↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十五章 灰海迷宮

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
73/121

第七十二話 名前を忘れた男

 スヴァールバルから戻って十八日で、胸の痣は黄色くなった。


 息を深く吸っても痛みはない。右肩は前と同じ高さで止まり、左掌の傷も薄い線だけになっている。


 帰国までの移動中に、俺は未配分の百六十を筋力へ四十、耐久へ二十、敏捷へ四十、器用、感覚、精神へ二十ずつ振った。千紘も筋力へ二十、耐久へ四十、敏捷と器用へ三十ずつ、感覚と精神へ二十ずつ配分した。


 増えた最大値まで戻るには、そのあと十日ほどかかった。


――――――――――


名前:大月在真


種族:竜人

種族ランク:一次進化種


レベル:36


HP:2,920/2,920


MP:900/900


筋力:700

耐久:880

敏捷:630

器用:260

感覚:210

精神:435


未配分能力値:0

スキルポイント:32


――――――――――


 表示を閉じると、縁側に積んだ荷物が見えた。


 防寒着は返却済みだったが、洗っても落ちなかった氷の粉を調べるため、下に着ていた服だけが密封袋に残されている。その隣には石狩の防水ケース、首都環状迷宮で使った安全帯、千紘の耳当てが二組。


 攻略ごとに道具が増え、祖父の家へ戻す場所がなくなっていた。


「これ、私の部屋にも同じくらいある」


 千紘が耳当ての袋を持ち上げた。


「持って帰る?」


「今から?」


「置くなら棚を増やす」


「棚を増やしたら、私の物がここにあるのが普通になるけど」


 嫌なのかと思って顔を見ると、千紘は袋を持ったまま俺の返事を待っていた。


 エルフへ進化した耳は、髪を下ろしていても先だけが見える。帰国してから帽子を被る回数は減ったが、近所の人が来るとまだ髪を触って確かめていた。


「もう普通だろ」


「着替えと装備だけならね」


「ほかも持ってくる?」


「そういう聞き方する?」


「何て聞けばいい」


 千紘は耳当てを元へ戻した。


「そこから考えて」


 怒っているわけではない。少し口元が緩んでいる。けれど助け舟を出す気もないらしい。


 ガルが庭から上がり、二人の間へ鼻先を入れた。密封袋を嗅いで、すぐに顔を背ける。


「それは嫌なんだ」


 千紘が袋を遠ざける。


 ガルは代わりに彼女の手首を嗅ぎ、縁側へ伏せた。進化直後のような警戒はもうない。


 呼び鈴が鳴った。


 門の前には雨宮灯が立っていた。


 救急の制服ではなく、黒いシャツと動きやすそうなパンツ姿だった。左肩に大きな医療鞄を掛け、右手には透明な保冷容器を持っている。


「久しぶり。上がっていい?」


「どうぞ」


 灯は靴を脱ぐ前に、俺の胸を指した。


「先に診せて」


「もう治ってます」


「誰が言ったの」


「病院」


「ならあとで記録見る」


 居間へ入った灯は、座布団より先に保冷容器を卓上へ置いた。


 中には灰色の粉が入った小瓶が三本あった。


 燃えた木や紙の灰とは違う。細かい粒が瓶の底へ落ちず、薄い水の中を上へ漂っている。


「灰海のもの?」


 千紘が聞いた。


「もう名前を知ってるの」


「世界迷宮地図に出た。場所だけだけど」


 六個目の核を収めた翌日、第零迷宮の地図へ北大西洋の一点が増えた。


 海面の下に広がる灰色の空間。


 表示名は《灰海迷宮》。等級はA。世界杭線はスヴァールバルのものより太く、今のところ縮んではいなかった。


 灯が小瓶を一つ取り出す。


「最初は四国の沿岸迷宮。溺れかけた人の肺から出た。入口は瀬戸内で、中は普通の石造り。海もない」


 次の瓶には北海道、その次にはポルトガルの地名が書かれていた。


 場所も採取日も違う。


「北海道とポルトガルでも同じものが出た。燃えたものでも鉱物でもない」


「《毒性分離》にも?」


「ほとんど反応しなかった。少しだけ、白いものが分かれた」


 灯は自分の端末を卓上へ置いた。


 病室の映像が再生される。


 ベッドに座った四十代くらいの男が、透明な板へ文字を書いていた。手首には藤堂健一と印刷された患者帯が巻かれている。


『これは読めますか』


 画面の外から灯が聞く。


『藤堂。健一』


『ご家族は』


 男はペンを止めた。


 枕元には、小学生くらいの女の子と並んだ写真がある。


『娘さんのお名前は』


 唇が何度か動いた。


 声は出ない。


『顔は分かりますか』


『娘です』


『名前だけ?』


『名前だけ、何でか』


 映像の灯が、小瓶へ手を置いた。


『分けられるものがあるか試します。嫌なら止めます』


 男は頷いた。


 次の場面では、ガーゼの上に灰色と白色の粒が分かれていた。灯が《毒性分離》を使ったあとらしい。


