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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十四章 雪原の世界杭

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第六十七話 門を通る

 世界迷宮地図の雪原から、白い線がまた少し短くなった。最初に見た時は壁の目地二つ分あったものが、翌朝には一つ半まで減っている。


「六時間で十一パーセント」


 レオンが壁へ透明な定規を当てた。


「画像の拡大率は固定しました。表示自体が縮んでいます」


「抜けたらどうなる」


「分かりません」


 答えは早い。


「ただ、三年前の資料では世界杭を《地表層の固定》と訳しています。固定がなくなるなら、地表側に何か起きる」


「何か、ね」


 父が座布団の上で胡坐を組み直した。


 核保管室へ持ち込んだ折り畳み机には、ノートパソコンが三台並んでいる。東條は東京から画面越しに参加し、千紘は壁際でイヤーマフの位置を直していた。


 進化から三日。


 食事中に冷蔵庫の作動音で箸を止めることは減った。代わりに、俺が聞こえない音へ顔を向ける回数が増えている。


 俺も千紘も、HPとMPの数値だけは最大まで戻った。右脇腹を捻ればまだ痛み、千紘の耳も休めば治るというものではない。


「現地から来た位置情報は、スヴァールバル諸島北東部の氷河観測基地でした」


 レオンが地図を切り替えた。


 白い地形の中央に、赤い円がある。円の脇には低い建物が五棟と、雪へ半分埋まった円形遺構。映像で見た入口だった。


「送信者はイングリッド・ソルベルグ。地質調査官で、私が共有した資料を最初に保存した一人です」


『連絡は』


 東條の声がスピーカーから少し割れた。


「三時間前に切れました。最後の文章は《下の輪が地面から離れた》」


 画面に短い英文と翻訳が出る。


 その下には、基地側が独自につけた名簿があった。地上待機十六人。迷宮内部七人。負傷者一人。


「中へ入った七人に、ソルベルグさんも?」


 千紘が聞く。


「はい」


「何で地質調査官が」


「入口を三か月測った人だからです。入るなとは伝えました」


「聞く人なら、あなたの資料を保存してないんじゃない」


 レオンは否定しなかった。


 東條の画面へ、新しい参加者が入る。


 ノルウェー側の担当者だった。名前の下へ日本語字幕が出るまで少し間があり、その間にも男は話し続けた。


『大月氏の協力は求めます。ただし、迷宮核の国外移送は認めません』


「救助が先だ」


『承知しています。攻略後の核は現地政府が管理します』


「持って帰らないと、帰路を作れない場合がある」


『石狩で使った能力については報告を受けています。核を第零迷宮へ送る以外の方法を検討してください』


「検討してる間に線が短くなる」


 通訳字幕が追いつく前に、相手の表情が硬くなった。


 レオンが横から口を挟む。


「条件を一つ変えましょう。回収を許可するのではなく、現場指揮官に緊急停止手段を選ぶ権限を渡してください」


『あなたには発言権がありません』


「知っています。だから提案だけです」


 東條が額を押さえた。


『大月君。日本政府として、核を必ず持ち帰るとは約束できない』


「俺も、必ず持ち帰るとは言ってない」


『なら、行くのか』


 地図の白線を見る。


 中には七人いる。地上の十六人も、固定が外れた時に安全とは限らない。


「行く。ただし、向こうの指揮官が退けと言ったら退く。核を使わないと全員帰れない時は、その場で決める」


 ノルウェー側の男は何か言いかけ、口を閉じた。


『現地責任者へ伝えます』


 話がまとまったわけではない。


 それでも画面から男が消えると、東條は輸送計画を開いた。


『羽田を今夜出る。国内移動は車両を回すが――』


「門を試す」


 俺が言うと、父が黒い門を見た。


『人でか』


「最初は荷物」


『誰の許可で』


「こっちの入口は俺の家。向こうは第三換気坑の管理区域だろ。両方で立ち会えばいい」


 東條は十秒ほど黙った。


『試験用の箱を送る。人の通過は、その結果を見てからだ』


「分かった」


 通話が終わる。


 ガルは核保管室の入口に伏せたまま、雪原の映像を見ていなかった。北海沿岸の首輪写真を出してからは、レオンの端末へも近づかない。


「ガル」


 片耳だけが動いた。


「今回は行かない。ここにいてくれ」


 顔は上がらない。


 行かないと自分で決める前に、俺が決めた。


 言い直そうとすると、ガルが立ち上がった。門ではなく、世界迷宮地図の北側へ歩く。


