第10話 舞が結んだ出会い
「いやー疲れたぁ……」
訓練用の広場の石畳に座り込みながらそう呟いた。
神書界に通い始めて数週間、最初は魔力を出すだけで苦戦していたのに、今では防御魔術ぐらいならなんとか形になるようになった。
「お疲れ様です」
向かいに立つ優奈が微笑む。
「随分上達しましたね」
「そうかな?」
「そうですよ。防御魔術の展開速度も安定性も最初とは比べ物になりません」
「それは嬉しいな」
そう言うと優奈は少し誇らしそうに笑った。
その時だった。
聖堂の奥、
巨大な十字架の後ろから金色の光が差し込んだ。
「?!」
思わず立ち上がる。
優奈は慌てる様子もない。
「あら、お客さんですね」
「客?ここに??」
そう呟いた瞬間、光の中から一人の女性が現れた。
長い金髪。
宝石のような黄金の瞳。
豪華な衣装。
そして何より———
近寄りがたいほどの威厳。
ただ立っているだけなのに空気が変わった気がした。
「ヘラ様?どうかされました?」
優奈がすぐ立ち上がった。
俺は状況が全く飲み込めない。
「え?」
優奈が振り返った。
「あ、紹介しますね。こちらのお方はヘラ様です」
「……え?」
「ギリシャ神話に出てくる女神ヘラです」
「え?え?」
「ゼウス様の正妻で結婚と出産を司る女神ですね」
「え?」
「天界で最も偉い女神の一人です」
「えぇ?!本物?!」
ヘラはそんな俺をちらりと見た後、優奈へ視線を向けた。
「貴女の友人ルミから伝言を預かってきたわ」
「え」
優奈の顔が引きつる。
嫌な予感しかしない。
「今日、舞の練習をするからとっとと帰ってこい、だそうよ」
「うっ……」
優奈が露骨に嫌そうな顔をした。
「行ってきなさい」
「はい……」
完全に逆らえないらしい。
優奈は渋々界巡の扉を開いた。
「行ってきます」
そう言って天界へ消える。
そして静寂。
残された俺とヘラ。
気まずい。
「……少年」
「え、あ、俺ですか?」
「それ以外に誰がいるのよ」
その通りだった。
「貴方も見学に行きなさい」
「え?」
「せっかくだもの」
「いやでも――」
「行ってきなさい」
圧がすごい。
ゼウスの妻ってこんな怖いのか。
「は、はい」
気付けば界巡の扉へ向かっていた。
───
移動した先は以前来たことのある天界だった。
白い石造りの街。
澄み切った空。
風に揺れる緑。
そして少し先に見える大きな屋敷。
優奈の家だ。
扉へ手を伸ばした瞬間。
「おや、人間。久しいのぅ」
「うわっ?!」
背後から声がした。
振り向いた。
白い髪。
猫耳。
以前服を選んでくれた女性。
ルミだった。
「お、お久しぶりです」
「一人で来たのか?」
「えっと……」
ヘラに言われて見学に来たことを説明する。
ルミは納得したように頷いた。
「なるほどな」
「まあ良いじゃろう」
「入ると良い」
⸻
屋敷の中へ入る。
広い。
とにかく広い。
天井は高く、窓から光が差し込み、大理石の床が輝いている。
その奥、大きなホールの中央に優奈がいた。
「さて、ユナ」
ルミが笑う。
「始めるか」
「えぇ……」
心底嫌そうだった。
音楽が流れ始めた。
その瞬間───
空気が変わる。
優奈が一歩踏み出す。