『藤堂さん』


 男は顔を上げなかった。


『藤堂さん、聞こえますか』


『聞こえてます』


『お名前を言えますか』


 患者帯を見た。


 読もうとしたまま、男の目が止まる。


『これは、俺のですか』


 そこで映像は終わった。


 灯が端末を伏せる。


「私が悪化させた。白い方を分けたあと、自分の名前は戻った。でも娘さんの名前はまだ出ない」


 灯は伏せた端末から手を離さない。


「写真を見れば娘だと分かる。好きだった食べ物も、朝に機嫌が悪いことも覚えてる」


「文字だけ消えるのか」


「私たちは最初そう考えた。でも、ポルトガルの人は自分が教師だったことを忘れた。学校の場所と、生徒の顔は覚えてる」


 名前から始まり、その人を説明するものが少しずつ抜ける。


 レオンの《観測》の代償を思い出した。


 人間を名前より、数値や記録で見るようになる。


「レオンにも昨日見せた」


 灯は一度、瓶へ目を落とした。


「私を見て、二十四歳、救急救命士、毒性分離って言った」


 本人なら、雨宮灯という名前を知っている。


「すぐ戻ったけどね。観測は使ってないって言ってた」


 千紘が白いイヤホンを外した。


「灰の近くにいただけで、名前が抜けた?」


「三十分くらい。だから保冷容器に入れた。これでも完全に遮断できてるかは分からない」


 ガルが容器から離れ、庭へ下りた。


 写真の時と同じだった。嫌な匂いを見つけた時、吠えずに距離を取る。


「灰海へ行くんですか」


 俺が聞くと、灯は頷いた。


「明日の朝、北大西洋へ向かう調査船が出る。私は今夜の便で行く。呼ばれる前に申請した」


「症状を悪化させた側として?」


「そう。神崎さんと東條さんが、別々に同じ推薦を出した」


 灯は小さく息を吐いた。


「二人とも先に言ってほしかったけど」


「戻れる経路は」


「船まで。迷宮内は未確認。先行した無人艇は二隻とも戻った」


 灯が三つの救命胴衣を映した画面を開く。


「有人艇は三人のうち二人だけ。戻った二人は、残った一人が誰だったか思い出せない」


 人数だけは三人だと記録に残っている。


 映像にも、三つの救命胴衣があった。それでも氏名欄は最初から空白だったように、船の記録から一人分だけ消えていた。


 灯は容器を鞄へ戻した。


「私は止めないよ。二人とも来るなら、一緒に申請する。でも、治療役がいるから大丈夫とは思わないで。今度は、私が触るほど悪くなるかもしれない」


「それでも行くんですね」


 千紘が聞いた。


「行く。治せないって分かったところで、患者の横からいなくなるのは違うから」


 玄関へ向かう途中、灯は縁側の荷物を跨ぎかけて止まった。


「これ、片づけないと誰か転ぶ」


「棚を増やします」


「棚の前に部屋を決めたら?」


 千紘が灯を見る。


「何も言ってないです」


「そう」


 灯はそれ以上聞かずに靴を履いた。


 門の外へ出る前、今夜の集合場所と検査項目だけを俺たちの端末へ送る。来るかどうかは確認しなかった。


 車の音が遠ざかってから、千紘は縁側の袋を一つずつ分け始めた。


「灰海、行くよ」


「俺も申請する」


「私が決める前から予定に入れてない?」


「今は聞いた」


「ぎりぎり」


 耳当てとイヤホンは残す側へ置かれた。


 俺の家へ。


「さっきの話だけど」


「棚?」


「違う」


 言葉にしてから、帰れなかった時の約束に聞こえる気がした。


 それは嫌だった。


「灰海から戻ったらじゃなくて、戻ったあとも、ここで暮らすか」


「同じじゃない?」


「戻るための約束にはしない。大学も行くし、仕事をどうするかも決める。ガルの場所も空ける」


 庭でガルが顔を上げた。


「ガルはもう住んでるでしょ」


「じゃあ、俺たちの場所を決める」


 千紘はすぐに頷かなかった。


 押し入れを開け、祖父の布団と、俺が突っ込んだままの段ボールを見る。隣の六畳間には使っていない机が一つある。


「私、大学は卒業するよ」


「俺も、そのつもり」


「遠征に合わせて全部休む気もない」


「それも分かってる」


「家賃は」


 考えていなかった。


「取るの?」


「取らないのも変でしょ」


「じゃあ決めよう」


「あと、私の家にも二人で言う」


「分かった」


「在真のお父さんにも」


 そこだけ返事が遅れた。


 千紘が笑う。


「今の間、覚えてるから」


 端末が二台、ほとんど同時に鳴った。


 灯からではない。


 レオンが北大西洋の観測記録を共有していた。


 音声ファイルの題名には、採取した船員三人の名前が並んでいる。


 再生すると、波の音の向こうで男が点呼をしていた。


 一人目。


 二人目。


 最後は名前を呼ばず、長く息を吸う音だけが残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。