020 考察
ミリアも、オズワルドさんに問われれば答えないわけにはいかない。
恐る恐る口を開くが、遠目にもアンを抱きしめる手に力が籠っていくのが分かった。
まあ、直前のオズワルドさんの剣幕を見てればそうなるよね、うん。
「実は、アンの記憶が朧げなのです」
「何?」
ズイッとオズワルドさんの視線が顔ごと私に迫ってくる。また何かしたのかっていう視線はわかるけど、まだ、アンの記憶のことなんて知らない……ハズ。
いや、まさか、苦しい記憶も綺麗にしちゃったとか?
私がまたも背中に、幻覚なはずの冷たい湿りを感じていると、ミシェルが確認のための言葉を放つ。
「ミリア、具体的にどのような記憶があいまいなのですか?」
その言葉に自然と皆の眼がミリアに向かった。その視線に一瞬ピクリと体を震わせてから、今一度案を抱きしめると、ミリアは再び窺うように話し出した。
「最近の記憶は朧気で、逆に10歳くらいまでの記憶は鮮明なようです。火傷の記憶はあるそうですが、お屋敷での仕事の記憶は……」
フルフルと頭を振って、言葉を止めたところで、思わず私は「あー」と声を漏らしてしまった。同時に、今度は視線が私に集まってしまう。
「何かお気づきですか、ソフィア様?」
ミシェルにそう尋ねられて、私はどうしようかと、思わずオズワルドさんを見てしまう。その視線の意図を正しく理解してくれたのであろう彼は息を吐いた。
「もし、おわかりの事があれば、ご教授いただきたい」
直前のため息がどういう気持ちで履かれたかはわからないけど、頭を下げてくれたオズワルドさんに応えようと頭の中で考えをまとめる。
けど、その沈黙の間に、オズワルドさんはさらに言葉を続け始めた。
「思えば、私は娘のことに意識が向きすぎていたようだ。回復魔法と治癒魔法の研究は長く進展のない研究分野であったし、ルーヴェンスの課題でもある。新解釈の大発見を前にして平静でいろという方が無理な話であった。それにソフィア様とルーヴェンスの討論は、恐ろしく高度であり、まさしく賢者の頂を目指すものには有意義なものであった筈なのだ。だから……」
そう言って再び頭を下げようとするオズワルドさんを止める。娘さんの前でも、部下の前でもそんなにぺこぺこするもんじゃないと私は思うし、綺麗な言葉でまとめてくれているけど、単に周りも見えずに興奮していただけ、あんなのただの暴走だ。
なので、謝罪を重ねられると、逆に居心地が悪い。
「私とルーヴェンスの話が、それほどとも思えないですが、会話に熱が入りすぎて、周りが目に入っていなかったのも事実です。だから、もうこれ以上は謝らないでください」
「しかし……」
謝るなって言ってるのに、表情を曇らせたので、私はさっさと話題を変えることにする。
謝罪され続けるよりも、アンの謎を解明する方が当然楽しいに決まっている。学位や単位を修めちゃいないけど、オカルトなんてオタクや趣味の領域だとか言われそうだけど、それでも研究家なのだ。
「アンの事ですが、原因はやはり若返りだと思います」
私の断言に、謝罪体制だったオズワルドさんが動きを止めた。次いでミシェルが尋ねてくる。
「ソフィア様の魔法の効果ということですか?」
「魔法の効果に依るかと問われれば、答えはその通りとなるけど、記憶の消去を意図していたかというと、していないなってなるわ」
私の言葉でうまく伝わったかわからないけど、ミシェルは眉を寄せ可愛く唸っている。
そこに、復活したてのルーヴェンスがよろよろとしながらも加わってきた。
「魔法そのものに記憶に関する効果は含めなかったものの、体が若返ってしまったせいで記憶にも影響が出てしまったといった感じですかな?」
ルーヴェンスの言葉に、私は「まさしく」と頷く。
だが、それはミシェルをさらに盛大に悩ませたようだ。
