第九十七話 壊してはいけない核
三つの口が開いた。
正面から見れば、どれか一つを避けても残りが届く。
中央の頭が俺の左肩へ噛みつき、右の頭は腰を狙う。見えない右側から来る牙を、ノアの青い火が先に照らした。
身体を沈める。
腰の上で歯が鳴り、中央の牙だけが肩の鱗へ食い込んだ。防具の布が裂け、HPが三千七十まで落ちる。
痛みより先に、胸部金具へ左手を入れた。
中には黒い線だけでなく、青い脈がある。
三つの喉から来る命令線と、床へ沈む太い一本が同じ金具に絡んでいた。
「千紘、青い方は」
「待って。今切らないで!」
保守溝から声が飛ぶ。
中央の頭が肩を振り回した。牙が鱗を滑り、俺の身体が胸元から引き剥がされる。
床へ落ちる前に、ガルの黒い鎖が足へ絡んだ。
巻き取り機が動く。
俺とガルが同時にケルベロスの方へ引かれた。
『回収』
『拘束』
『帰還』
頭ごとに違う声なのに、耳の中では一つの命令へ潰れていく。
従えと言われた内容ではなく、従うのが当然だという感覚だけが身体へ入ってきた。
右手が勝手に下がる。
抵抗するために歯を食いしばっても、腕は止まらない。首を下げれば楽になると、知らない考えが混じった。
「在真!」
千紘が俺の名を呼ぶ。
それでも動きは戻らない。
ガルはもっと長く、これを受けてきた。
そう考えた途端、腹の奥が熱くなった。竜脈に沿って熱が肩から手へ戻り、下がりかけた右腕が床を殴る。
命令が消えたわけではない。
聞こえたまま、従わない。
「俺を連れていくなら、勝手にやれ」
鎖をつかみ、逆に胸部金具へ引き寄せる。
ケルベロスの三頭が別々に踏ん張った。巨体が一歩だけ前へ滑る。
ノアが右の頭へ走った。
短剣は牙へ届かない。代わりに自分の右腕を口輪へ押しつけ、黒い帯の下の火を流し込む。
「十二年前の残り、返す」
右の口輪が青く焼けた。
ノアの腕からも同じ臭いが上がる。皮膚の焼ける臭いだった。
右頭が悲鳴を上げ、《追跡》の声が途切れる。
ガルの鼻先がノアから外れた。
「一つ止まった!」
千紘が格子を蹴り開け、広間へ下りる。
「来るな、まだ――」
「聞こえないと切る場所が分からないでしょ」
左頭の鎖が千紘へ伸びる。
彼女は避けず、打音器を床へ打ちつけた。《音界地図》にMPを二十使い、打音を胸部金具から床下へ沈む青い脈まで通す。
千紘の顔が歪んだ。鼻から血が落ちる。
「黒い三本は命令。青い一本は、獣舎全部の呼吸につながってる」
「黒だけなら切れる?」
「金具の奥。青を囲んで、三本が輪になってる」
見えている線をまとめて切れば、右耳のない一頭まで止まる。
一点を探す。
左頭が千紘へ噛みつくより早く、ノアが焼けた右腕を振った。青い火が横から口輪へ当たり、牙の向きを逸らす。
千紘は下がらない。
床をもう一度、今度は能力を使わず鳴らした。
ガルが反応する。
《拘束》の声と打音が重なった瞬間、左前脚を自分から引いた。鎖が一度だけ緩む。
その輪へ牙を掛ける。
一本目が切れた。
ケルベロスの左頭がガルへ向く。
俺の鎖も緩んだ。
胸部金具へもう一度手を入れる。
青い脈の外を、黒い三本が編んだ輪。そのうち一本はガルが切ったことで、結び目が右へずれていた。
右側は見えない。
「あと十センチ、右」
千紘の声に合わせ、指を動かす。
爪先へ、冷たい継ぎ目が触れた。
命令だけが合流する一点へ《断界》を通す。MPが三十減り、黒い輪が切れた。
三つの声が同時に途切れ、胸部金具から鉄の口輪まで亀裂が走った。
ケルベロスが倒れる。
ガルを引いていた残り二本の鎖も床へ落ちた。
中央の頭がまだ動いている。
俺は胸の青い脈へ手を伸ばしかけた。
「壊すな」
ノアと千紘の声が重なる。
手を止める。
青い脈は、倒れたケルベロスの心臓と同じ速さで動いていた。遠くでは、右耳のない獣の呼吸も続いている。
ガルが胸部金具へ噛みつく。
引き抜いたのは青い核ではなく、その周りに残る黒い外輪だった。
ノアが反対側を短剣で起こし、俺も両手を掛ける。
三方向へ引くと、外輪だけが剥がれた。
ケルベロスの三つの口輪が外れる。
中央の頭が目を開けた。
ガルは喉元へ牙を当てている。
噛み切らなかった。
ケルベロスも動かず、荒い息を一度吐く。
胸の青い核だけが残り、床下へ弱い光を送り続けていた。
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管理個体《回収統括ケルベロス》を停止しました。
レベルが48から50へ上昇しました。
最大HPが3,700から3,820へ上昇しました。
最大MPが1,160から1,200へ上昇しました。
未配分能力値を80獲得しました。
スキルポイントを2獲得しました。
現在HP・MPは回復しません。
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千紘の前にも表示が出る。
レベルは三十六。最大HP二千八百二十、最大MP九百八十。現在HPは二千四百六十、MPは七百八十のままだ。
俺の現在HPは三千七十。MPは六百七十。
レベル五十。
続けて、新しい表示が開いた。
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上位種族進化レベルへ到達しました。
《竜人》の上位進化条件が不足しています。
不足条件は表示されません。
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ガルは表示を見ない。
外れた黒い口輪を踏み、ケルベロスの中央の頭から牙を離した。




