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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十七章 観測門

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第八十九話 十個目の窪み

 北側の穴が開いても、ガルは来なかった。


 代わりにマティアスの声が無線へ戻る。


『三頭とも地上へ出した。二頭は処置中、一頭はゴブリンと入口に残っている』


「ガルは」


『こちらにいる。来た道を見ている』


 短い返事のあと、獣の呼吸らしい音が入った。


 呼べば来る距離にいる。


 それでも、呼ばなかった。


 イングリッドが空になった弾倉を落とし、新しいものを入れる。


「私は北へ戻る。外は私たちがどこにいるか分かってない」


「南へは行かないのか」


「行きたい。でも、サミュエルを置いたまま別の国へ行ったら、たぶんマティアスに殴られる」


 アミナが顔を上げた。


「私じゃなくて?」


「あなたは先に刺すでしょ」


「分かってるなら早く運んで」


 アミナはバジリスクへ刺した槍を抜かず、サミュエルの担架を作り始めていた。ジョセフの石になった手も、そのままでは北の狭い穴を通せない。


 残る二人だけで南へ入るのは、合理的とは言えない。


 俺が穴を見ると、千紘は水筒の残りを確かめた。


「今から、来るなって言う?」


「言っても来るだろ」


「今回は聞くかもしれない」


「聞くのか」


「聞いたうえで決める」


 答えは変わらないらしい。


 アミナが赤土に汚れたロープを一本投げてくる。


「持っていって。戻ったら返して」


「戻らなかったら」


「返せないんだから、聞く意味ないでしょ」


 綺麗な励ましはなかった。


 俺と千紘は南側の穴へ入った。


 十歩ほどで熱が抜け、濡れた土の匂いへ変わる。


 頭上から水が落ちているのに、服は濡れなかった。水滴は俺たちの肩へ届く前に横へ曲がり、暗い壁の穴へ吸い込まれていく。


 足元には苔がある。


 乾いていた。


「水の音、全部あっちへ取られてる」


 千紘が壁を指す。


 通路を抜けると、山腹をくり抜いたような巨大な空洞へ出た。


 段々畑に似た石の棚が下まで続き、その中央に一本の大木が立っている。幹は建物より太く、枝の半分は葉を失っていた。


 無数の根が石棚へ伸び、横へ流れる水滴を自分の身体へ集めている。


 トレント。


 顔らしい窪みはない。歩く足も見えないが、俺たちが入った瞬間、太い根が一本だけ持ち上がった。


「動かないで」


 日本語ではない女の声がした。


 翻訳機へ遅れて文字が出る。


 右側の石棚から、三人の人間が姿を見せた。全員、泥で元の服の色が分からない。


 先頭の女は短い黒髪を布で押さえ、片手に測量棒、もう片方には錆びた水道弁を持っていた。


「足元の白い根を踏まないで。水を探してる」


 俺は上げかけた右足を戻す。


 靴の先に、糸ほどの白い根があった。


「日本から来た大月。在真だ」


「ルシア・キスペ。ペルー側の調査班」


 女――ルシアは測量棒を下ろさず、俺の後ろへ目を向けた。


「二人だけ?」


「途中に別の班がいる」


「なら呼ばないで。この木、人が増えると根を増やす」


 歓迎も追及もせず、ルシアは石棚へしゃがんだ。


 そこには円い金属蓋が半分埋まっている。根が何重にも巻きつき、中央だけが青く光っていた。


 最後の欠損中継核だ。


「取ろうとした?」


「三回。最初は根が増えた。二回目は上の村の水が止まった。三回目は、あの人が落ちた」


 ルシアの後ろにいる男は、左脚を木の板で固定していた。


「核を守ってるのか」


「逆かもしれない」


 錆びた水道弁を、根の間へ置く。


「核が水を横へ引いて、木が全部集めてる。木を切れば水がどこへ行くか分からない。核を抜けば、根が枯れて棚が崩れる」


「じゃあ、どうする」


「先に水の道を戻す。できなくて困ってる」


 質問に答えたあと、ルシアは俺たちの能力を聞かなかった。


 立ち上がり、二段下の石棚へ降りていく。俺と千紘も続いたが、白い根を避けるたびに足の置き場が狭くなる。


 最下段には、石造りの水路があった。


 水はない。


 壁へ三つの弁軸が並び、中央だけが根に飲まれている。ルシアが持っていた弁は、左側から外したものだった。


「左を開けても空。右は途中で塞がってる。中央は回らない」


「音、見てもいい?」


 千紘が聞く。


 ルシアは先に打音器を見た。


「大きい音は根が寄る」


「一回だけ。小さくする」


「何が分かる?」


「水が残ってる場所。たぶん」


 ルシアは少し迷い、自分の測量棒を水路へ横たえた。


「これを鳴らして。奥まで同じ金属が入ってる」


 千紘は打音器で、棒の端へ軽く触れた。


――――――――――


《音界地図》Lv.1を使用しました。


MPを20消費しました。


――――――――――


 俺には、硬い音が一度しただけだった。


 千紘は目を閉じ、壁ではなく足元へ顔を向ける。


「右の奥に水がある。塞がってるんじゃなくて、上へ曲げられてる」


「核へ?」


「途中までは。中央の弁の後ろで二つに分かれて、一つが木、一つが……南」


