1.
10月半ば、快晴の朝。
パリ市内のとあるギャラリーにて、カメラマン有志数名による合同展示会が開かれた。
テーマは『四季のパリ』。
会期は10日間と短めなものの、パリ近郊に在住して活躍するプロカメラマンの作品が一同に見られるということで、出版社も大々的に広告を出すほどだった。
2年前からフリーで活躍しているエミールも、有志の1人だった。
数年前に新人賞を受賞した彼は、美しく叙情的な風景写真を撮ることで知られている。雑誌掲載された作品は勿論、ネットでも幅広いファンがつくなどして人気を博している。
何よりも目を引くのが彼本人の容姿だ。中性的で優雅な物腰、優しい微笑みを浮かべながら写真について話す姿は、当然ながら女性たちの的となった。
「…ふう」
裏口からギャラリーに入り込んだエミールは、困惑した表情を隠せずにいた。
「店の前にあんなにたくさんの女性が待ってるなんて聞いてないよ」
店内で待っていた他のカメラマンたちはおかしそうに笑っている。
「そう言うなよ、みんなお前に会いに来てるんだろ?」
「会期中、サイン会も同時開催したらどうだ?」
ジョークを交えながら茶化されてしまい、エミールはため息をついてみせた。
参加している中では最年少ということもあり、いじられてしまうのは仕方ないとしても……
「僕は真面目に作品を見てほしいだけです。それ以外には興味ない」
素っ気なく零すエミール。肩をすくめて、荷物を下ろした。大きめのショルダーバッグから取り出したのは、1枚の小型のスチレンパネルだった。
「おっ、最後の一枚、出来上がったのか」
写真をのぞき込んでくる面々に、エミールは笑いかけた。
「これをどうしても展示したくて。大きなパネルにはできなかったけれど、僕の一番のお気に入りだから」
映っている優しい笑顔の女性──
数週間前に遊びに来た妹のシモーヌを撮ったものだった。
本当は撮影のために素敵なドレスや靴なども用意したのだが、あいにくシモーヌが熱を出してしまったので撮影ができなくなった。
それでも、どうしても1枚はシモーヌの写真を飾りたいと思った彼が選んだのは、事務所の窓辺でビデンスの花を抱えて微笑むものだった。
「とても良く撮れているね。君は人物をあまり撮らないと聞いているけれど、嘘だろう?」
有志の中で最年長、70代のジャン・ルイがそう言うと、他のカメラマンたちも大きく頷いてみせる。
「技術もあるし、モデルの雰囲気を捉えるのも巧い。風景よりこっちを優先したらどうだい?もっと評判が上がるかもしれないのに、勿体ないじゃないか」
「…僕は風景が好きなだけですよ。ただ、それだけ」
シモーヌのパネル写真を飾る場所へ移動しながら、エミールはそう言った。
自己紹介文が書かれたパネルの横、そこに僅かなスペースを空けてあった。横にあるプレートには『秋の彩』とある。
パネルの裏面を壁に掛け、曲がり具合を調節して少し離れた位置から確認する。
「……うん、素敵だ」
呟き、満足そうに笑む。
自分にとって何よりも大切な、宝物のような存在。
今回は彼女の大きな写真を飾れないので、せめてもの思いでこれを急遽パネルに起こしたのだ。
「皆さん。そろそろオープンの時間です。こちらにお集まり下さい」
主催者が声をかけてきた。一同は顔を見合わせながらそちらへ移動する。
エミールも最後尾で控えめに集まる。
店の前には多くの客たちが待っていた。開店時間になり、ドアが開かれると入口で受付を済ませた人々が続々と店内へ入ってくる。それらを出迎えるように、カメラマンたちは並んで立っていた。
「ようこそ、じっくりと作品をご覧下さい」
笑顔で口々にそう言う。自分の作品の前に立った客に話しかけたりお礼を述べたりと俄に忙しくなってきた。
エミールも声をかけられ、作品について説明したりしながら、展示会の雰囲気を感じ取っていた。
(これが…展示会の醍醐味なんだな)
ふと気づくと、自身の作品の前で立ち止まる客が増えてきていた。
女性客が多く、美しい風景写真を前にした彼女たちは、
「この前、旅行雑誌で見たわ。本当に素敵な写真を撮るのね」
「あなたの写真、どれも暖かい感じがして、とても好きだわ」
