第二編 第一章 その3 気絶する
金のことだとわかったらあとはどうでも良くなった。
契約書だの書類だのに一通りサインをし終え、帰宅しようとした時のことだ。
とある声が聞こえてきた。
「ありえない! 二人ともやってない! まず二人だとしたら真っ先に矛盾が発生する! 何故彼らが管理人を呼びに行く? 彼らがやったのなら、自分を密告するような馬鹿な真似はするまい? そういう策だとしたらなんと狡猾なんだ!」
「…………それに片方は門のところで管理人とそこらの女房に見られてんだ! その上住居まで聞いてたんだ、そんなやつが殺しをすると思うか? コフの方だって老婆のとこに行く前に銀細工師のとこに半時間居座ってんだ。考えてみろ?」
「だが、ドアを叩いた時には閉まっていたが、3分後、管理人と戻ってきたらドアが開いてるのはどういうことだ?」
「そこが巧妙なトリックなんだよ、殺人鬼は婆さんの部屋に居座ってて掛金でドアを閉めた。もしコフが管理人を呼びに行かなければとっくに捕まってたってのに。その隙に階段を降りてなんとか逃げ出せたんだよ! コフは両手で十字を切って言ってたぜ?『もし俺が残ってたら殺人者に斧でやられてただろう』ってな! ロシアの祈祷捧げてるみたいになあ!」
「そして、誰も殺人鬼を見てないんだな?」
「ああ、見てないね、あの家はまるでノアの方舟だ」
「簡単な事件だ、こんなに明らかになってるんだ!」
「いや、難しい。まだ明らかになってないことが多い!」
僕はドアまでは行けなかった。
僕が正気に戻った時には、何故か椅子の上にいた。僕は気絶でもしてたのだろうか?
事務所を出ようとしたあたりまでは覚えているのだが。
黄色いコップは黄色い液体で満たされていた。
僕の前に立つ男は僕をじっと見つめている。
「あんた、病気なのか?」
「昨日から……」
「じゃあ昨日家から出た?」
「出た」
「病気なのに?」
「病気なのに」
「何時頃?」
「夜の8時頃」
「どこを?」
「通りを」
僕は脊髄反射で全身ハンカチのように蒼白のまま、充血した目をおろすことなく答えた。
「ほとんど歩けないんじゃないの?」
彼らは書記長を見ていた。とってもじーっと。
そして突然黙った。とても奇妙だった。
「まあいい」
「私たちにあなたを引き留める道理はないからね」
僕は出た。まだ聞こえてくる活発な会話。
通りで僕の脳は働き始めた。
「家宅捜査! 家宅捜査! 家宅捜査だあ! あの強盗どもめ、僕を疑ってやがる!」
爪先から髪の毛の先っぽまでが、寒気に襲われた。




