていたのを撮ったんだ。夜だったら外灯の明かりも反射してもっと綺麗だったと思うよ」
「それから『秋の彩』も好きな感じだわ。シモーヌがとても良い笑顔で写っているし、イエローキューピッドの色合いも本当に綺麗よ。親としての贔屓目なしでも良い写真だと思えるわ」
「本当かい?ママン、ありがとう。実はこれ、事務所で急遽撮ったものなんだ。シモーヌに花瓶の切り花を持たせて、窓際に立ってもらって…午後の光がすごく柔らかくてね……」
生き生きとした表情で説明してくれる我が子の成長した姿を、母は心から嬉しく思っていた。
「素晴らしい息子さんですよ、彼は」
ジャン・ルイと数人の仲間たちが歩み寄ってきて、マリー・セレスティーヌに口々に話しかけた。
「撮影テクニックや才能のみならず、何よりセンスがある。また行動力もある。勉強熱心で我々にも臆せず何でも質問してくる。なのに出張ることはせず、謙虚な青年だ。これからが楽しみですよ」
「まあ、お褒めいただいて恐縮ですわ、皆さん。どうもありがとうございます」
マリー・セレスティーヌは丁寧に頭を下げ、にこやかに微笑んだ。
「あの子は昔から好奇心旺盛なところがありましたのよ。ですから、この道を選んで正解だったと思います。亡くなった夫も幼かったあの子によく言っていました」
──ルイ、たくさん本を読んで、たくさん経験をして色んなことを覚えていくんだ──
──そしていつか広い世界を知って羽ばたいていってほしい──
亡き父セザールの願いどおり、エミールは様々な本を読み耽り博識となり、世界へ飛びだす仕事に就いたのだ。母としてはこれ以上の望みはなかった。
「ここは息子にとって、ただ写真を見せる場所ではなくて……自分の世界を共有する場所なのでしょうね。だから、あんなふうに生き生きとしてるんですわ」
そう言うマリー・セレスティーヌの美しい目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
閉館後は3人で近くのレストランに行き、久しぶりに家族水入らずの楽しい時間を過ごした。
「私は先に部屋に戻っているから、あなたたちはゆっくり散歩でもしていらっしゃい」
ホテルの前に着くとマリー・セレスティーヌは子供たちに向かってそう言った。
「久しぶりに会えたのだもの。積もる話もあるでしょう?」
ニッコリと笑って言う母に、シモーヌは少し意外そうな顔になる。
だがエミールはすぐに頷き、カメラの入ったバッグを軽く叩いてみせる。
「そうしようか、シモーヌ。この前できなかった撮影もしたいんだ。…いいかい?」
「…ええ、兄さんがそう言うなら」
ホッとしたように微笑むシモーヌ。いつもと同じように兄に手を引かれて歩いていく姿を見送り、マリー・セレスティーヌは息をついた。
(まったく、どうしてあの娘は控えめというか…遠慮がちなのかしら。あんなに会いたがっていたルイにやっと会えたのに)
食事中もあまり自分から話を切り出すことがなく、聞き役にまわっていたシモーヌ。マリー・セレスティーヌは明らかに今までとは違う雰囲気を感じていた。
(ルイはルイで、何か気がついてる感じでもなかったし…)
(やっぱりセザールに似て、疎くて…ちょっと鈍いのかしらね)
苦笑を浮かべ、彼女はもうほとんど見えなくなった2人の背に心の中で声をかける。
(たとえどんな結果になっても、私はあなたたちの味方でいるわ。あなたたちが生まれてからずっと見てきたんだもの。だから、大丈夫よ…)
踵を返し、彼女はホテルへと入っていった。
「ねえ、兄さん。今日のママン、どこか変じゃない?」
夕暮れのセーヌ川沿いの遊歩道を歩きながら、シモーヌはエミールに声をかけた。
「どこかって、どこが?」
エミールは不思議そうに訊き返す。
「僕は別にそうは思わなかったけれどね。君には違って見えたのかい?」
「…ん。どこがってハッキリとは言えないんだけど…なんとなく」
「そうかなあ…?気のせいじゃないかな」