などと口々に褒め称えてくれた。
「ありがとう。励みになります」
エミールは一人一人に会釈しながら、作品について聞かれたことなどに答えた。
それを遠目で見ていた主催者と出版社の担当者が小声で話す。
「あの青年、エミール…だったか。まだ若いのに良い雰囲気の写真を撮るね」
「そうなんだ。しかも彼は今回のテーマ『四季のパリ』に関して、他のカメラマンとはまったく違う捉え方をしてきた」
彼らはエミールと別のカメラマンの作品との違いについて話した。
「彼の写真にはエッフェル塔が一枚も写っていない。パリと言えばエッフェル塔を思い浮かべる人間が多いだろうに、まるで拒むかのごとく一枚も無いんだ」
確かに、エミールの展示スペースを見る限りではエッフェル塔が写る写真は見当たらない。
「彼は観光地化されたパリではなく、あくまで日常に溶け込むパリばかりを撮っている。なかなかそういう視点を持つ者はいない。とても貴重な若手だと思う」
朝のパン屋の前にできる小さな行列 。
雨上がりの石畳に映る街灯 。
セーヌ川沿いのベンチで本を読む老人。
春の風に揺れる街路樹。
夏の夕暮れに伸びる影。
秋の落ち葉が積もる裏道。
冬の曇り空に溶けゆく白い息。
どれも皆、温かくて優しい。そして誰かの生活の一部になっている写真ばかりだった。
まるでエミールの愛するパリの息遣いが聞こえてくるような、そんな柔らかい風景。
「今後の活躍がとても楽しみなカメラマンだな。久々に期待できる青年が現れた気がするよ」
主催者はそう言って微笑んだ。
そうとは知らないエミールは人の流れが落ち着いてくると、他のカメラマンと作品についての会話を楽しんでいた。
「この光の拾いかたがとても気に入って…それから、こっちの冬の空気感なんてどうやって撮ったのか、コツが知りたいです」
先輩格の写真家に怖じ気づくこともなく、遠慮なく質問をするエミール。そんな熱心な彼にほだされ、他のカメラマンたちは冗談も交えながらの会話を交わしていた。
「俺としては、君の“パリの音を巧く撮る”方法をぜひ知りたいところだよ」
「次はどんなテーマを撮るつもりなんだい?一度、君と一緒に仕事をしてみたいものだね」
笑いながらの話の中で、エミールは思っていた。
(ここには、僕の世界がある)
カメラの勉強を本格的に始めてから10年。ようやく自分がどこに向かいたいのかが掴めるようになってきた。
『もっと光を追いたい』
『もっと季節の“匂い”を撮れるようになりたい』
『もっと遠くへ、そして世界を見たい』
『もっと旅をして、世界の四季を撮りたい』
そんな未来の輪郭が、ゆっくりと、しかし着実に形になっていくようにも思えていた。
初日は大盛況で終わった。
客が帰り、カメラマンたちも出足に満足げな素振りを見せてロビーや控え室で話したり、帰り支度を始めていた。
昼間は煌々と着いていた照明が一段階明るさを落とされた会場内を、エミールは佇んで見ていた。
(本当に、ここまで来たんだ…)
息をつき、静まりかえった会場に足を進める。自分の作品が並んだスペースで立ち止まると、じっと眺めた。
展示会開催、そして参加が決まって以来、エミールの中で喜びだけではなく少しの躊躇いもあった。
まだ未熟な自分。展示用に作品を選ぶことから始まり、本当にこれでいいのか、もっと良い物が撮れたのではないかという自問自答を何度も繰り返した。
先輩にアドバイスを求めても、最後に判断するのは結局自分だ。写真の選択は刺激でもあったが、時に残酷さをも感じることだった。
しかし仲間と共に作業する楽しさや、観客の反応を間近で見られるという嬉しさはこういう場面でしか感じられない。それを知ることができただけでも、今回の展示会参加には大きな意味があった。
自分の存在を世界にそっと置いてみる行為──彼にとっての初の展示会とはそんな感じを受けた。
(いつか…もう少し大きな個展を開けるように、もっと技術や感性を磨かないといけないな)
少しだけ不安で、しかし少しだけ誇らしく、確かに前に進んだ一日となった。
「エミール、そろそろ閉館だそうだ」
ジャン・ルイがロビーから声をかける。