 雪原の点を嗅ぎ、そのまま北海沿岸の別の点へ鼻先を移した。


 二つは離れている。


 ガルは雪原には反応せず、首輪があった方だけで歯を見せた。


「そっちへ行きたいのか」


 低く喉が鳴る。


 今度は命令せず、その低い音が途切れるまで待った。


 三時間後、第三換気坑側の準備が整った。


 国内転移門の前へ、父が園芸用の台車を押してくる。荷台には東條から指定された樹脂箱、水を半分入れた透明容器、温度計、無線機が固定されていた。


「落ちたら弁償、誰?」


「お前」


「押すだけで?」


「家の台車だろ」


 父は不満そうに箱の固定帯を引いた。


 千紘がイヤーマフを首へずらし、門の前へ立つ。


「向こうの音はまだしない」


「開けてないからな」


「だから、開いた瞬間を聞く」


 俺が《首都環状迷宮 第三換気坑接続境界》を選ぶ。


――――――――――


《国内転移門》を起動します。


接続先:

 首都環状迷宮 第三換気坑接続境界


接続維持時間:180秒

同一境界への再接続:24時間後


未確認者の通過安全を保証しません。


――――――――――


 黒い門の内側へ、物置から百キロ以上離れた換気坑のコンクリート壁が現れた。


 向こう側で、白い防護服の人間が三人こちらを見ている。中央に東條がいた。


『見えてる』


 門越しの声と、机のスピーカーから届く声が少しずれた。


「私も」


 千紘が耳を押さえる。


「二重に来る。通話、切って」


 レオンがノートパソコンの音声を止めた。


 父が台車を押す。


 前輪が黒い境目へ入っても、箱は傾かなかった。透明容器の水面だけが一度揺れ、そのまま換気坑の床へ出る。東條が温度計と封印を確認した。


「戻すぞ」


 向こうから押し返された台車は、同じ向きで核保管室へ戻った。


 箱の表面温度は一度下がっている。封印、時計、水量に変化はなく、無線機だけが通過した瞬間の記録を失っていた。


「人は」


 東條が門の向こうで聞く。


「俺から行く」


「待って」


 千紘が俺の上着をつかんだ。


「向こうの発電機、止められる?」


 東條が後ろを振り返る。換気坑の送風機が止まり、門の奥の音が減った。


「これなら大丈夫」


「お前はあとでもいい」


「あとで通ったら、誰が違いを聞くの」


 俺は先に境目へ左足を入れた。


 温度が変わる。


 胸と背中だけが一拍遅れて引かれ、次の瞬間には換気坑の床へ立っていた。右脇腹に痛みは出ない。


「問題ない」


 振り返る。


 門の向こうで、千紘が父にイヤーマフを渡していた。


「持って行かないのか」


「通る音が分からなくなるから」


 千紘は自分で門へ入った。


 境目の中央で足を止める。


 右手はこちら側へ出ているのに、左肩から先はまだ第零迷宮に残っていた。


「千紘?」


「聞こえる」


「何が」


「後ろ」


 門の維持時間が減っていく。


「いったん出ろ」


 千紘は前へ踏み出した。


 全身が換気坑側へ出た瞬間、膝へ手をつく。俺が腕を取る前に、自分で壁へ肩を当てた。


「閉じても、後ろに音が残ってる」


 門の中には、まだ核保管室が見えている。


 ガルは父の横にいなかった。


 世界迷宮地図の北側へ座り、こちらを見ている。


 残り二十秒で、レオンが大きな鞄を抱えて門を通った。最後に父が台車だけをこちらへ押し出し、自分は第零迷宮側へ残る。


「留守番、二回目な」


「肉は買い足しとけ」


「財布の話、聞いてた?」


 門が狭くなる。


 閉じる直前、ガルは俺ではなく地図へ顔を戻した。


 黒い面が消え、換気坑の壁になる。


 千紘はそこへ耳をつけたまま、しばらく離れなかった。


「まだ聞こえるのか」


「ううん。今、消えた」


 答えたあとも、耳は壁についたままだった。


 その夜、羽田の格納庫で防寒装備を受け取った。


 俺の上着だけ、角と背中の鱗を避けるため縫い目が開け直されている。千紘は厚い帽子を一度被り、耳へ当たる場所を指で押してすぐ脱いだ。


 レオンの端末が震えた。


 位置情報を送ったイングリッドではなく、現地基地の共用回線からだった。


 表示された写真には、雪へ半分埋まっていた円形遺構が写っている。


 昨日より高い。入口だけではなく、黒い石の輪が地表へせり上がっていた。その内側に、七人分の安全灯が小さく並んでいる。


 レオンが写真を拡大する。


「これは外から撮ったものではありません」


「じゃあ、誰が」


「迷宮が、基地の端末へ送っています」


 写真の下に、数字が一つ増えた。


 地上待機者十六人。


 迷宮内部、八人。

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