エミールはゆっくりと歩みを止め、隣を歩くシモーヌを改めて見つめた。
「それにしても、本当にそのドレスは素敵だよ。とても似合ってる。小物も靴も揃えてきてくれたんだね。見た瞬間、大声を出してしまうところだったよ」
笑って言うエミールに、シモーヌは一瞬間を置いてふふっと笑った。
「ママンもね、ステキな色ねってすごく褒めてくれたのよ。小物や靴も合わせてくれたイザベルさんのセンスは素晴らしいって言ってたわ」
「確かに、彼女のセンスの良さは僕も認めざるを得ないよ。あの店のポスター写真を撮る時、いつも緊張するんだ。下手なものは撮れないぞって自分に言い聞かせながら、ね」
エミールはそう言って苦笑する。
手頃な場所のベンチにシモーヌを座らせて、その横で鞄からカメラを取り出した。撮影準備をしながら言葉を続ける。
「展示会もそうだけれど、誰かと協力しながらの共同作業は良い刺激になるんだ。一人での撮影とはまるで違う。張り詰めた緊張感で指が震えたりもする。けれど、それが自分を鼓舞して高みを目指すきっかけにもなるから、決して悪いことばかりじゃない。むしろ、あったほうがマンネリ化を防ぐ意味でもいいくらいだよ」
三脚を組み立て終わり、エミールはそこへカメラをセットする。黙って聞いているシモーヌをふと見遣り、微笑んだ。
「君が会場に入ってきた時、本当に息を呑んだんだ。その…アップにした髪型も素敵で……」
「…本当に?」
小さく訊き返すシモーヌに、照れたように笑いかけるエミール。
「その……き、綺麗になったなあって」
「……兄さん…」
それを聞き、シモーヌは少し驚いた様子を見せる。
エミールは頭を搔きながら笑う。なかなか言い慣れないことを言った自分がよほど恥ずかしかったらしい。ファインダーを通してならいくらでも出てくる“綺麗だ”という褒め言葉が、素面ではこんなにも恥ずかしく思えるんだと気づいたのだろう。
シモーヌはくすくす笑った。
「いやだわ、兄さんがそんなに照れてたらわたしまで恥ずかしくなるじゃない」
「ご、ごめん。さあ、撮影始めようか」
珍しく焦った様子のエミールを見て、シモーヌは顔を赤くしてゆっくり立ち上がった。彼女の手を引いて、セーヌ川に架かる鉄製の欄干に寄り添うように立たせた後、エミールは少し離れた場所へ移動する。
「そこから動かないで。…そう、軽く体を横に向けて、右を見て」
ファインダーを覗きながら指示を出す。シモーヌは茶色のハンドバッグがよく見えるように右肘にかけ、指示通り右側へ首を捻る。曲げた右手をそっと口元へ近づけ、少しだけ唇を開いて微笑んだ。
「……こうかしら?」
「うん、そう……いいね、とても素敵だ。白い花の髪飾りもこちら側に向けられてて凄く綺麗だ。左手を横の欄干にそっと掛けてみて?」
「……こう?」
「そうそう、いいね、とてもいい感じだよ。綺麗だ……本当に綺麗になった」
さっきと違い、さらっと口から言葉が出てくる。エミールは自覚無しに、夢中で次から次へと褒め言葉を連発している様子だった。
川沿いの外灯の優しい灯りが左右に並ぶのがよく見える、橋の中央部。そこにやや逆光気味に佇んでいるシモーヌの表情を、フラッシュを焚いてソフトな印象に仕上げる。遠くに小さな白い月が浮かび、美しいシモーヌはまるで月の女神のように柔らかな微笑みを見せていた。
ポーズや表情を変え、何十枚もの撮影を終えたエミールはようやくファインダーから目を離して顔を上げた。
「d'accord merci. (OK, ありがとう)」
そのままシモーヌの傍へ歩み寄り、さっと手を取ったエミールは笑顔で言う。
「今回の展示会には間に合わなかったけれど、いつか大きなパネルにして出品したいな。……でもね」
「……?」
「…見せたくない気持ちも、あるんだ」
エミールは目を細めながらそう言った。
「君のそんな素敵な姿は僕だけが見ていたいし、僕だけが知っていたいとも思う。だって、他の誰かに見せたら…きっとその人も、君を素敵だと思ってしまうから」
「……」
