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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十九章 ガルの帰る場所

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第九十五話 回収対象ノア

 ガルが消えた穴へ身体を入れる。


 肩が両側の石へ触れ、ヘルメットの縁が天井を擦った。右側は壁に近すぎて、顔を向けても距離が分からない。


「在真、待って」


 後ろから千紘の声がする。


「ガルを見てくる」


「一人で見える?」


 足が止まった。


 暗い穴を、片目で追えると思っていたわけではない。止める言葉が先に口から出ただけだ。


「来てくれ」


「うん。ノア、傷は」


「洗い終わった。布を巻けば動ける」


 千紘が穴へ入り、その後ろからノアも続く。右耳のない獣は連れてこない。格子の扉を開けたまま、戻れる場所だけ残していた。


「この先、知ってるのか」


「途中まで。十二番を運んだ時に一度だけ」


「帰還対象の保管区って何を置く場所?」


「人とか、魔物とか。回収したもの」


「物みたいに言うな」


「ここの呼び方」


 ノアの声が近くなった。言い返したのか、謝ったのかは分からない。


 穴は十メートルほどで広がり、コンクリートの通路へ変わる。


 迷宮の石ではない。壁には剥がれた塗装が残り、天井を細い配管が走っていた。ところどころに漢字と見たことのない文字が並んでいる。


 最初の部屋に、折れた角が積まれていた。


 次には子供用の靴と、刃の欠けた剣。


 その先の格子では、緑色の小さな手が床から伸びている。骨だけになった指の先に、錆びた工具が残っていた。


「ゴブリン?」


「たぶん。ここへ来た時には、もうこうだった」


 ノアは止まらない。


 保管されたのは魔物だけではない。人間の服、獣人用らしい穴のある上着、片方だけの長い耳飾り。どの檻にも番号はあるが、名前はなかった。


 一つの檻には、学校で使うような黄色い帽子と、オークの太い腕に合わせた革籠手が同じ棚へ押し込まれていた。


 何を基準に回収したのかは分からない。危険な魔物を閉じ込めた場所には見えず、逃げ遅れたものを、名前を外して並べたように見える。


 第一層で最初に殺したゴブリンの顔が、急に近くなった。


 あれがここから来た個体だったとは思わない。それでも、迷宮にいたというだけで敵の側へまとめたことはある。


 足元の骨を踏まないよう、通路の中央へ寄った。


 ガルの足跡が埃の上へ続いている。


 呼んでも返事はない。


「鈴、近くなってる」


 千紘が左耳を押さえた。


「一つじゃない。前から鳴って、後ろでも同じ音がする」


「挟まれてる?」


「追われてる感じじゃない。通った場所が順番に鳴ってる」


 俺たちの位置を知らせている。


 走ろうとして、左肩が壁へ当たった。狭さを忘れたわけではない。ガルの足跡ばかり見て、身体の幅を見ていなかった。


 痛みで一度息を止める。


「急がないで」


「急がないと、あいつが」


「在真が倒れたら、ガルを追う人が一人減る」


 千紘は俺の前へ出た。


 打音器は使わず、靴先で床を二度擦る。少し進んでは左手を上げ、右壁が張り出す場所を知らせた。


 俺はその背中を追う。


 先に行かれるのが嫌なのではなく、見える人の後ろへ入ることを、まだ毎回少し遅れて選んでいる。


 通路の終わりに、丸い部屋があった。


 ガルは中央へ立っている。


 その前に、子供ほどの大きさの光像が浮かんでいた。


 短い角が一本。痩せた腕。首には、金属の輪。


 今より幼いノアだった。


 額に角はまだない。片方を折った跡ではなく、そこには普通の皮膚しかなかった。


『対象N―01、東区画で再捕捉』


 天井から平坦な声が流れる。


『回収個体07を投入』


 光像の中で、黒い獣が廊下を走る。


 ガルより小さい。首輪から三本の鎖が伸び、天井の溝へつながっていた。


 幼いノアが転び、壁際へ追い詰められる。


 黒い獣は飛びかかった。


 けれど、噛まなかった。


 ノアを越えて背後の巻き取り機へ身体をぶつけ、三本の鎖を絡ませる。遅れて来た灰色の猟犬二頭が転び、その間に幼いノアが横の扉へ逃げた。


『命令不履行』


『回収個体07、再調整』


 映像が飛ぶ。


 三本の鎖で床へ伏せられた黒い獣が、一度だけこちらを向いた。首輪の下は血で濡れ、前脚の爪が何本か剥がれている。


『再調整先――第零回収経路』


『到着記録なし』


 光像が消える。


 俺は後ろを振り返った。


 ノアは入口に立ったまま、焼けた右腕を押さえている。


「覚えてたのか」


「映像は初めて見た」


「ガルに助けられたことは」


「追ってきた黒いのが、急に別の方へ走った。それだけ。顔なんか見てない」


「第零回収経路は?」


「私が生まれる前に閉じたって聞いた。あの映像がいつのものかも、ここじゃ当てにならない」


 ノアは額の角へ触れた。


「この時は、まだ人間だったし」


 ガルがノアを見た。


 ノアは半歩出かけ、焼けた右腕を胸元へ寄せた。近づかなかった。


「あの時の七番?」


 返事はなかった。


「助けられたって、今言われても」


 続きは出なかった。ガルも近づかず、光像が消えた場所の匂いを嗅いだ。


 天井の鈴が、まとめて鳴る。


 ガルの首から血が噴いた。


「ガル!」


 踏み出すと、黒い線が床から立ち上がる。細い鎖の形になり、ガルの首の古傷へ巻きついた。


『未帰還対象N―01を確認』


『回収個体07の再接続を開始』


 ガルの前脚が床へ沈む。


 目はノアへ向いた。


 ノアが腰の短剣を抜く。


「来るなら斬る」


「待て」


「待って噛まれたことがある」


 声が震えていた。


 ガルが一歩、ノアへ進む。


 俺は首へ手を伸ばした。


 前脚が胸へ当たる。


 爪は立っていない。それでも押された勢いで入口まで下がり、千紘とぶつかった。


「何する――」


 ガルは俺たちとノアの間へ身体を入れた。


 ノアへ向いたまま、後ろ脚で俺の足を押す。


「出ろってこと?」


 喉の奥から、途切れた音が返る。


 肯定には聞こえない。


 けれどガルは、ノアへ近づく代わりに、自分から奥の扉へ後退していく。


 黒い鎖も一緒に引かれた。


「ガル、待て」


 一度呼ぶ。


 耳は動かなかった。


 二度目を口にする前に、千紘が俺の腕をつかんだ。


「今は呼ばないで」


 命令の声と重なる。


 ガルは奥の扉へ入り、自分の身体で閉鎖板を押した。


 最後に見えたのは、こちらを見ない横顔だった。


 扉が閉じる。


 黒い鎖の音だけが、その向こうへ遠ざかっていった。

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