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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十八章 侵略者と避難民

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第九十二話 返してはいけない音

 二回、間を置いて一回。


 床下の音は、六十四秒後にまったく同じ間隔で繰り返された。


 千紘は打音器を膝へ置いたまま、腕時計を見る。


「今の、前と同じ?」


「同じ。ずれてても、私には分からないくらい」


 人が叩いているなら、少しは急いだり迷ったりする。


 薫か蓮が助けを求めている可能性を捨てきれないせいで、二度目の音の方が耳に残った。


「返さないのか」


 入口側にいた職員が聞く。


「返して、あれが灰色の連中だったら?」


「ですが、子供の合図かもしれません」


「だから迷ってる」


 俺が言うと、職員は口を閉じた。


 正しい答えを持っているわけではない。床の下にいる誰かを見捨てているのか、こちらを守っているのかも分からなかった。


 三度目が来る前に、階段の上で車輪の音が止まる。


 レオンは折り畳み椅子へ座ったまま、職員二人に持ち上げられてきた。灰海から帰って歩けるようにはなっていたが、浮力の感覚が残る日は足裏が床から離れるという。


「自分で来るって言い張ったらしい」


 東條さんが後ろから下りてくる。


「映像を送らない判断をしたのはあなたでしょう。なら、見る人間もここへ来るべきです」


「《観測》は使うなよ」


「言われなくても」


 レオンは少し間を置いた。


「今日は、使いません」


 言い直したのは、使いたくなったからだと思う。


 職員が床から離した小型マイクと、古い波形記録器を並べる。ネットワークへつながっていない。紙へ針で線を残す型だった。


 四度目の打音が来る。


 二回。一回。


 レオンは紙を切り取り、最初の記録と重ねた。


「人間ではありません」


「断定できる?」


「三つとも、強さも間隔も同じです。石を叩く音ではなく、接続先があるか確認する信号でしょう」


「返したら?」


「こちらからの往復時間を測れます。門を閉じても、座標を狭められる」


 千紘が打音器を袋へ戻した。


 鳴らさなくてよかった、とは誰も言わなかった。


「薫さんたちは、これを知ってたのかな」


「知っていたから閉じろと言ったんでしょう」


 レオンが答え、それから眉を寄せる。


「ただし、彼女が追跡側でない証明にはなりません」


「子供を置いて囮にしたって?」


「可能性の話です」


「その言い方、嫌い」


「私もです」


 レオンは重ねた紙をずらした。ずれのない三本の線が、一つずつ見えるようになる。


「でも、嫌いな可能性ほど、先に消さない方がいい」


 千紘は返事をしなかった。


 ガルは少し離れたところで、腹の下へガーゼを敷いていた。首へ当てる代わりに自分の体重で押さえ、血のついた毛を時々そこへ擦っている。


 東條さんが獣医を呼ぶか聞いたが、俺が答える前に牙を見せられた。


「呼ばないそうです」


「せめて薬だけ上へ置かせます」


 そこへ、千紘が監視映像の端末を引き寄せた。


「最後の声、もう一回だけ見ていい?」


 外へ出さない条件で残した映像を、音量を下げて再生する。


 門が閉じる直前、薫の口が動く。


 潰れた音を何度聞いても、俺には人の叫びにしか聞こえない。千紘は左耳のイヤホンを外し、端末の小さなスピーカーへ近づいた。


 五回目で止める。


「ノア」


「人の名前?」


「たぶん。薫さんの後ろで青い光を横へ逸らした人がいる。その人に言った」


 映像を一コマ戻す。


 灰色外套の先頭から放たれた光は、門へ真っすぐ伸びたように見えた。けれど閉じる寸前だけ、途中でわずかに折れている。


 薫の背後。崩れた柱の陰から、細い腕が出ていた。


 助けたのか、別の場所へ誘導したのかは分からない。


「地下にいた人?」


「右にいた四人の一人。途中から薫さんの近くまで動いてた」


 千紘は端末から耳を離した。


「それ以上は聞こえない」


 レオンが映像へ顔を寄せる。右手が何度か膝へ動き、《観測》を使う時の形になったが、指を握って戻した。


「腕に何か巻いている」


 映像では黒い帯にしか見えなかった。


 ガルが立つ。


 端末へではなく、壁の手前にある浅い窪みへ近づいた。


 記録室には十個の核が収まっている。その横に、昨日までなかった細長い溝が一つ増えていた。青い追跡残響が床下へ潜った先でもある。


 ガルはくわえていた金属片を、溝の前へ落とす。


「入れるのか?」


 ガルは俺を見ない。


 前脚で金属片を押す。先端だけが溝へ入り、割れた輪の刻印が青白く光った。


 床下の機械的な打音が止まる。


 代わりに、金属片の奥から荒い呼吸が聞こえた。


 ガルのものではない。もっと高く、何度も喉へ引っかかっている。


 千紘が立ち上がる。


「一頭いる」


「ホルン岬の三頭か」


「違う。遠い。間に、扉がたくさんある」


 文字が溝の上へ浮かんだ。


――――――――――


旧回収標識を確認しました。


帰還番号:07


帰還先記録:第七獣舎


観測候補へ追加します。


――――――――――


 ガルが低く吠えた。


 喜んだようには聞こえなかった。


「第七獣舎は、向こう側ですか」


 東條さんの問いに、表示は答えない。


 レオンが椅子から立とうとして、足が床から浮いた。職員が肩を押さえるより先に、ガルがその椅子の脚へ前脚を置く。


 椅子ごと床へ戻る。


「助かりました」


 ガルは礼を聞かず、金属片をくわえ直した。


 けれど、溝からは離れなかった。

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