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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十七章 観測門

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第八十六話 帰還番号七

 三つあった金属音が、二つになった。


 ガルの鼻先が上がる。


 次の瞬間には、黄色い規制布を腹で押し切っていた。


「ガル!」


 止まらない。


 崖へ埋まった入口は半分だけ開き、黒い身体をそのまま呑み込んだ。濡れた爪跡の上へ新しい泥が散る。


 俺は接触棒をつかみ直した。


「外周までじゃなかったの」


 千紘の声は責めるより早く、もう入口へ向いている。


「聞いてなかった」


「聞いてた。従わなかっただけ」


 イングリッドが規制布の杭を抜き、入口脇へ放った。


「話は歩きながらにして。うちも入る」


 マティアスが彼女の肩をつかむ。


「装備班を待つ」


「待ってる間に、一つ止まった」


「だからだ。生体音とは限らない」


「なら確かめる」


 イングリッドは肩の手を外さなかった。マティアスの方が先に離し、自分のヘルメットをかぶる。


 無線の向こうでは、東條が何か言っている。海風と入口の反響が重なり、半分しか聞き取れない。


『――追加班を――』


「ガルを追う。入口から位置を送る」


『大月さん、待ってくだ――』


 そこで通信が切れた。


 迷宮へ入ったからではない。


 内側から金属扉が落ち、現実側の光ごと塞いだ。


 暗闇の中で、千紘の手が俺の左腕へ触れた。縫い直した場所を避け、肘の上だけをつかむ。


「前、四メートル。ガルは右へ曲がった」


 俺はライトを点ける。


 通路は古いコンクリートで、両側へ鉄格子が並んでいた。床の排水溝には獣毛と黒い砂が詰まり、海の近くなのに腐った水の臭いがこもっている。


 最初の檻は空だった。


 次には、切れた首輪と白い骨がある。


 奥で短い悲鳴が上がった。


 ガルのものではない。


 四人とも走り出したが、足並みは揃わなかった。イングリッドが先へ出て、マティアスは壁の表示をライトで拾いながら追う。千紘は俺の右側へ入ったものの、天井から垂れた鎖の音に顔を上げた。


