↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十七章 観測門

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
86/121

第八十五話 ガルが選んだ門

 ガルは二日間、記録室から出なかった。


 水は飲む。父が持ってきた肉も食べる。ただし、空の窪みから鼻先を離さず、食べ終わるとまた北へ消えた線を嗅いだ。


「こいつが二日も同じ場所にいる方が珍しいな」


 父は空になった鍋を回収し、俺の横を通る時に声を落とした。


「連れていくのか」


「俺が決めることじゃない」


「そういう言い方を聞いてるんじゃない」


 ガルの耳が一度こちらへ向く。


 連れていくと言えば違う。置いていくと決めても、たぶん勝手に行く。


「行くなら、一緒に行く」


 父は何か言いかけ、鍋の縁を親指で拭った。


「母さんには、おまえから言えよ」


「何て」


「また海外です、犬も一緒ですって」


「犬じゃない」


「そこを訂正するな」


 先に廊下へ戻っていく。


 記録室には、東條とレオンも来ていた。


 東條は壁際へ置いた折り畳み机で、三地点の位置線と各国から届いた地図を照合している。迷宮の中でも紺色の上着を脱がず、袖口だけを二度折っていた。


 レオンはガルから離れた場所に座り、膝へ紙の資料を広げている。


 灰海から戻ってから、彼が《観測》を使ったとは聞いていない。資料の余白には、前なら頭の中で済ませていたはずの人物名が、会った場所と一緒に書き込まれていた。


「北の線は、これで合っています」


 レオンが一枚を床へ滑らせる。


 海岸の崖へ埋まった、低いコンクリート施設。入口周辺には錆びた檻が積まれ、壁へ同じ形の首輪が掛けられている。


 レオンが最初に持ってきた写真と同じだった。


「ノルウェー北部のホルン岬沿岸迷宮。六月に外周だけ調査され、内部の生体反応が増えたため封鎖されています」


 東條が地図を指で押さえた。


「管理はノルウェー側です。こちらの記録室が核を要求しても、所有権までは移りません」


「分かってる」


「大月さんではなく、そちらに言っています」


 視線の先で、ガルが空の窪みを爪で掻いた。


 灰色の床へ傷はつかない。それでも諦めず、同じ場所へ爪を立てる。


「現地は受け入れるそうです」


 レオンが言った。


 東條の眉が動く。


「まだ正式回答は届いていません」


「マティアスが責任者へ会いに行きました。正式回答は、そのあと届きます」


「順番が逆です」


「彼もそう言っていました」


「では、なぜ」


「イングリッドが先に装備を積んだからです」


 東條は口を閉じた。


 その二人なら、ありそうだった。


 千紘が記録室へ入ってくる。片手に新しいイヤホンの袋、もう片方には、玄関へ置いたはずの俺の靴があった。


「ガル、これ嗅いだあと、門の前まで行ってた」


 靴底へ青い砂がついている。


 第零迷宮の黒砂ではない。記録室の地球儀から漏れた線と同じ色だった。


「海外転移門、開けられるかもしれない」


 俺が立つと、東條も資料をまとめ始めた。


「許可が先です」


「試すだけだ」


「開けばガルが入ります」


 否定できなかった。


 海外転移門は、国内転移門よりさらに奥にできていた。円形の部屋は同じだが、床の縁へ七つの核を示す光が並び、中央の行き先表示は空白のままだった。


 ガルは入口で止まる。


 俺を待っているのではない。青い砂が、ここで途切れていた。


 千紘が片耳だけ新しいイヤホンを入れ、反対側を空ける。袋から出したばかりのコードが、防具の襟へまだ馴染んでいない。


「前の門より音が少ない。行き先が入ってないからかも」


「その靴を中央へ置いてみてください」


 レオンは部屋へ入らず、境界の外から言った。


 俺は片方だけ受け取り、円の中央へ置く。


 青い砂が靴底から離れた。


 床を三周し、北側で一つに集まる。


――――――――――


国外接続境界を照合します。


候補:


スヴァールバル氷原迷宮・地表境界


灰海迷宮・海上境界


ホルン岬沿岸迷宮・外周境界


第三候補は現地側承認を必要とします。


接続は開始されません。


――――――――――


「外周調査の記録だけで候補になった」


 東條は表示を撮り、すぐ誰かへ電話をかけた。英語で話し始めたため、細部までは拾えない。


 ガルが円へ前脚を出す。


 まだ門は開いていない。爪は何もない床へ触れただけだったが、空の窪みから返っていた低音が急に近くなる。


 千紘がイヤホンを外した。


「向こうにもいる。さっきより近い」


「檻のやつか」


「一頭じゃない。たぶん、三……途中で重なる」


 ガルの喉が震えた。


 返ってきた音は、俺にも聞こえた。


 獣の唸りではない。金属の輪を何度も壁へぶつける音だった。


 東條の通話が終わる。


「現地承認が出ました。無人試験のあと、百八十秒だけ開きます。ただし、今日は外周確認までです」


「中に入らないって意味なら分かった」


「言い方が気になります」


「入口の外に出るだけだ」


「ガルにも通じるように言ってください」


 俺はガルの前へしゃがんだ。


「向こうへ行く。けど、今日は穴の中までは入らない」


 琥珀色の目が俺を見た。


「聞こえてるやつがいても、だ」


 ガルは返事をしない。


 代わりに、千紘が俺の後ろで小さく息を吐いた。


「それ、入らない人の言い方じゃないよ」


「どこが」


「『今日は』ってつけたところ」


 自分で口にしておいて、そこは否定できなかった。


 試験用の樹脂箱が門を往復し、内部の温度計と封印を東條が確認する。現地映像には、海風で揺れる黄色い規制布と、防寒服を着たマティアスが映った。


 樹脂箱には、直人が組んだ記録器の片方も固定されていた。もう一台は門のこちら側に置かれ、時刻、気圧、振動を同時に残している。国内では消防と民間隊が同じ規格を試し始め、レオンが海外向けの仕様書を作った。直人自身は店を閉めず、作業台の端末から数値だけを追っている。


 その隣で、イングリッドが手を振っている。


『遅い』


 開いた境界越しに、最初の日本語だけがはっきり聞こえた。


 マティアスが彼女の肩を押し下げ、無線へ顔を寄せる。


『外周の檻が、十分前から鳴っている。中へ入った者はいない』


「こっちで線を出した頃です」


 千紘が答える。


『なら、向こうも待っている』


 ガルが境界へ入った。


 俺たちの返事より先だった。


 黒い身体が青い膜を抜け、海風に毛を逆立てる。マティアスが避け、イングリッドは伸ばしかけた手を自分で引いた。


 俺と千紘も続く。


 境界を越えた瞬間、潮と獣の臭いが鼻の奥へ刺さった。


 国内転移門の時にはなかった濃さだった。


 崖へ埋まった施設の奥で、金属が鳴っている。


 一つ、二つ、少し離れて三つ。


 ガルは規制布の手前まで走り、そこでようやく止まった。


 地面へ鼻をつける。


 入口へ向かう足跡はない。


 濡れたコンクリートには、内側から外へ出ようとした爪痕だけが、何本も残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。