 最後の言葉で、ルシアが振り返った。


「南の村へ続く水路がある。今は乾いてる」


「たぶん、そこ。弁の裏へ薄い壁が重なってる」


 中央の軸へ触れる。


 錆と根の感触しかない。


 それでも《断界》を意識すると、石壁の内側へ別の薄い面が浮かんだ。空間の境界というより、水路を間違った方向へ折り畳んだ継ぎ目だった。


 切れば水は戻るかもしれない。


 同時に、木へ届いている水も減る。


「木はどれくらい持つ」


 ルシアは大木を見上げた。


「知らない。聞けないから」


「根は?」


「水が来れば自分で選ぶ。来なければ、私たちが何を考えても同じ」


 トレントの根が一つ、水路の底へ触れた。


 俺たちの話を理解したのか、水の気配を拾っただけかは分からない。


「切る」


 ルシアは頷かなかった。


 中央の弁軸へ両手をかける。


「切れたら回す。あなた一人で決めたことにはしない」


 残る二人も、足場の悪い水路へ降りてきた。脚を固定した男は上に残り、白い根が増えないよう石棚から離れている。


 千紘は大木の方へ戻った。


「水が来たら言う。根が動いても」


「届かなかったら」


「それも言う」


 俺は中央弁の後ろへ右手を当てる。


――――――――――


《断界》Lv.1を使用しました。


MPを30消費しました。


――――――――――


 薄い面が裂けた。


 すぐには何も起きない。


 ルシアが弁軸へ体重をかける。錆が落ち、半周だけ動いて止まった。


 二人が加わる。


 俺も押した。


 根が手首へ巻きつく。


 締め上げるのではなく、弁と一緒に同じ方向へ引いた。


 軸が回る。


 壁の奥で、重い水音がした。


 次の瞬間、右の水路から泥水が噴き出した。


 膝を取られ、石壁へ背中を打つ。ルシアも流されたが、根が腰へ回って水路の外へ持ち上げた。


 水は中央で二つに分かれる。


 一つは乾いた棚を下り、南側へ流れた。


 もう一つは、トレントの根元へ入る。


「来た!」


 千紘の声が上から落ちる。


「根が、水の方へ戻ってる」


 核を包んでいた太い根が緩み始めた。


 大木は歩かない。


 礼を言うこともない。


 ただ、水を吸った側から葉のない枝が持ち上がり、円い金属蓋を覆っていた根を一本ずつ退けた。


 ルシアが先に蓋へ近づく。


「村へ水は?」


 無線へ耳を当てる。


 雑音のあと、誰かの泣き声と、勢いよく流れる水音が聞こえた。


 ルシアは目を閉じた。


 安心したようには見えたが、すぐ蓋へ手を置かなかった。泥だらけの指で無線の音量を下げ、負傷した仲間へ何か返す。


 それから俺へ場所を譲った。


「持っていって。水がまた止まったら、取り返しに行く」


「場所は」


「聞いてないの?」


「連絡先」


 ルシアは少しだけ口元を緩め、自分の無線番号を紙へ書いた。


 俺が金属蓋の中央へ触れる。


――――――――――


欠損中継核を収容しました。


保有迷宮核:10


《観測門》の開放条件を満たしました。


攻略評価によりレベルが46から48へ上昇しました。


最大HPが3,580から3,700へ上昇しました。


最大MPが1,120から1,160へ上昇しました。


未配分能力値を80獲得しました。


スキルポイントを2獲得しました。


現在HP・MPは回復しません。


欠損中継核のため、継承候補はありません。


第零迷宮への帰還経路を開きます。


――――――――――


 水路の上に青い扉が現れた。


 HPは三千二百二十のまま。MPは七百九十まで減り、未配分能力値は二百四十、スキルポイントは四十四になっている。


 千紘にも停止評価が届いていた。


 レベルは三十四。最大HP二千七百、最大MP九百四十。現在HP二千四百六十、MP八百二十、未配分能力値百六十、スキルポイント三十二。


「すぐ戻る?」


 千紘が聞く。


 青い扉は第零迷宮へ続いている。


 その前で、俺はルシアを見る。


「そっちの帰り道は」


「水路沿いに東へ出る。入口の石化が戻ればだけど」


 トレントの根が、石棚の南へ伸びていた。乾いた苔の色が、少しずつ濃くなっている。


「先に行って。私は水を見る」


 ルシアはそう言い、負傷者のいる棚へ戻った。


 俺と千紘が青い扉を抜ける。


 足元の泥が、記録室の灰色の床へ落ちた。


 十個の窪みがすべて光っている。


 中央の地球儀は重なるのをやめ、欠けた方だけが壁際へ移っていた。その前に、今までなかった黒い門が立っている。


 ガルはまだ戻っていない。


 東條とレオンも、記録室にはいなかった。


 千紘が門へ近づく。


「向こうで、何か叩いてる」


「人か」


「小さい手。たぶん」


 黒い面へ、内側から五本の指が触れた。


 子供の手ほどの大きさだった。


 こちらの音を聞いたのか、二回叩く。


 千紘が同じ間隔で返す。


 黒い門の表面が薄くなり、崩れた建物と赤黒い空が浮かんだ。


 向こう側にいた子供が、千紘の耳を見て目を見開く。


 その後ろで、大人の声がした。


 子供の身体が乱暴に引かれ、代わりに銃口が門へ向けられた。

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