「すぐ行きます」
エミールは頷き、そして作品を一瞬振り返る。今朝飾ったばかりのシモーヌの写真を見つめた。
(君が来るのを楽しみにしてるよ)
心の中でそう言い、満足げに微笑んだ。
会期の中盤になると、仲の良い友人知人たちの姿も見られるようになった。
「こんにちは、エミール。ずいぶん盛況のようね。良かったじゃない」
その日はルポライターのイリヤが仕事終わりに来てくれた。
彼女には先月のシモーヌの件で世話になっていたので、エミールも頭が上がらないままだ。
「来てくれて嬉しいよ。イリヤ、この前は本当にありがとう。」
「何言ってるの。困ったときはお互い様よ?どんどん頼ってくれて構わないわ」
イリヤはそう言って、思い出したように笑った。
「また、可愛いあなたも見たいからね」
「…もう、からかわないでくれよ」
苦笑するエミール。妹のことで大慌てした彼を初めて見て、イリヤは彼を見る目が変わったと言っていたからだ。
展示作品をひとつひとつ、丁寧に見てまわった後、イリヤは言った。
「本当にエッフェル塔が写っていないのね。それはあなたの反骨精神みたいなものかしら?」
「そうだね。パリはそれだけじゃないってことを多くの人に知ってほしいから」
「……」
イリヤは薄く微笑んだが、言葉を続けた。
「いつか、あなたの写真にエッフェル塔が写ることがあるとしたら、どんな写真になるのか…楽しみにしてるわ」
ふふっと笑い、満足げにイリヤはある写真を指さす。それはシモーヌが写っている『秋の彩』だった。
「また話を聞かせてね。この可愛らしい妹さんの話もね。最終日にまた顔を出すわ」
そして、また別の日──
「よお、エミール!調子はどうだ?」
快活な声とともに現れたのは、親友のハリーと──
「久しぶりだな。招待してくれてありがとう、エミール」
「こ、こんにちは!エミールさん。あの時はどうもありがとうございました!」
ハンブルクからはるばる来てくれたノワールと井沢だった。
3人を前にしたエミールは思わず顔をほころばせる。
「やあ、来てくれたんだね。遠くからわざわざありがとう」
ノワールや井沢と握手を交わして、エミールは笑顔で順路へと促した。
自分のスペースには最後にきてくれと伝えると、ノワールたちは頷いて他の写真家の展示を見に行った。
「こいつは…よく撮れてるな。相変わらず腕がいいぜ、お前」
シモーヌの写真を前にしたハリーはそう言って振り返った。
「シモーヌの瑞々しい若さや可愛らしさが存分に溢れてる。お前が大事にしたい気持ちが、写真にしっかり現れてるぜ?」
「…そう言ってもらえると、素直に嬉しいねハリー」
エミールは肩をすくめて言う。
もっと大きなパネルにすれば良かったじゃねえかと言われると、
「そうしたかったんだけれどね、アクシデントがあって…まあ、些細なことだよ」
「何のことだ?」
「何でもないよ。ああ、そうだ。君がオーバーアクションで花瓶を割ってくれたおかげで、僕はシモーヌにそそっかしい兄だと思われてしまったんだよ?これからは少し気を付けてほしいね」
「あー…あの時のか。お前、真っ青になってたもんな。ありゃあ滅多に見れない顔だったぜ?」
ハリーはまったく悪びれる様子もない。そればかりか面白そうな口調で言って、思い出したように笑い出した。
エミールも期待はしていなかったものの、いつもの軽口を叩く彼に大きなため息をついて見せた。
しばらくして、スペースに戻ってきたノワールたちが合流した。代わりにハリーが別の展示スペースをまわりに行った。
ノワールと井沢はそれぞれ展示作品を眺め、感想などを話していた様子だったが、ふいにエミールを振り返り、
「私は写真のことはよくわからないのだが…」
そう切り出すノワール。
「君の写真には、他の写真家とは違うものを感じる。テクニックではなく、センス…とても柔らかい、優しい空気をだ。うまく伝わるか解らないがね」
「それは嬉しい。充分に褒め言葉ですよ、ムッシュウ・ノワール」
写真について会話を交わす2人の横で、井沢が「すごい…」とひたすら連発しながら展示を見ていた。