それを聞いたシモーヌは言葉を失ってしまう。驚いたように瞬きを何度かしながら、兄の言葉の続きを待っていた。
「今回展示した、あの小さなパネルだってそうだ。僕だけが見て、撮った君の笑顔なのに、誰かに見られるなんて──だから、別の写真と替えようかとも思った。おかしなジレンマだよ……見せたくないけれど、展示したいっていう、ね。搬入直前まで迷って、やっぱり出すことに決めたんだ。ふふ…なんだかおかしいよね、僕は。何を迷っているんだろうって、自分でも思ったぐらい──」
エミールが最後まで言い終わらないうちに、シモーヌは彼の胸に飛びこんだ。ぎゅっとしがみつき、頬を擦り寄せる。
突然のことにエミールは少し動揺したが、飛びこんできた妹の細い肩をそっと抱きしめる。
「…兄さんったら、おかしいわ。どうして今日はそんなに素直なの?そんなことを言われたら…わたし、どうしたらいいのかわからなくなるじゃない」
「…シモーヌ……」
「わたしだって、会いたかった。ずっと兄さんと話したくて…でもお仕事で忙しいのに電話したらいけないって思って…兄さんの声を聞きたくてたまらなかったのよ」
「……そう、だよね。電話できなくて本当に悪かったよ。今日のために早寝早起きをして健康に気を遣っているみたいだって、ママンからも聞いて…嬉しかった。僕も早く会いたくて仕方なかった」
微笑むエミールの顔を見上げるシモーヌ。嬉しそうに笑うその目は少し涙ぐんでいて、灯りを反射してキラキラと輝いて見えた。
「展示会が終わったら少し暇になるから、また帰れるよ。それまで待っていてくれるかい?」
エミールの言葉に大きく頷くシモーヌ。
「もちろんよ。兄さんが帰ってくるのをイエローキューピッドも待っているわ。まだまだたくさん咲いているのよ?早く見に来てね…」
そう言って、シモーヌはエミールの頬に軽く口づけをする。エミールはそんな妹を愛しげに抱きしめながら、安心したように笑った。同じように頬へのキスを返し、優しい声をかける。
「花々と、ママンと……そして何よりも君が待っていてくれるんだから、必ず帰るよ、シモーヌ」
カメラを片付けた後、二人は母の待つホテルへと戻った。
シモーヌを部屋まで送り終えたエミールに、マリー・セレスティーヌが言葉をかける。
「良い写真が撮れたって顔をしているわね、ルイ。展示会のほうも素晴らしかったわ。ジャン・ルイさんもあなたのことを褒めてらしたわ」
「本当に?それは素直に嬉しいな」
エミールは満足そうに笑ってみせた。
「じゃあ、事務所に帰るよ。今日は来てくれて本当にありがとう。ママンも、シモーヌも……ありがとう」
感謝を繰り返し伝えた後、エミールは母の隣に立つシモーヌに視線を向けた。
「おやすみ、シモーヌ…良い夢を。明日は気を付けて帰るんだよ?」
「ええ、兄さんも良い夢を。…おやすみなさい」
笑顔で手を小さく振る妹へ、ホッとしたように自分も手を振った。
事務所に戻り、一人になった空間でエミールは大きく息をついた。
電気も点けずにカメラバッグを静かに机に置き、椅子に腰を下ろす。ゆっくりと背をもたれ、首を仰け反らせた。
(……素直で、おかしい…か。確かに、そう言われても仕方がなかったな)
(でも──言わずにはいられなかった)
目を瞑り、また深く息をつく。
(………僕は……)
(本当は君を誰にも見せたくないし、誰にも取られたくない)
エミールの脳裏から離れない、言いたくても言えない言葉。想い。感情。
(どうしてしまったんだ……僕は)
(現実として考えればダメだと解ることだろう?こんなの…言葉にしたらいけない。言ってしまったら、彼女をきっと戸惑わせてしまう……)
(ただでさえ、僕の半端な曖昧さのせいで不安にさせている筈なのに……)
上を向いた顔を、思わず手で覆ってしまう。
(兄妹として育ったことが何よりも嬉しかった。なのに、今では兄妹であることが…こんなに苦しいなんて──)
辛い気持ちに耐えているように、彼はしばらくの間、唇を軽く噛みしめていた。




