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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十七章 観測門

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第八十四話 記録室

 日本へ戻った日の夜、千紘の段ボールが一つ増えた。


 灰海へ行く前から縁側にあった箱とは別で、今度は側面に台所と書かれている。本人はまだ引っ越しではないと言ったが、二階の空き部屋には着替えも置かれ、洗面所の棚からは俺の替えの歯ブラシが一本減っていた。


「それ、どこへやった」


「捨てた。毛先が開いてたから」


 千紘は台所の箱を開けたまま、振り向きもしなかった。


「まだ使えた」


「新しいの、横に置いてあるよ」


「勝手に捨てるなよ」


「じゃあ次から、捨てる前に写真送る」


 そういう話でもない。


 言い返そうとした時、左腕の包帯が箱の角へ触れた。痛みより先に指が開き、持っていた湯飲みを落としかける。


 千紘は音で気づいたらしく、腰を伸ばしてこちらを見た。


「それで記録室へ行く気?」


「見るだけだ」


「灰海でも聞いた」


「今回は本当に見るだけ」


「誰が?」


 答えずに湯飲みを置くと、千紘は箱から小鍋を出した。祖父の家にも同じ大きさのものがある。どちらを残すか比べるつもりらしいが、流しの横へ二つ並べたまま動かさなかった。


 帰還から六日が過ぎている。


 調査船で左腕を縫い直され、帰国後は第零迷宮の治療槽にも入った。背中の打撲と裂傷は閉じたものの、左手で重い物を持つとまだ指が遅れる。


 右肩は前から変わらない。右目も戻っていない。


 食事と睡眠で数値だけは最大まで戻り、灰海で得た能力値も昨日配り終えた。


――――――――――


名前:大月在真

種族:竜人

種族ランク:一次進化種

レベル:42


HP:3,340/3,340


MP:1,040/1,040


筋力:800


耐久:960


敏捷:705


器用:300


感覚:250


精神:465


未配分能力値:0


スキルポイント:38


称号:

《第零迷宮初踏破者》

《隻眼の攻略者》

《黒狼の盟友》

《沈降駅踏破者》

《世界杭攻略者》


固有スキル:

《継承》Lv.7


継承能力:

《断界》Lv.1

《衝撃分散》Lv.1

《空歩》Lv.1

《座標記録》Lv.1

《係留》Lv.1

《道標共有》Lv.1

《記憶固定》Lv.1


一般スキル:

《呼吸合わせ》Lv.1

《境目抜け》Lv.1

《足場読み》Lv.1


種族特性:

《竜鱗》

《竜脈》


――――――――――


 数値が上がったあと、廊下の角へ左肩をぶつけた。


 速くなった身体に慣れていないわけではない。ただ、踏み出した足が思ったより先へ出るようになった分、右側を見直す時の身体の向きがずれた。


 強くなれば、なくした視野まで埋まるわけではない。


「私も終わった」


 千紘が鍋を置き、指を折りながら読み上げる。


「筋力百四十、耐久三百五十、敏捷四百六十五、器用五百八十、感覚八百五十、精神六百八十。HP二千四百六十、MP八百六十」


「感覚には三十しか振らなかったんだな」


「今でも拾いすぎるから。増やせばいいって感じじゃない」


 空になった段ボールを畳もうとして、途中でやめる。


「これ、ガルが寝るかもしれないから置いとく」


「その大きさには入らないだろ」


「頭だけ入れて寝る」


 言われてみれば、前に一度やっていた。


 庭へ目を向ける。ガルはいつもの柿の木の下にいなかった。


 縁側には泥のついた足跡があり、開けたままの第零迷宮へ続いている。


「先に入った?」


「私が来た時から、ずっと中を気にしてた。止めても行くと思ったから、扉だけ開けた」


「言えよ」


「在真、昼まで寝てたでしょ」


 眠っている間に起こせとは言えなかった。


 俺は壁に立てていた短い接触棒を取る。鉈へ伸ばした手は、千紘に見られて戻した。


「見るだけなんでしょ」


「分かってる」


「じゃあ私も見るだけ」


 千紘は箱をそのままにし、水筒と打音器を持った。白いイヤホンはまだ壊れたままで、薄い耳当てを首へかける。


 第零迷宮の入口から入ると、外の蝉が急に遠くなった。


 攻略済みの第一層には照明が増え、黒い砂も通路の端へ薄く残るだけになっている。右壁へ肩を寄せて進むと、核保管室へ下りる階段の途中で、ガルの爪が石を擦る音がした。


 新しい扉は、倉庫の向かいに開いていた。


 金属でも石でもない灰色の板に、《記録室》と日本語が浮かんでいる。


 ガルはその前へ座り、低く唸っていた。


「開かないのか」


 声をかけると、こちらを一度だけ見る。


 鼻先は扉ではなく、床と壁の隙間へ向いていた。


 そこから細い青線が漏れている。


 沈降駅で見た接続線より暗く、ときどき奥へ引かれるように縮んだ。ガルは前脚で一度踏み、線がまた現れるのを待っている。


「この音、知ってるみたい」


 千紘がしゃがむ。


「ガルが?」


「違う。線の方。ガルが唸る前に、向こうから同じ低い音が返ってる」


 俺には何も聞こえなかった。


 扉へ触れる。


――――――――――


《記録室》を開放します。


閲覧可能記録:7


欠損記録:3


接続元照合:未完了


――――――――――


 板が中央から左右へ引き込まれた。


 冷たい空気ではなく、陽に焼けた金属の臭いが流れてくる。


 室内は祖父宅の六畳間ほどしかない。正面の壁へ七つの黒い窪みが並び、それぞれの奥で、これまで収容した迷宮核と同じ色の光が脈打っていた。


 その先に、空の窪みが三つある。


 ガルは俺たちを待たず、中へ入った。


 床の中央には、灰海で見た二つの地球儀が半分ずつ重なっている。完全な立体ではなく、青白い線だけで作られた像だった。


 欠けた方の地球へガルが近づく。


 首の古傷が痙攣した。


 俺は反射的に手を伸ばしたが、ガルは触れられる前に一歩退いた。牙を見せたのは地球儀へで、俺ではない。


「ガル」


 呼んでも近づいてこない。


 重なった地球儀の間から、三本の細い線が伸びる。


 一つは北大西洋。もう一つはアフリカ大陸の東側。最後の一つは南米の山地らしいが、国境も都市名も表示されなかった。


 空の窪みが、線と同じ順で弱く点灯する。


――――――――――


世界退避網・欠損中継核:3


中継核の収容により、接続元観測座標を復元できます。


《観測門》開放条件:


保有迷宮核 7/10


――――――――――


「あと三つ」


 千紘は地球儀より、ガルを見ていた。


「三つ取れば、向こう側が見えるってことか」


「見るだけかは書いてない」


 青線の一本が、北大西洋からさらに北へ滑った。


 雪原でも灰海でもない。崩れた海岸沿いの建物が、地球儀の内側へ一瞬だけ映る。


 壁際に、金属の檻が並んでいた。


 そのうち一つへ、首輪をつけた黒い四足が伏せている。


 ガルが床を蹴った。


 像は消えたが、遅れて届いた唸りだけが記録室の壁に残る。目の前のガルと、像の中の何か。二頭分だった。


 ガルは空の窪みの前へ鼻を押しつける。


 俺が触れようとすると、また避けた。


 それから一度もこちらを見ず、北へ伸びていた青線の跡を嗅ぎ始めた。

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