第4話 魔王の覚醒と、仔狐たちによる銀世界の浄化
ケイル辺境伯領に流れる時間は、王都のそれとは全く異なっていた。
銀雪の仔狐たちが、ダイヤモンドダストの舞う雪原を無邪気に跳ね回り、その鈴を転がすような鳴き声が、水晶のように澄んだ空気の中に溶け込んでいく。
エラはケイルと共に、精霊たちの純粋な魔力によって常春の暖かさを保つ温室のような庭園で、最高級のハーブティーを楽しみながら、穏やかな午後のひとときを過ごしていた。
しかし、その絶対的な平穏を切り裂くように、南の地平線――かつて彼女が全てを捧げて守っていた王都の方角から、天を衝くほどの不吉でどす黒い闇の柱が立ち昇った。
それは、エラが去った後に「聖域の巫女」の座を強引に奪い取った義妹セリナが、己の浅はかな虚栄心を満たそうとして引き起こした、必然の災厄であった。
セリナは「お姉様にできるなら私にもできるはずだ」と豪語し、千年の間、歴代の巫女が命懸けで守ってきた「古の魔王」を封印する魔導具を、自身の身勝手な魔力で無茶苦茶に操作してしまったのだ。
その結果、繊細な均衡を保っていた封印はガラス細工のように粉砕され、千年の恨みを湛えた魔王が覚醒したのである。制御を失ったセリナの魔力は魔王に喰らわれ、王都はまたたく間に死の影に沈んでいった。
その巨大な闇の波動に追われるようにして、辺境伯領の境界線に、泥と汗と涙で見る影もなく汚れた一団が這いずってきた。
かつての華麗な装いは失われ、第一王子ジュリアンは王冠を失くし、セリナは自慢のドレスをボロボロにして泣き叫んでいる。彼らの背後には、空をどす黒い霧で侵食し、あらゆる生命を枯渇させる魔王の影が、鎌首をもたげて迫っていた。
「エラ! 戻れ! 王都が滅びるんだ! 早くその魔王を封印しろ、これは王家の絶対命令だぞ!」
ジュリアンの叫びは、もはや王族としての威厳など微塵も感じられない、惨めな命乞いでしかなかった。
その隣で、泥だらけの顔を歪めたセリナは、ケイルの隣で光り輝くような美しさを放つエラを見て、嫉妬に狂った声を上げる。
「お姉様だけ、こんなに素敵な旦那様ともふもふに囲まれて……! やっぱりずるいわ、ずるいですわああ!」
エラはケイルの隣から、静かに、だが確かな足取りで一歩前へと歩み出た。彼女が白銀の空に向かって手をかざした瞬間、辺境中の雪原から、数万という銀雪の仔狐たちが銀色の流星群のように集結し、彼女を包み込むように神々しい光の渦を形成した。
「皆、あの子を静かにさせてあげて」
エラの凛とした声が響き渡ると、仔狐たちが一斉に空へと跳躍した。それはもはや小動物の群れではなく、純粋な魔力の輝きが織りなす、神話の再来とも言うべき浄化アクションであった。
仔狐たちは空中で幾何学的な巨大魔方陣を描きながら、魔王の巨体を銀色の光の鎖で雁字搦めに縛り上げた。
「キュイイイッ!」
仔狐たちの鳴き声が共鳴し、巨大な「もふもふの慈愛」が津波となって、魔王の吐き出す瘴気を飲み込んでいく。仔狐たちは恐れることなく不浄の霧の中へ飛び込み、魔王の負のエネルギーをパクパクと食べては、それを美しい銀の鱗粉へと変換していった。
空間を切り裂くような閃光と共に、魔王の禍々しい情念はみるみるうちに縮小され、浄化されていく。天を覆っていた闇は消え去り、やがて魔王の魂は、エラの足元に転がる一粒の小さな、温かい煤となって鎮まったのである。
神話にもない圧倒的かつ派手な浄化の奇跡。それを目の当たりにしたジュリアンとセリナは、もはや絶望と畏怖で声を出すことさえできず、ただ圧倒的な「格差」の前に雪の上でガタガタと震え、腰を抜かすしかなかった。エラの背後では、ケイル辺境伯が彼女を誇らしげに抱き寄せ、その冷徹な瞳で、這いつくばる侵入者たちを冷酷に見下ろしていた。




