023 ミシェルのお部屋
二階の廊下を進んですぐの執務室に姿を消したオズワルドさんを確認したところで、私達はウォルターさんと共に執務室そばの階段を上へあがった。
階段で昇ったのは二階分、最上階にあたる四回の奥の部屋で先を歩いていたウォルターさんが立ち止まって振り返った。
「お嬢様、お部屋の準備が遅れまして申し訳ありませんでした」
「構いません。ありがとう、ウォルター」
ミシェルのお礼の言葉を、お辞儀の姿勢のままで受け取ったウォルターは体を起こすと、両開きのドアの片側のノブに手を伸ばし、静かに開けていく。
わずかに漏れてくる光は柔らかい。
ミシェルに抱きかかえられて部屋に入ると、客室と同じように薄手のカーテンが引かれ、直射を遮っているのが分かった。それでも、良く晴れた日差しは十分に部屋を柔らかい光で包んでいた。
部屋はだいぶ大きい正方形で、中庭に面した壁にだけ大きな窓が付いている。
入ってきた廊下を背中に左手側に小さな扉があって、その横に大きめなワードローブが一竿、鏡のついた机とスツールが置かれていて、部屋の中央には長細いテーブルをはさむようにソファが配されている。
そして、実にミシェルらしいと思ったのが、右手の壁一面を覆いつくす本棚と蔵書の数々だ。
うん。一応女の子らしく可愛らしい小物も所々にあるんだよ。真っ白で細めの羽ペンとか、綺麗な花の絵が描かれた陶器製の小さなツボとか、でも、とにかく、部屋の壁一つを占領する想定のしっかりした本の数々が女の子らしさを押しつぶしてしまっている。
それと、今更気付いたことだけど、私は会話はできても文字は読めないみたい。
平仮名やカタカナ、アルファベットなど、日本で目にするような文字は一つもないが、それでも文字だとわかるのは、小学校から度々、象形文字や現在の文字の成り立ちなどを学んだことがあるからだと思う。
はっきりとは断言できないけど、文字の雰囲気はルーン文字に近い気がする。
「やはり、ソフィア様は書物が気になりますか?」
頭の上から響くミシェルの声は少し弾んでいた。
「そうね。私のはこの文字が読めそうにないけど」
私がそう答えると、食い気味でミシェルが提案を口にした。
「で、では、私が文字をお教えしますわ!」
顔を見れないけど、すっごくキラキラとしているのがわかるほど明るい声に、私は素直に「ありがとう」とお礼で答えてみた。
「お、お任せください! ソフィア様ならすぐに覚えられますよ! では、最初は……」
そう言いながら、ミシェルが体全体を使って本を探し始めたので、私はそれを止める。
「はい、ストップ!」
「え?」
私の制止に驚いたような声を上げるミシェルに、私は溜息まじりに告げる。
「すぐに教えようとしてくれるのは嬉しいけど、今は休まなきゃダメよ」
「あ……」
私の言葉に、ミシェルは今思い出したとばかりに声を漏らす。
「もっと元気になったらしっかりと教えてもらうから、今日は休みなさい」
ぺちぺちと私を抱えるミシェルの腕を叩くと「そうですね」と同意の声が降ってきた。
それから、やや間を開けてから「絶対ですよ? 約束ですよ?」と念押しの言葉が追加された。
私が「もちろん」と頷きを付けて応えると、ミシェルは納得してくれたのか、踵を返して本棚の反対にある小さめな扉へと向かって歩き出した。
扉を潜った先は、先ほどの部屋よりは少し小ぶりな部屋……なんだけど、十分に拾い。キッチンにトイレ、お風呂に二部屋もついていた私の家が、多分二つは入る広さがある。
でも、ここ、多分、寝室だ。
部屋にはベッドと、先ほどの者と比べると小さめワードローブが置かれている。
隣の部屋もそうだったけど、このおそらくはミシェルの部屋に置かれている調度品は、全部飴色のやや明るめの木材で作られたものに統一されていて、余計な飾りはほぼない。
角や縁に沿って、ツタの葉を思わせる彫刻があしらわれている他は実にシンプルだ。
でも、その飾らなくともありのままで美しいという家具の数々が、持ち主であろうミシェルにすごくマッチしているのだから恐れ入る。なんというハイセンスなお嬢様なんだろう。
そして、私が寝室と思ったのは、部屋の中央に置かれた大き目のベッドを目にしたからだ。
ミシェルだったら十数人は寝られそうなほど広い。
使われている寝具は、布団から枕に至るまでほぼ白で統一されていて、一番上に掛けられているやや厚手のモノだけが花柄の生地で作られている。
いわゆるベッドを覆う天蓋が見当たらないのも、ここが寝室として設えられているからだと思う。
「では、ここでお待ちください」
私をベッドの横に置かれて丸いテーブルに載せると、ミシェルは手早く長い髪を束ねる。
ベッドの脇のチェストの引き出しを開けて、レース飾りのついた花柄のリボンを取り出した。
やや緩めに束ねた髪をリボンで縛ると、背中に手を伸ばして、身に着けていたワンピース型のドレスのボタンを外し始めた。
さすがにお嬢様の移動ということで、客間を出る際に着たシンプルなドレスだけど、手早い脱ぎ着の様子からして、普段から一人で身支度をしているんだろう。
私は何でも自分でやる優秀過ぎるミシェルを見ながら、身の回りにメイドさんがいて当然だと、実はメイドさん泣かせなんじゃないかと思わなくもない。
移動用のドレスを脱ぎ終え、現代日本ならそのまま外も歩けそうな程度の薄手のワンピース姿になったミシェルが、私の置かれたテーブルにセッティングされていた椅子の背もたれに、脱いだドレスを掛ける。
「お待たせしました。ソフィア様」
再び私を抱きかかえながら、ミシェルはベッドに向かい、綺麗にメイキングされたベッドへと滑り込んだ。
大きな枕に私の頭を乗せると、そのすぐ横に自分も横になり、自分ともども私にも布団を掛けた。
「お休みなさい、ソフィア様」
ほんのわずかに頬を赤らめて、囁く様に言うミシェルに、私は「お休みミシェル。いい夢を」と笑みを返した。
やがて、私を見つめていた大きな目が閉じられ、それからすぐにミシェルは寝息を立て始めた。




