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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十八章 侵略者と避難民

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第九十一話 閉じた門の跡

 門が消えても、床に落ちた青い光は消えなかった。


 髪の毛ほどの細さで石の継ぎ目を這い、ガルの前脚へ向かっている。


「ガル、下がれ」


 牙を見せたまま、動かない。


 俺は赤土のついたロープを放り、光の進路を塞いだ。青い線は布を避け、今度は俺の靴へ曲がる。


 迷っている時間はなかった。


 左足で踏む。


 靴底から、冷たい針を刺されたような感触が上がってきた。光は床ではなく、その下にある細い継ぎ目を走っている。


「切る」


「待って。在真の足からも伸びてる」


 千紘が俺の腰をつかみ、半歩だけ後ろへ引いた。青い線の端が靴の内側へ回り込む。


 見えている一本ではない。


 床と靴底をつないだ、その一点へ意識を絞る。


――――――――――


《断界》Lv.1を使用しました。


MPを30消費しました。


――――――――――


 足裏で細いものが弾けた。


 青い光が二つに切れ、ガルへ向いていた側だけが灰になって崩れる。もう半分は門の跡へ逃げようとしたが、黒い床へ三センチほど染み込み、そこで止まった。


 右の死角へ入ったので、身体ごと向き直る。


「まだある?」


「音は止まった。でも、そこだけ床の響きが違う」


 千紘が指した場所を靴先で擦っても、青は戻らない。


 ガルが近づき、鼻を寄せた。


「触るな」


 低く唸られた。


「お前に言われたくない」


 ガルは灰を一度嗅ぎ、くしゃみをした。それから、何もなかったように前脚で床を掻く。


 首から落ちた血が、灰の横へ一滴だけ落ちた。


 千紘が腰の袋を開く。


「ガーゼ出す」


 ガルは彼女の手元を見たが、逃げなかった。傷へ触れようとはせず、畳んだガーゼを床へ置く。ガルはそれを鼻先で端へ寄せた。


「また開いたの?」


 返事の代わりに首を振る。黒い毛の奥で、輪になった古傷の一部だけが裂けていた。


 ホルン岬で笛を聞いた時のように、傷の内側まで黒くはなっていない。けれど、青いものが残っていないかまでは分からない。


 顎の下の毛に、細い金属片が引っかかっていた。


 俺が指を近づけると、ガルは先に前脚で押さえる。錆びた板には縦傷が七本と、途中で割れた輪の刻印があった。


「向こうで取ってきたのか」


 鼻先が記録室の北側を向く。


 回収猟犬のどれかについていたものかもしれない。ガル自身の古い首輪から落ちたものではないことだけは、断面の新しさで分かった。


「七番」


 口にした瞬間、ガルの上唇が上がった。


 俺へではない。消えた門の跡へ牙を見せている。


「嫌なら、その呼び方はしない」


 耳が一度だけ俺へ向いた。


「ガル」


 今度は牙を戻した。


 名前を選んだつもりで呼び始めたわけではない。喉の音を適当に短くしただけだ。それでも、番号よりはましだったらしい。


「最後、何て言ったか聞こえた?」


 千紘はすぐには答えず、門があった壁へ片耳を寄せた。


「二文字か三文字。最初は、たぶん『ノ』」


「ガルの名前じゃないって分かったのに?」


「呼ばれた時の音が、こっちじゃなかった。薫さん、ガルを見てたけど、叫んだのは後ろの誰かに向けてたと思う」


 俺には全部、閉じる音に潰れて聞こえた。


 ガルはもう壁を見ていない。記録室の入口へ向き、誰かが来る前から喉を鳴らしていた。


 遅れて、複数の足音が階段を下りてくる。


 先頭にいた東條さんは、俺たちの泥だらけの装備を見ても何も言わなかった。門の跡とガルの首を一度ずつ確かめ、後ろの職員を手で止める。


「映像は」


「外部へは出していません。ここの監視記録だけです」


「複製を止めて。回線から切り離した端末へ一つ。残りは触らないで」


 職員が返事をする前に、東條さんは床の灰へしゃがんだ。


「これが向こうから来たものですか」


「物は通ってない。光だけです」


「光で床が変色しています」


「追うための線だと思う。切った」


 東條さんは俺の靴を見る。


「直接?」


「靴越しです」


「それを先に言ってください」


 叱る声ではなかった。だから余計に、あとから足の裏が冷えてきた。


 職員が透明な箱を持ってくる。床ごと削り取ろうとして、ガルに唸られた。


「待って」


 千紘が壁へ向いたまま言った。


「下に何かある」


 全員の足が止まる。


「青い線?」


「分からない。さっきまでなかった音。石の下を、ゆっくり回ってる」


 東條さんが削り取りを止めさせた。


「門を開き直せますか」


「今はやらない」


「分かりました。では、開けないまま調べます」


 反対されると思っていたせいで、返事が一拍遅れた。


 東條さんは端末をこちらへ向ける。監視映像の最後の数秒が静止していた。


 薫の右袖にある、割れた輪の印。


 拡大された像を見たガルが、床を一度だけ爪で叩いた。


 そのあと、押さえていた金属片を前へ出す。同じ形の輪が、錆の下に刻まれていた。


「同じものか」


 俺が聞いても、ガルは動かなかった。


「写真だけ撮らせてもらえますか」


 東條さんが端末を持ったまま一歩近づくと、ガルは金属片をくわえて下がった。


「今は無理です」


「見れば分かります」


 東條さんはそれ以上近づかず、拡大した薫の袖だけを保存した。


 代わりに千紘がしゃがみ、青く変色した床へ打音器を近づける。鳴らす直前で手を止めた。


「これ、叩いたら向こうにも聞こえるかもしれない」


「まだつながってる?」


「細いのが一本。薫さんたちの方か、灰色の人たちの方かは分からない」


 東條さんは職員の端末を閉じた。


「場所を知っている人間は、この部屋にいる人数だけにします」


「上には?」


「向こう側と接触した事実は報告します。場所と映像はまだ出しません」


「隠したって、あとで揉めますよ」


「ええ。私が先に揉めてきます」


 東條さんは立ち上がり、入口側へ二人を残して階段を戻っていった。


 ガルは追わなかった。


 床の下を回る音は、俺には聞こえない。


 千紘は打音器を握ったまま、鳴らさずに待っている。


 しばらくして、石の奥から二回。


 少し間を空けて、もう一回だけ返ってきた。

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