021 天使の謝罪
歌う様に朝食メニューを報告してくれていたミシェルに、ウォルターさんから待ったがかかった。
「お待ちください。お嬢様」
「どうしました、ウォルター?」
急に声を掛けられて、小首を傾げるミシェルに、ウォルターは「恐れながら」と前置をして説明を始めた。
「あくまでこの老人の推測ではありますが、ソフィア様がお求めになっていた答えは、そうではないかと思われます」
「そうではない?」
ミシェルに聞き返されて、ウォルターさんは私に視線を向けた。
「人の記憶の曖昧さを言いたかったのではないかと……」
「曖昧さですか?」
あっこれ、この説明されている感じ、どうしようものすごく恥ずかしい。まだ、核心に突入してないのに、めちゃくちゃ恥ずかしい!
「申し上げにくいのですが、お嬢様の記憶力は突出して優れているのです」
「え?」
「料理人や給仕など食事を担当するものならまだしも、一カ月も前の献立など、普通は忘れてしまうものなのです」
ウォルターさんの言葉に、ミシェルが少し仰け反りながら「そ、そうなのですか!」と驚愕の声を漏らす。
「というわけで、普通は覚えておりませんよ、ソフィア様」
グフッ。
急に向けられたウォルターさんの満面の笑顔は、好々爺らしい穏やかさとやさしさの溢れるものだったというのに、失敗に終わった目論みをすべからく理解されて微笑まれるというのは、かなりの大ダメージだった。無論、精神的に……。
「あ、ありがとう、ウォルターさん」
動揺が完全に言葉に混じってしまったけど、とりあえずミシェルを見ると、彼女は彼女でなんかショックを受けていた。
「ミシェル、記憶力の高さは、とても素晴らしい能力だよ」
一応フォローのつもりでそう言ったんだけど、ミシェルと来たら、目をウルウルと潤ませてとんでもないカウンターを放ってきた。
「でも、せっかくのソフィア様のお話の流れを乱してしまって、私、どうしたら!!」
ごめん。
人選間違ったのは私だから、追い打ちは、追い打ちはやめて!!!!
心の底で財絶叫してから、私は極力平静を装う。取り乱すのも恥ずかしいし、変に大慌てで暴走すると娘大好きお父さんの怒りゲージがチャージされかねないからね。そういえば、うっかり忘れてたけど、この人形ボディーに入ったまま、人形壊されちゃうと、私死んでしまうんではなかったかしら……。
またもやかくはずのない冷や汗で背筋が冷える気がした。
「気にせずに、私の話をきいてください。アンのことをちゃんと考えましょう?」
「そ、そうでしたね!」
私の言葉に素直に頷くミシェルは、そのままアンへと振り返る。
「ごめんなさい、アン。今は貴女のことを話していたのに……」
ミシェルの謝罪に、アンは大慌てで「い、いえ、きになしぇらないでください。ミシェル様やソフィア様が私のことを考えちぇ、くれるだけで、とても嬉しいですから!」と言葉を返してきた。
ところどころ噛み噛みなのは、慌ててるのに加えて、幼くなったせいだろう。体を動かす感覚がずれたのか、10歳の頃は少し舌っ足らずだったのかはわからないけども……。
「と、ともかく、以前の記憶というモノは個人差はあるけれど、個人差はあるけど、忘れてしまうこともあるんです」
「は、はい」
私とミシェルが言葉を交わす間、誰もが黙っているので、何とも言えない気まずい空気が横たわる。私自身、何の茶番よ!と叫びたいくらいだ。でも、今は我慢しよう。我慢!
「私はその忘れてしまうような日常的な記憶が体……脳に、そして忘れえない強い記憶が心……幽体に刻まれるのではないかと思います」
私の言葉に頷くのはミシェルを覗く面々だ。一方で、記憶力が異常なミシェルさんは、まぁ、納得してなさそうな気配がする。
「私は、すべてが、その……幽体の方に刻まれているのでしょうか?」
ちらちらと周囲の目を気にしながら問うてくるミシェルに、私はどうしたものかと考える。
私の言っていることはあくまで推測だ。実際わかりやすく例えようとして失敗したばかりだ。下手に考えるのはよそう。
「いえ、個人差によって、日々の出来事に対する記憶力が高い人は稀にいます。だからと言って全てが幽体に刻まれているわけではなく。普通に脳に刻まれていると思います。ミシェルはその体に刻まれた記憶を検索する能力が高いんでしょう」
私の言葉の中で『普通』という単語に、ミシェルはほっと胸を撫で下ろしていた。貴族の令嬢という立場もあるし、ミシェルはことのほか『違う』ということに敏感なのかもしれない。
「どうも私の説明が良くなかったようですが、日常的な記憶は肉体に、感情に強く影響を与える様な記憶が幽体に刻まれるというのが、私の中の予測です」
私がそうして締めくくると、ミリアがそう言えばと、反応してくれた。
「言われてみれば、アンの鮮明な最近の記憶は、お嬢様の御病気やそれが治ったこと、ソフィア様の降臨でした。逆に昨日や今日のお仕事の内容はまるで……」
そう言いながらミリアは最後にフルフルと頭を左右に振った。
「なるほど、確かに強く記憶にとどめることを胸に刻むといいますな。正確には幽体に刻むという事だったわけですな」
ルーヴェンスは白いひげを撫でながらそんなことを言って笑った。
回復魔法と治癒魔法の違いで暴走していた姿なんて微塵も見せない。流石に大人だな。髭に一筋残る鼻血の後はアレだけど……。
「ただ、そう考えると肉体の若返りで失ってしまった記憶は戻らないわ」
私は言いながらゆっくりと立ち上がる。
しっかりとアンと視線を合わせたところで私は深く頭を下げた。
「アンさん。貴女の記憶も肉体が重ねた鍛錬も、不用意に奪ってしまいました。これは謝っても済む問題ではありません。貴女が望むように、私に……」
そこまで言って、私の言葉は途切れる。
「そんなこと言わないで、ソフィア様」
暗い視界にぽたぽたと何かが頬にあたる感触、やがて視線を動かせば、それはアンに抱きしめられ、彼女の涙を私の頬が受け止めているのだとわかった。
「火傷……すごく怖くて、その後も……鏡、見るの怖くて……でも、消えてた……消えてたんですぅ」
泣き崩れるアンの腕の中で私は、徐々に視界の中の天井が遠ざかっていくのを見た。
アンが泣き止んだらちゃんとお話を聞いてあげよう。
そう心に誓いながら、私は私のせいで迷惑をかけた皆に心の中で謝罪した。