「待って下さい。何故、体が若返ると記憶が失われるのですか? 若返るのは肉体であって、幽体は関係ないのではありませんか?」
その質問に私は思わず「ん?」と聞き返すように言葉を漏らしてしまう。
すると、真面目なミシェルは言葉足らずでごめんなさいと詫びてからさらに詳細に言葉にしてくれた。
「記憶は幽体に宿るはずなのに、なぜ肉体の変化が関係あるのかとお聞きしたかったのです」
ようやくミシェルの言葉の中に、私と彼女たちの世界のズレを見た私は、素直にそれを伝えることにする。
「私達の世界では、記憶は頭、つまり脳に刻まれていくとされているの」
「脳に刻まれる?」
驚いた様子のミシェルに頷きながら、私は例を上げてみた。
「例えば、日記帳に日々日記を綴るのと同じことね」
「つまり……その日記帳を白紙に戻してしまったから……」
即座にルーヴェンスからの推論の言葉に頷きで応える。
「でも、ソフィア様。だとしたら、朧気でも記憶があるのはなぜですか?」
そう、そこは私も疑問に思ったんだけど、割と答えは簡単だった。
クリオネだ。
クリオネボディの時、私の日本での記憶は曖昧だった。でも、すべてを忘れていたわけでもない。
記憶に関しては何を基準にどんなものが残るのかはわからないけど、クリオネボディーにも記憶と意思は存在していた。ただまあ、幽体イコールクリオネボディかは、仮説の域を出ないので明言はやめておこうと思う。
なぜなら、ミシェルもルーヴェンスも、私の言葉を真実だと思い込んでる節があるのだ。あくまで私の学説……いや、思い付きでしかない部分を、真理として捉えられては困る。のちの研究にも悪影響を与えかねない。なので、少し吟味してから言葉を選んだ。
「これは私の世界でもはっきりと結論が出ている話ではないことを最初に言っておきます」
私の言葉にミシェルとルーヴェンスだけでなく、その場の全員が頷いた。どうやら会話には入ってこないけど、ちゃんと聞いてくれているみたいだ。
「まず、先ほど記憶は脳に刻まれると言いましたけど、他の臓器……心臓や肺などにも宿るという説もあります。実際に移植……他者の体に臓器を移したことで、移された側が元の臓器の持ち主の記憶を得たり、あるいは元の持ち主の性格に変わったりという事例もあります」
「い、いしょく……ですか?」
ルーヴェンスの驚愕の表情に、私はここでの細かい話は避けようと簡潔に答える。
「病気治療法の中に、健康な人の臓器の一部を、患者の悪い臓器の代わりとして移植することで回復させるというモノがあるのです。私は専門家ではないので詳細はわかりません」
そう言い切ると、ルーヴェンスはあえて続きを求めることも、より詳しくと問いを重ねることもなく引き下がった。
「さらに、幽体にも記憶が宿るのだと思います」
ミシェルがコクリと頷く。
「天使様や精霊様は幽体に近い存在と聞きますから、私もそうではないかと思います」
どうやら、クリオネボディと幽体はセミイコールだったみたい。弾って意思なくてよかったよ。なんて思いつつ私はさらに考えを披露することにする。
「先程、肉体の記憶を日記に例えたのは覚えていますか?」
「はい。もちろんです」
ミシェルの明るくはっきりとした返事に私は大きく頷く。
「では、日々生活する中で、ふと大きな出来事、印象的な出来事を思い出したりしますか?」
「え? はい、もちろんあります」
質問の意図がうまくつかめなかったらしいミッシェルは戸惑いながらも頷いた。
「例えば、一カ月以上前の朝食のメニューを思い出せますか?」
「はい、大麦のパンに、炒った卵、それと、あの日はアスパラとベーコンの炒め物も出ましたわね。それから……」
あーそうだねー、いるよねー記憶が完璧な人……目論見が瞬時に崩壊した私は、事細かに説明を楽しそうに続けるミシェルを見て、呆然とするしかなかった。
ミシェル、どんだけ属性持ってるのよ。




