第8話後半 帰還そして約束
———久しぶりだった。
あんな夢を見たのは。
柔らかな光。
軽やかな音楽がその場に舞っていた。
白い花びらが風に舞っている。
見知らぬ広場。
けれど不思議と懐かしい場所。
そこで誰かが笑っていた。
金色の光を纏う人々。
美しい音楽。
優雅な舞。
そして――。
白い衣装を纏った優奈が誰かと踊っていた。
その隣には銀髪の男と白髪の猫耳の少女。
楽しそうな笑顔。
穏やかな時間。
それを見ているだけで心が温かくなる。
そして。
誰かがこちらへ手を伸ばした。
『———』
何かを言った。
けれど聞こえない。
そこで意識が浮上した。
⸻
目を開ける。
見慣れ始めた天蓋付きの天井。
神書界の朝だった。
「……夢か」
だが不思議だった。
いつもなら悪夢で目覚める。
得体の知れない灰色の何かに追われたり。
暗闇の中をひたすら歩かされたり。
そんな夢ばかりだった。
なのに今日は違う。
内容はあまり覚えていない。
だが、嫌な気分ではなかった。
むしろ心地良い。
「久しぶりだな……」
そんなことを呟きながら起き上がる。
窓から差し込む朝日が眩しい。
着替えを済ませ、聖堂へ向かった。
⸻
「おはようございます」
聖堂へ入ると優奈がいた。
昨日と同じように大量の書類と本に囲まれていた。
「おはよう」
「体調はどうです?」
「だいぶ良い」
「悪夢は?」
「見なかった」
その瞬間。
優奈が少しだけ目を見開いた。
「本当ですか?」
「ああ」
「……良かった」
小さく安堵したように微笑む。
「昨日のおまじないが効いたのでしょうか?」
「おまじない?」
「寝る前にかけたじゃないですか」
「あれか」
確かにそんなことをしていた。
まさか本当に効果があるとは。
「魔術って便利だな」
「便利ですよ」
優奈はどこか誇らしげだった。
⸻
朝食を終える。
そして始まるのは当然———訓練だった。
「今日で杖を完成させましょう。」
「簡単に言うなよ……」
「大丈夫。先輩なら絶対できる。」
「えぇ…」
⸻
結果から言うと———
めちゃくちゃ難しかった。
「違います」
「はい」
「もっと魔力を安定させてください」
「はい」
「先端が曲がってます」
「はい」
「なんでハンマーみたいになったんです?」
「俺が聞きたい」
五回失敗。
十回失敗。
十五回失敗。
その度に杖が崩壊する。
「……天界の子供たちってこれできるのか?」
「できますね」
「まじか」
「一応数年かけて覚えます」
「なんか安心した」
二十回目。
ようやく形が整い始める。
空中に集まる魔力。
オーロラのような空色と赤紫の光。
それがゆっくり一本の杖へ変化していく。
長さは120センチほど。
先端には輪のような装飾。
中心には淡い光が揺れている。
「……できた」
思わず呟く。
優奈も少し目を見開いた。
「おぉ」
「成功?」
「間違いなく成功です」
「やった」
思わずガッツポーズをする。
優奈もぱちぱちと拍手してくれた。
「訓練を初めて一週間にしてはかなり上出来ですよ」
「それは良かった」
⸻
その後。
今までやった訓練を一通り復習した。
魔力を出す。
魔石へ移す。
戻す。
杖へ流す。
魔術具を使う。
何度も何度も繰り返す。
気付けば夕方になっていた。
⸻
「さて」
訓練が終わった頃。
優奈が真面目な顔をした。
「これで療養合宿は終了です」
「療養合宿だったのか」
「一応」
「今知った」
優奈は苦笑した。
「なので明日の早朝、先輩は人間界へ帰ります」
「そうか」
少し寂しい気もする。
なんだかんだでここ数日は濃かった。
「それで今後についてです」
嫌な予感がした。
「まず週に一回は来てください」
「はい」
「定期的に健康診断します」
「はい」
「魔術訓練をします」
「はい」
「無断欠席は禁止です」
「学校か?」
「あと人間界で目立つ魔術は禁止」
「当然だな」
「認識阻害魔術を使うなら許可します」
「なるほど」
「それから魔力枯渇」
優奈の表情が真面目になる。
「これは本当に危険です」
「そんなに?」
「最悪死にます」
「怖いこと言うな」
「なので無理は絶対禁止です」
思った以上に重かった。
優奈がここまで真面目に言うのだから本当に危険なのだろう。
「…あ、そうだ」
優奈が小さな袋を差し出した。
「ん?」
「これを持っていてください」
中を見る。
小さな魔石がいくつも入っていた。
「何これ?」
「影武者人形の記憶です」
「記憶?」
「先輩がお泊まりしていた間の記録ですね」
「え?」
「少しずつ魔力を流すと見られます」
「録画データみたいなもの?」
「そんな感じです」
「便利すぎる」
⸻
その日の夜。
特にやることもなく。
ゆっくり風呂へ入った。
広い浴場。
温かい湯。
「極楽だ……」
思わず声が漏れる。
風呂を出た後はベッドへ飛び込んだ。
久しぶりに何も考えず眠れそうだった。
⸻
そして翌朝。
まだ日も昇り切っていない時間。
俺は優奈と共に界巡の扉の前に立っていた。
「気をつけてくださいね」
「あぁ」
「何かあったら絶対言ってくださいね」
「分かった」
「一人で抱え込むのは禁止です」
「はいはい」
「本当にですよ?」
「分かったって」
優奈は少し安心したように笑った。
「では行きましょう」
扉が開く。
向こう側には人間界。
見慣れた日常。
俺は一歩踏み出した。
こうして。
長かった神書界での療養生活は終わりを迎えた。
熊川先輩を送り届けた後、うちは聖堂の長椅子に座っていた。
一人になった神書界は妙に静かだった。
「……終わったぁ」
ぐったりする。
だが———
安心している場合ではない。
「やばい」
ぼそりと呟く。
「やばいぞ……」
机の上には大量の楽譜。
舞の資料。
剣舞の構成案。
衣装案。
神々から届いた書類。
その全てに共通して書かれている文字。
天奏祭———
天界で行われる重要な祭典。
そして———
かつてユナが毎年出演していた舞台。
「舞……」
遠い目になる。
「剣舞……」
さらに遠い目になる。
「練習してない……」
数千年ぶりである。
正確にはユナとしては問題ないのだろう。
だが中身は月田優奈だ。
「いや無理では?」
誰もいない聖堂で呟く。
返事はない。
「ルミと踊るんだよね……」
頭を抱える。
「エルと剣舞するんだよね……」
さらに抱える。
そして。
ゆっくり立ち上がった。
「……練習しよう」
そう言って資料を見る。
数ヶ月後、天奏祭で大事件が起こることをうちはまだ知る由もなかった。




