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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十八章 侵略者と避難民

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第九十三話 ガルが開けた門

 第七獣舎の観測は、その場では開かなかった。


 追跡信号が完全に止まってから一時間。記録室へ残ったのは俺と千紘、東條さん、レオン、それにガルだけになっていた。


 職員は階段の上へ退き、外部回線を外したカメラとロープを置いている。


「押せば開く、ではないんですね」


 東條さんが溝の上に浮かぶ文字を見る。


――――――――――


観測候補:第七獣舎


旧回収標識の保持者による接続承認を待機しています。


――――――――――


「保持者はガルか」


 俺が聞くと、表示は変わらない。


 ガルは金属片を前脚の下へ隠したまま伏せている。人間が何人で相談しても、そこだけは動かなかった。


「開けたいなら待つしかない」


「あなたにしては珍しく穏当ですね」


 レオンが言う。


「さっき靴で踏んだからな」


「穏当ではありませんでした」


 千紘に直される。


 東條さんは少しだけ息を吐き、階段の方へ手を上げた。上で待つ職員が持っていた接続準備の札を下ろす。


「今日は開かない可能性も含めます」


 その言葉に反応したのか、ガルが頭を上げた。


 金属片をくわえ、細い溝へ置く。


 今度は前脚を離さなかった。


 割れた輪の刻印から光が広がり、壁に黒い四角が現れる。祖父宅裏を映した門より小さい。人が一人、肩を縮めて通れるくらいだった。


 向こうは暗い。


 錆びた格子と、床へ敷かれた黒い藁だけが見える。


「第七獣舎?」


 千紘が問いかけても返事はない。


 代わりに、画面の外から荒い呼吸が近づいた。


 灰色の鼻先が格子の下へ出る。ホルン岬で助けた三頭より小さく、右耳が途中からない。首には金属の輪ではなく、何重にも巻かれた布があった。


 ガルが立つ。


 灰色の獣も顔を上げた。


 二頭は門越しに鼻を近づけたが、表面へ触れる直前で同時に止まった。


「七番?」


 奥から声がした。


 若い女が、格子の陰から出てくる。


 煤で黒くなった上着。左の額から短い角が一本だけ伸び、右腕には焼けた黒い帯を巻いている。第九十話の映像で、青い光を横へ逸らした腕と同じだった。


「ノアか」


 俺が言うと、女の足が止まる。


「薫から聞いた?」


「閉じる前に呼んでた」


「聞こえてたんだ」


「全部じゃない」


 ノアは俺より先に千紘を見て、それからガルへ目を戻した。


「その名前、七番じゃないの」


「ガル」


 千紘が答える。


「本人がそれで振り向くから」


 ノアは何か言いかけ、右腕の帯を押さえた。布の隙間から青い火が細く漏れている。


「薫と子供は」


「まだ生きてる。第三地下へ移した」


「灰色の連中は?」


「継続局。観測線は一回切れたけど、久世のどこかまでは絞られた」


 後ろでレオンの鉛筆が動く。


「継続とは、世界上書きの継続ですか」


「そう。こっちを残すために、そっちを空き地にする人たち」


「全員で移住するつもりではない?」


「人を運ぶんじゃない。街ごと、迷宮ごと、上から置き換える」


 ノアは格子へ背を預けた。右腕から漏れた青い火が、巻いた布の下へ戻っていく。


「逃げたい人もいる。止めたい人もいる。止めたら身体が崩れる人もいる。三十一年もあれば、同じ側なんて残らないよ」


 説明の続きを待っても、ノアは黙った。


 右耳のない獣が咳き込み、黒い藁へ顎を落とす。ノアはすぐにしゃがみ、その首の布を緩めた。


「その一頭は」


「管理から外した。外したら、獣舎から出られなくなった」


「治療できる人を送れる」


 東條さんが言うと、ノアは首を横へ振る。


「まだ人を増やさないで。継続局は人数を数える」


「では、何を求めていますか」


「薬と水。それから、七番――ガルが通るなら、三人まで」


 ノアは言い直したが、ガルの耳は動かなかった。


「なぜガルが条件になる」


「第七獣舎の帰還路は、回収標識がないと物を通さない。私の標識は焼いた」


 黒い帯を少し持ち上げる。その下に、割れた輪と数字を削った痕があった。


「そっちから開けば、追跡されないのか」


「される。だから九十秒で切る。こっちの線は私が途中で焼く」


「信用できると思う?」


「思わなくていい。でも、久世の門をもう一度開けるよりはまし」


 ガルが門の前へ一歩出た。


 ノアは手を伸ばしかけ、途中で止める。ガルも鼻先を近づけない。


「覚えてる?」


 ガルは答えず、前脚で金属片を押した。


――――――――――


第七獣舎から帰還路の再起動要求を受信しました。


接続時間:90秒


通過上限:旧回収標識保持者を含む四体


――――――――――


「四人じゃなく、四体」


 千紘が言いながら立ち上がる。もう補助索を腰へ回していた。


「行く気か」


「在真だけ行かせる気はない」


「まだ何も言ってない」


「言う前に分かる」


 東條さんは止めなかった。代わりに床のカメラを拾い、細いロープへ結ぶ。


「先にこれです」


 ノアが門の向こうで格子を開ける。


 カメラを押し込むと、黒い表面に抵抗はなかった。ロープを一メートル送り、すぐ引き戻す。映像は途中で一度乱れたが、機材もロープの印も変わっていない。


「三人目は」


 東條さんが聞く。


「今から増やさない」


「では、在真さん、千紘さん、ガル。接続が乱れたら即時帰還。現地側の住民をこちらへ通す判断はしないでください」


「患者が死にそうでも?」


 東條さんは答えるまでに少し時間を使った。


「通せばこちらの場所が確定する状況なら、現地処置を優先してください。私がそう決めたと伝えて構いません」


 綺麗な命令ではなかった。


 俺はロープの端を腰へつなぐ。千紘が結び目を確かめ、余った端を自分の金具へ通した。


 ガルは待たない。


 金属片をくわえたまま黒い面へ入り、向こう側の藁を踏んだ。


 残り八十一秒。


 千紘が先に境界へ片足を入れ、床の音を確かめる。


「立てる。右に壁、左に檻」


 俺も続く。


 鼻の奥へ、獣の匂いと古い消毒薬が同時に入ってきた。


 こちら側より三十一年長く使われた獣舎で、ガルは振り返らなかった。

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