ルミも続く。
柔らかく、滑らかに。
まるで風が踊っているようだった。
舞に合わせて袖と髪が風を描く。
光が反射する。
二人の動きが完璧に噛み合っている。
速すぎず、遅すぎず。
一つの芸術作品を見ている気分だった。
「すご……」
思わず声が漏れた。
これは舞というより———
神秘そのものだ。
⸻
しばらくして休憩。
優奈はアイスティーを飲み、涼んでいた。
「無理……」
「まだまだじゃな」
「鬼……」
いつもの優奈に戻っていた。
その間に俺はルミへ話しかけた。
「ルミさん」
「なんじゃ?」
「優奈…えっとユナさんって……一体どんな人なんですか?」
ルミは少し考えた。
そして笑った。
「そうじゃな、一言で言うなら天才じゃな」
「やっぱり」
「ただし、とてもめんどくさがりじゃ」
「それは知ってます」
「はっはっは」
ルミは懐かしそうな顔をした。
「昔のユナは特に有名だった。魔物退治、魔術具研究に多大な貢献をしているのもそうだがやはりヘラ様の養子なのが大きいな」
「養子?」
「知らんかったか」
「はい」
「ユナはヘラ様の養子なんじゃ」
「天界でもかなり有名じゃった。当時まだ成人前だったのにな」
そしてルミは昔話を始めた。
———
あの頃のわしは、来たる天奏祭の試験へ向けて舞の練習に明け暮れていた。
わしの家系は代々、舞や楽器、歌などの芸術を生業としてきた名家だ。
幼い頃から舞台に立ち、歩き方から礼儀作法、歴史、芸術論まで叩き込まれた。
朝起きて舞。
昼も舞。
夜も舞。
それが当たり前の日常だった。
じゃが———
わし自身は自分の舞が特別優れているとは思っていなかった。
家にはわしより上手い兄姉がおったし、親族にも名を残した舞手がおる。
『もっとできるはずよ』
『まだ足りないわ』
『ルミ、貴女ならもっと高みへ行けるでしょう』
そんな言葉ばかり聞いて育った。
褒められた記憶はほとんどない。
だからわしにとって舞とは、好きなものというより努力し続けるものだった。
⸻
天奏祭———
神々へ芸術を献上する、天界でも特に格式高い祭り。
楽器と歌。
剣舞。
そして舞。
その三部門から選ばれた者だけが神々の前に立つことを許される。
そのためには事前試験に合格しなければならない。
わしも当然のように舞部門へ挑戦する予定だった。
家の期待を背負って———
自分自身の誇りのために。
⸻
「ふぅ……」
練習を終え、広場のベンチへ腰掛ける。
夕方の風が心地よかった。
足は疲れている。
何度も何度も同じ振り付けを繰り返したからだ。
それでも納得はいかなかった。
もっと上手くなれる気がした。
もっと美しく舞える気がした。
だが答えが見えない。
そんな時だった。
一人の少女がこちらへ歩いてきた。
薄紫とも桃色とも取れる不思議な長髪。
透き通るような瞳。
整った顔立ち。
ただ立っているだけなのに、どこか目を引く存在感があった。
「なんじゃ? わしに何か用か?」
そう尋ねると、少女は小さく首を振った。
「別に用があるというわけではないわ」
「ではなんじゃ?」
すると彼女は微笑んだ。
「貴女の舞、とても綺麗だと思ったのよ」
わしは一瞬言葉を失った。
綺麗?
わしの舞が?