「上にも巻き取り機がある。三つ……止まった一つだけ、戻ってない」


 角を曲がる。


 広い獣舎の中央で、ガルが鉄の首輪へ噛みついていた。


 檻の中には灰色の四足が倒れている。ガルより一回り小さく、濡れた毛の下で脇腹だけが動いていた。


 向かいの檻には二頭いる。


 一頭は立っていた。もう一頭は、天井から伸びた鎖に首を吊られかけ、前脚だけで床を掻いている。


 三つ目の音が細くなる。


 ガルは噛んだ首輪を引きちぎれない。後ろから近づいた小柄な影が、曲がった短槍を振り下ろした。


 ゴブリン。


 俺が声を出すより先に、ガルが肩からぶつかる。ゴブリンは格子へ叩きつけられ、槍を落とした。


 反対側からもう一体が飛び出す。


 イングリッドの銃声が狭い獣舎を裂いた。


 弾はゴブリンではなく、足元の短槍を弾いた。マティアスが二体目の腕をつかみ、そのまま床へ伏せさせる。


「殺すな!」


「撃ってない!」


 ゴブリンは床へ頬を押しつけられたまま、奥を指した。


 獣舎の最深部に、大きな影が立っている。


 人間の倍近い肩幅。灰褐色の皮膚へ革の前掛けを巻き、片手には鉄槌、口元には黒い笛をくわえていた。


 オーガだった。


 笛が鳴る。


 聞こえたのは、息の抜ける低い音だけだった。


 ガルの四肢が沈む。


 首の古傷が黒く浮き、前脚が床を掻いた。檻の二頭も同じ方向へ顔を向け、吊られた一頭は苦しむことさえやめる。


 オーガが鉄槌で床を叩いた。


 ガルがこちらを向いた。


 琥珀色だった目の奥に、細い青線が走っている。


 身体が低くなる。


 飛びかかる前の姿勢だった。


「ガル」


 呼んでも耳が動かない。


 オーガがもう一度笛へ息を入れる。


 ガルの後脚が床を蹴った。


 右から来た。


 顔だけでは追えず、黒い肩が視界へ入った時には近すぎた。俺は左へ避け、接触棒を横へ出す。


 噛みつくはずの牙が、棒の手前で止まった。


 ガルの身体は震えている。目は俺ではなく、檻の中の二頭へ向いていた。


 命令に従っているのに、噛まなかった。


 俺は棒を捨て、ガルの首へ右手を伸ばした。


「おまえが今やろうとしてる方を、忘れるな」


 何を選んだかは、俺が決めることじゃない。


 それでも、ガルが入って最初に噛んだのは俺ではなく首輪だった。


――――――――――


《記憶固定》Lv.1を使用しました。


対象:ガル


固定内容:現在の固有名/本人が保持する現在の目的


目的照合:成立


有効時間:10分


MPを40消費しました。


――――――――――


 首の黒い痕が消えたわけではない。


 ガルは俺の掌を振り払い、今度はオーガへ向き直った。


 笛が三度鳴る。


 動かなかった。


「千紘、どこにつながってる」


「笛から上。鎖三本の奥で、一つになってる」


 天井の巻き取り機から、黒い筋がオーガの背中へ垂れている。笛の音へ合わせて三本が震え、そのたび檻の首輪が締まった。


 オーガが鉄槌を振り上げる。


 イングリッドは射線から退かず、天井の一番右にある留め金を撃った。


 弾が金属板を歪ませる。


 吊られていた一頭の鎖がわずかに落ち、前脚だけでなく胸が床へ触れた。


「もう一回!」


 マティアスが押さえていたゴブリンを離す。


 逃げると思った。


 ゴブリンは落ちた短槍を拾い、檻の錆びた蝶番へ突き立てた。もう一体も立ち上がり、肩を使って槍を押す。


 オーガの鉄槌が俺へ落ちる。


 横へ抜けきれない。


 両腕で受けた接触棒が折れ、残った衝撃が左肩から胸へ入った。


 息が潰れる。


 足は床についている。


 俺は衝撃を逃がさず、そのまま一歩踏み込んだ。使えば床の鎖まで揺れ、首輪をさらに締めるかもしれない。


 オーガの脇を抜け、背中へ垂れた三本の中央をつかむ。


 太い一本ではない。


 笛から来た命令が、三つへ分かれる前の細い継ぎ目が指に触れた。


――――――――――


《断界》Lv.1を使用しました。


MPを30消費しました。


――――――――――


 黒い筋が切れる。


 笛の音が、ただの空気になった。


 檻の中で二頭が同時に頭を上げる。ガルは床を蹴り、オーガの右腕へ噛みついた。


 鉄槌が落ちる。


 マティアスが柄へ肩を入れ、床まで押し切らせない。イングリッドは歪んだ留め金へ二発目を撃った。


 鎖が外れた。


 灰色の一頭が檻から転がり出る。立てないまま、それでもオーガの足首へ牙を立てた。


 ゴブリン二体が蝶番を折る。


 もう一つの扉が倒れ、黒茶の獣が飛び出した。


 誰にも命じられていない。


 三頭は別々の場所へ噛みつき、オーガの巨体を片膝まで沈めた。


 胸の前掛けが裂ける。


 その下に、首輪を束ねた円い金具が埋まっていた。


 俺が向かうより早く、ガルが金具へ噛みつく。


 一度では抜けない。


 灰色の一頭が横から首を入れた。黒茶の一頭も加わり、三つの顎が違う方向へ引く。


 金具が肉ごと外れた。


 オーガの身体から力が抜ける。


 倒れる前に、二体のゴブリンが下敷きにならない方へ走った。マティアスが俺の防具をつかみ、反対へ引く。


 巨体が床へ落ち、獣舎全体が一度だけ揺れた。


 外れた金具の中で、欠けた迷宮核が光っている。


 俺が触れると、空だった記録室の窪みが頭の奥へ浮かんだ。


――――――――――


欠損中継核を収容しました。


保有迷宮核:8


《観測門》開放条件:8/10


攻略評価によりレベルが42から44へ上昇しました。


最大HPが3,340から3,460へ上昇しました。


最大MPが1,040から1,080へ上昇しました。


未配分能力値を80獲得しました。


スキルポイントを2獲得しました。


現在HP・MPは回復しません。


欠損中継核のため、継承候補はありません。


――――――――――


 胸の痛みを確かめると、HPは三千二百七十まで落ちていた。


 ガルは表示を待っていない。


 倒れたオーガにも、俺にも近づかず、灰色の一頭がつけたままの首輪へ牙をかけている。黒茶の一頭はゴブリンのそばで伏せ、逃げようとはしなかった。


 助けたから、ついてくるとは限らない。


 ガルはそれで構わないようだった。


 首輪の留め具が外れると、灰色の獣は二歩だけよろめき、ガルの鼻先へ自分の鼻を触れた。


 奥の暗い通路で、別の扉が開く。


 外へ続く風ではなかった。


 熱く乾いた空気が流れ込み、知らない鳥の声が一度だけ聞こえた。


 記録室に残っていた、二本目の線だった。

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