「エミールさんの写真って、風景もだけど写ってる人たちの“日常”って感じがすごく良くって…!えっと、何て言ったらいいのかな?……とにかく素敵だと思います!」
井沢が目を輝かせながら言う。エミールは素直に感動してくれる少年に微笑みかけた。
「イザワ、ありがとう。君のような若い人にもそう伝わるんなら、僕はとても嬉しいよ」
「こういうの、どうやって撮るんだろう?撮ってるところ、近くで見れたらいいのになあ…おれもスマホで撮ったりするけど、こんなに綺麗に撮れないです」
「そうなのか。じゃあ、機会があれば一緒に撮影旅行に行くかい?」
「えっ、ホントに⁉嬉しいけど、お邪魔じゃないかな…」
「大丈夫だよ。大勢で行くときは無理だけれど、僕一人の時ならね」
井沢は嬉しそうに「是非!」と笑う。そんな彼の横でノワールは穏やかな微笑みを浮かべていた。
2人の様子を見ていたエミールは、ふと良い関係を築けてるようだな、と思った。
昨冬のノルウェーやハイランドでの事件をきっかけに交流するようになったが、あの頃の彼らはお互いの結びつきを大切に育て始めた最中だった。その後にノワールの父との対話を深め、訪日して井沢の家族を説得し、ようやく今はハンブルクで同居できるようになったと聞いていた。
『全面的な理解は難しいかもしれないが、歩み寄る意識は互いにあると思いたい』
父との対話前、ハイランドでノワールはエミールにこう語っていた。
直接聞いたわけではなかったが、おそらくは同性同士の恋愛、誰もが納得して祝福してくれるわけではないという不安が強いのだろう、と感じた。
その言葉は当時のエミールにはそれほど刺さらなかったが、最近になって時々脳裏に浮かんでくる。
(誰もが祝福してくれるわけではない、恋……)
目を細めて、エミールは壁に架かるシモーヌの写真を眺める。
優しく微笑む彼女の心には兄である自分がいて、そして自分の心の中にはまだ──
「あのー、エミールさん、この女性は誰ですか?」
ふいに井沢が訊いてきた。彼は『秋の彩』を指さしている。エミールは笑みかけ、
「僕の妹だよ。シモーヌっていってね、7歳下なんだ。とても優しい、可愛らしい子だよ」
「へえ…妹さんかあ。笑顔がすごく可愛い人ですね!エミールさんもステキだけど、妹さんもとてもステキだなあ」
井沢はまじまじとシモーヌとエミールを見比べて言う。
「いつか会えたら嬉しいな。あっ、でもおれフランス語はできないから…」
困ったように頭を搔く井沢。エミールはふふっと笑った。
「英語ならシモーヌも話せるから平気だよ。ただ、彼女は目が不自由だからそこだけ気を付けてあげてほしい」
「えっ、目が…?」
驚いて呟き、井沢はシモーヌの写真をもう一度見る。
「こんなに綺麗な、エメラルドグリーンの瞳なのに。光を通していないなんて信じられない…」
「……」
頷いてみせるエミールだったが、意外な井沢の詩的な口ぶりに感心した。
ノワールにそっと耳打ちすると、
「実は最近、私の影響なのかよく本を読むようになっていてね。初めはドイツ語の勉強にもなるからと勧めたのだが、今では書庫で古い小説を探しては、自室に持ち帰って読み耽ることが増えた」
「そうだったのか…彼も少しずつ変わっていくんだな。良い影響を与え合っているということで、羨ましいです」
そんなことを話していたところへ、ハリーが戻ってきた。
「そういや、ここへはシモーヌも来るんだろう?」
「そうだよ。母さんと一緒にね」
「いつだ?ぜひとも美人の母娘にお目にかかりてえな」
「……言わない。絶対に秘密にする」
エミールは肩をすくめてみせ、笑った。
ハリーが苦々しい顔で舌打ちし、井沢がそれを見て可笑しそうにぷっと吹き出す。ノワールは相変わらず穏やかな表情のままだ。
エミールは不思議な繋がりを感じていた。アランという血の繋がらない兄が起こした昨冬の事件のために手を貸した関係でしかないと思っていたが、こんなふうになるとは夢にも思っていなかった。
「また何かの機会で会えたら嬉しいです、ムッシュウ・ノワール。それにイザワ。今日は来てくれて本当にありがとう。ハリー、また連絡するよ」
展示会場を去っていく3人に、エミールは心からの笑顔を見せてそう告げた。