「……そうか?」
「えぇ」
彼女は迷いなく頷いた。
「貴女も今度の試験に参加するの?」
「まあそうじゃな」
「まあ、私も参加するのよ」
そう言って彼女は楽しそうに笑った。
「試験の時が楽しみだわ」
不思議な人だと思った。
家族以外から舞を褒められたことなんてほとんどなかったから。
しかもその言葉にはお世辞が混じっていないように聞こえた。
ただ純粋に、本当にそう思ったから言った。
そんな声音だった。
「そういえば、お主名前はなんというんじゃ?」
「ユナリア・セレリーナよ」
その瞬間、思考が止まった。
ユナリア・セレリーナ。
知らぬ者などいない。
魔物討伐の英雄。
数々の魔術具を生み出した天才研究者。
そして———
女神ヘラの養子。
天界でも指折りの有名人だ。
しかもまだ成人前。
同世代でありながら、すでに歴史書に載りかけている化け物だった。
「そんな偉いお方が何故ここにおるのじゃ?」
思わずそう聞いてしまう。
するとユナは本当に何でもないことのように答えた。
「さっきまで近くの山で魔物退治をしていたのよ」
「近く?」
「えぇ」
わしは絶句した。
近くと言った場所はこの広場から十三キロほど離れた危険地帯だ。
優秀な冒険者でも複数人で向かうような場所。
良い素材が採れることで有名だが、その分魔物も強い。
「その森の魔物を倒したのか……?」
「えぇ。材料集めのついでにね」
ついで———
ついでと言った。
あの森の魔物退治を。
わしはその時初めて理解した。
目の前にいる少女は、自分とは生きている世界が違うのだと。
だが———
そんな超人なのに、彼女は偉そうな態度を一切取らなかった。
「それで少し疲れたから休憩していたら、貴女の舞が見えたのよ」
「なるほどのぅ」
そして彼女は自然に尋ねた。
「そういえば貴女の名前を聞いていなかったわ」
「あぁ、そうじゃったな」
わしは少し笑った。
「ルミナリエル・アストレアじゃ。ルミで良い。」
「アストレア?……あぁ、芸術家系の」
「知っておるのか?」
「もちろんよ」
そう言ってユナは微笑んだ。
「舞や楽器で有名な家系でしょう?」
「そうじゃ」
少しだけ胸を張る。
アストレア家は天界でも芸術で名を知られた家系だ。
それだけは誇れる。
だが同時に、その名が重荷になることもあった。
「じゃがなぁ……」
思わず本音が漏れる。
「わしなど家の者たちに比べればまだまだじゃ。兄も姉ももっと上手い」
「わしはただ舞っているだけじゃからな」
するとユナは不思議そうな顔をした。
「どうして?」
「どうしてとは?」
「だって貴女の舞は綺麗だったもの」
即答だった。
迷いがない。
まるで当たり前のことを言うように。
「家族がどうとか関係ないわ」
「貴女の舞は貴女の舞でしょう?」
「……」
言葉が出なかった。
そんな風に言われたことは一度もなかったからだ。
「ひとつ言えることはあるわ」
夕陽を背にしたユナは少しだけ笑った。
「貴女の舞はとても綺麗よ。だからそれを武器にしても良いと思うわ」
「……」
「自信を持ちなさい、とは言わないけれどせめて誇ってあげてもいいんじゃないかしら?」
風が吹いた。
広場の木々が揺れる。
わしは少しだけ俯いてから、小さく笑った。
「……そうじゃな。もう少し自信を持つようにするのじゃ」
「えぇ、その方がきっと素敵よ」
ユナは満足そうに笑った。
そして立ち上がる。
「ではルミ、また試験で会いましょうね」
「あぁ」
———
「試験の日、わしもユナも合格した、しかも特別優秀者の証であるブローチまで貰った」
「ユナさんはとても凄い人なのですね」
「凄かったではない」
ルミは首を振る。
「今でも凄いのじゃ」
その言葉には迷いがなかった。
遠くを見る。
優奈が再び立ち上がっていた。
ルミも位置につく。
音楽が流れる。
舞が始まる。
優奈。いや———
ユナリア・セレリーナ。
俺の知っている優奈は、
少し抜けていて、臆病で、小動物みたいな子だった。
でも誰よりも優しい後輩だった。
だけど———
この世界での彼女は、
英雄で。
研究者で。
神の養子で。
天界の誰もが知る存在だった。
「ほらユナ」
「もう一回じゃ」
「うぅ……」
「頑張るのじゃ」
そんな会話をしながらも、
舞が始まれば誰よりも美しい。
俺は改めて思った。
優奈は本当に———
とんでもない人なんだと。




