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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十七章 観測門

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第八十七話 向こうから開いた扉

 熱風の奥から、三回、二回と金属を叩く音がした。


 沈降駅で神崎たちが使っていた合図と同じだった。


「人がいる」


 千紘は開いた通路の前へ寄り、すぐ耳当てを上げた。


「四人。近いのは三人で、一人は……呼吸が変」


 返事をするため、イングリッドが床の短槍を拾う。ゴブリンの一体が柄をつかんだ。


 二人で引き合いになった。


「借りるだけ」


 翻訳機はゴブリンの言葉を拾わない。イングリッドは自分の胸を指し、短槍で床を三回、二回叩いた。


 ゴブリンの指が緩む。


 同じ合図が、熱風の向こうから返った。


 今度は一回多い。


「最後の一つ、何だ」


 マティアスが聞く。


「たぶん急げって意味」


「たぶんで通るな」


「じゃあ、ここにいる?」


 イングリッドが短槍を返そうとすると、ゴブリンは受け取らなかった。代わりに、通路を指してから、灰色の回収猟犬のそばへ座る。


 ガルも動かない。


 外れた首輪を前脚で押さえ、傷口を舐めている。黒茶の一頭はまだ立てるが、残る二頭はすぐに運べる状態ではなかった。


「行かないのか」


 ガルへ聞く。


 顔も上げない。


 俺が通路へ一歩近づくと、耳だけが動いた。それでもついてこない。


 あれだけ先へ行ったのに、今はここを選ぶ。


「在真」


 千紘が急かさずに呼ぶ。


 熱風の向こうで、何か大きな羽音が重なった。


 俺はガルの首へ手を伸ばしかけ、やめる。


「ここにいるなら、勝手にいなくなるなよ」


 自分で言ってから、無理な言葉だと思った。


 ガルは一度だけ鼻を鳴らした。


 マティアスが救急袋を下ろす。


「私は残る。地上班と、この三頭を外へ出す」


「こいつらも」


 イングリッドがゴブリン二体を見る。


「本人たちが出るならな」


 マティアスは捕縛具を出さなかった。ゴブリンの短槍を隅へ寄せ、代わりに水の袋を床へ置く。


 イングリッドは先に熱風の通路へ入った。


「三人で行く。向こうの四人と合わせれば七人」


「誰が決めた」


「今」


 千紘が俺を見た。


「私は行くよ。音が一人分、弱くなってる」


 止める理由を考えている間に、また羽音がした。


 今度は近い。


 俺たちは一本の補助索で腰をつなぎ、通路へ入った。


 壁は数メートルで岩へ変わる。足元のコンクリートも途中で途切れ、赤い土と乾いた草が混じり始めた。


 距離の感覚がおかしい。


 ホルン岬の海風は背中へ残っているのに、前から差す光は真昼に近い。十歩進むごとに季節が変わっていくようで、防寒着の内側へ汗が流れた。


 千紘が足を止める。


「来る。上から三つ」


 空を見上げた時には、一体目が降りていた。


 人間に近い胴体へ、褐色の翼と鉤爪を持つ魔物。


 ハーピー。


 俺ではなく、補助索を狙っている。


 イングリッドが短槍を振る。穂先は翼を外れたが、索に伸びた爪を叩き落とした。


 二体目が右上を横切った。


 見失う。


「在真、しゃがんで!」


 千紘の声で膝を落とす。


 頭上を風が裂き、爪がヘルメットの縁を掠めた。振り向いた時には、ハーピーは赤い崖の方へ上がっている。


 三体目は来ない。


 代わりに、人間が落ちてきた。


 土色の防具を着た男が、片足をハーピーにつかまれたまま空中で振られている。片腕は動いていなかった。


「索、外す」


 俺は腰の金具を開いた。


 千紘は止めず、余った索を両腕へ巻く。イングリッドも後ろから同じ索を踏んだ。


 ハーピーが足を離す。


 男の身体が落ちた。


 俺は崖際から踏み出す。


――――――――――


《空歩》Lv.1を使用しました。


MPを40消費しました。


――――――――――


 一歩目を空中へ置き、落下する男の防具をつかむ。


 重い。


 右肩が上がらず、左腕へ重さが偏った。縫った場所が引かれる前に二歩目を下へ作り、崖壁へ靴をつける。


 上から補助索が張った。


 千紘とイングリッドが同時に引く。男の身体を先に崖上へ押し上げ、俺は岩へ左肘をついて這い戻った。


 赤い土が口へ入る。


 咳をした瞬間、乾いた銃声が二つ続いた。


 一体目のハーピーが翼を畳み、地面すれすれまで落ちる。撃ったのはイングリッドではなかった。


 崖の向こうから、網が飛ぶ。


 傷ついた翼を包み、魔物を岩へ引き落とした。


「伏せて! まだ一体いる!」


 翻訳機から女の声が遅れて届く。


 細い槍を持った獣人の女が、崖下から駆け上がってきた。額から頬へ白い線を引き、頭には丸い獣耳がある。


 彼女は俺たちを見ても速度を落とさず、倒れた男の脇へ膝をついた。


「サミュエル、聞こえる?」


 返事はない。


 女は男の口元へ耳を寄せ、次に俺へ手を出した。


「アミナ。あなたは?」


「大月在真」


 握手だと思って右手を出すと、手首をつかまれた。


「脈はある。運ぶのを手伝って」


 俺の脈ではなく、男を指していた。


 イングリッドが後ろで笑いかけ、残る羽音に気づいて銃口を上げる。俺とアミナはサミュエルの防具を左右から持ち上げた。


 赤い岩の陰まで二十メートルほどだった。


 そこには、もう二人いた。一人は石化しかけた左手を胸へ吊り、もう一人は黒い布を両腕で広げ、円い金属板へ被せ続けている。


 風で布がめくれるたび、下から陽光が鋭く返った。


「鏡?」


「中継器。光を集めて、下へ送ってる」


 アミナはサミュエルを日陰へ寝かせ、彼の動かない腕を腹の上へ置いた。


「六分前に北側の壁が開いた。そっちが何かした?」


「一つ目の核を止めた」


「核?」


 翻訳機が遅れ、アミナは聞き返すより先にサミュエルの防具を緩めた。知りたいことと、今やることが同じ順番ではないらしい。


 黒い布を持つ男が英語で何か叫ぶ。


 翻訳機には《もう支えられない》と出た。


 千紘は打音器を一度だけ鳴らした。


――――――――――


《音界地図》Lv.1を使用しました。


MPを20消費しました。


――――――――――


「上じゃない。岩の裏へ降りた。こっちを見てない」


「巣へ戻った?」


 アミナが短く聞く。


「もっと下。大きいのが動いてる」


 赤い崖の底で、乾いた地面が持ち上がった。


 最初は岩に見えた。


 長い胴が土を割り、鱗の間から白い光を漏らす。頭だけで小型車ほどあり、閉じていた瞼がゆっくり開いた。


 アミナが俺の顔を地面へ押した。


「目を見るな!」


 反対側の崖で、逃げ遅れたハーピーがその目を見た。


 翼の先から灰色へ変わる。


 石になった身体が、音もなく崖下へ落ちた。


 俺たちが通ってきた穴の周囲にも、同じ灰色が広がっていく。


 通路が閉じるより先に、ホルン岬側からガルの遠吠えが一度だけ届いた。

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