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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十二章 別の東京

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第五十七話 青信号の街

 信号が青へ変わっても、すぐには何も動かなかった。


 探査機の映像には、灰をかぶった道路と放置車両が映っている。風はなく、赤黒い空に浮いた雲も止まっていた。


「来る」


 千紘が言った。


 何が、と聞く前に、遠くでエンジンが掛かった。


 一台ではない。


 音は高架の上と下、ビルの間、地下へ沈んだ道路から順に増えていく。何年も置かれていたような車が、灰を落としながらヘッドライトを点けた。


 運転席は空だった。


「探査機を前へ出します」


 八代が端末を操作する。


「先に合流しないんですか」


 岩瀬が聞く。


「動く車に轢かれたら、俺らより高い物がなくなる」


「今は笑うところですか」


「半分くらい」


 八代の口元は動かなかった。


 現実側の壁が戻る気配はない。振り返っても濡れたコンクリートがあるだけで、灰色の筋も見えなかった。


 八代が短距離無線で東條を呼ぶ。返ったのは、低い雑音だけだった。


 進むしかない。


 床の履帯跡を踏み、狭い通路を一列で抜ける。


 先頭は岩瀬だった。短槍を右手へ持ち、壁へ残った水滴や天井の亀裂を一つずつ確かめている。八代は端末を見ながら続き、千紘と俺が後ろへついた。


 来た道へ足を戻さないため、立ち止まる時も靴の位置を変えない。


 それだけで歩幅がぎこちなくなる。


 出口の手前には、三十八号から消えたストレッチャーが横倒しになっていた。


 青い傷と管理札は残っている。


 岩瀬が短槍の石突きで車輪を止め、八代が側面を調べた。


「増えてる」


 管理札の下に、見覚えのない金属板が貼りついている。


『東京都災害退避庁』


『外周第七区搬送備品』


 小野が今日つけた傷の上から板が打たれていた。新しい板ではない。文字の溝には灰が入り、角は錆びている。


「持っていきますか」


「車輪が通った場所を、俺たちがもう一度通ることになる」


 八代は手を離した。


 自分の探査機なら追うのに、ストレッチャーは置いていく。


 出口へ近づくと、赤く濁った光がヘルメットの溝から入った。角の根元だけが熱くなる。


 外の道路は四車線あった。


 探査機は中央分離帯の手前で止まっている。残量は二十六パーセント。八代がしゃがみ、車体の傷を親指で擦った。


「無事ですね」


 岩瀬が言う。


「見れば分かる」


「私より先に確認しましたよね」


「お前は喋るから無事だ」


 千紘が小さく息を漏らした。


 笑ったのか、外の空気に咳き込んだのかは分からない。


 道路の向こうで、車が一台通り過ぎた。


 速度は遅い。だが、後ろへ二台、三台と続き、反対車線も動き始める。


 すべて無人だった。


「横断は一回です」


 岩瀬が道路を見る。


「戻るなら別の場所。ここは使わない」


「帰る前に、向こうへ着かないとな」


 八代が探査機を車道へ出す。


 一台目の下を履帯が抜けた。車は避けず、速度も変えない。探査機の後端をバンパーが掠め、映像が横へ傾く。


 八代の指が止まった。


「まだ動いてる」


「今の、機械じゃなかったら死んでます」


「だから先に行かせた」


 岩瀬が何か言い返す前に、千紘が左を向いた。


「大きいのが来る。二台ぶんくらい」


 高架の陰から、古い路線バスが出てくる。


 窓は黒く、運転席にも人はいない。正面の行き先表示には《外周循環》とだけ出ていた。


 その手前で、灰が盛り上がった。


 白い骨の腕が路面へ突き出る。


 一体、二体。反射帯を巻いたスケルトンが、停止板を持って立ち上がった。


 片方が板をこちらへ向ける。


 赤い面には《戻れ》と書かれていた。


 青い面へ返すと、《進め》に変わる。


 スケルトンは板を何度も反転させ、俺たちを同じ横断歩道へ誘導していた。


「戻らせる気です」


 岩瀬が槍を構える。


「違う。回らせたい」


 八代が道路の白線を指した。


 横断歩道は向こう岸へ届いていない。中央で折れ、こちら側の歩道へ戻る輪になっている。


 スケルトンが停止板を振った。


 無人車が一斉に速度を落とす。横断歩道だけが空いた。


「親切ですね」


 千紘が言った。


「渡ったら、同じ場所に戻るけど」


 バスの音が近づく。


 俺は中央分離帯を見る。距離は六メートルほど。車道を一度だけ越えれば、輪になった横断歩道は使わずに済む。


「先に行く」


「肩は上げないで」


「足しか使わない」


 白線へ一歩出る。


 バスが角を曲がった。


「空歩」


 一歩目を車道の上へ置く。


 何もない空間が足裏だけを支え、バスの正面が下を抜けた。二歩目を中央分離帯の縁へ置き、着地する。


 MPは三百三十。


 脇腹へ痛みは来なかったが、右肩の奥が遅れて引きつった。


「今!」


 千紘が叫ぶ。


 八代が探査機を走らせ、そのすぐ後を渡る。岩瀬が続き、千紘は一台目と二台目の車輪音の間へ入って道路を斜めに抜けた。


 スケルトンが停止板を投げる。


 右側から来た板は見えなかった。


 ヘルメットの角へ金属が当たり、首が左へ振られる。外殻は割れず、角の根元に鈍い痺れだけが残った。


 岩瀬が戻りかけて、足を止める。


「そこから動かないで!」


 俺が言う。


 同じ横断を二度させるわけにはいかない。


 スケルトンが車道へ降りる。


 走ってくる車を避けない。骨の足をバンパーに折られても、停止板の柄を路面へ突き、上半身だけで進んでくる。


 八代が中央分離帯の反対側へ回った。


 正面から行かず、動く車列を一枚の壁にする。スケルトンが車と車の間へ出た瞬間、岩瀬の短槍が胸の魔石を横から突いた。


 一撃では割れない。


 次の車が骨の身体を跳ね、槍先ごと魔石を砕いた。


 もう一体は、輪になった横断歩道の中へ立ったまま停止板を振り続けている。


 追っては来なかった。


「道路の内側だけが担当みたいですね」


 岩瀬は短槍を引き戻し、黒い粉を落とす。


「次に会っても同じとは限らない」


 八代は探査機の向きを前へ戻した。


 バスが過ぎたあと、俺たちは残る二車線を次の車列の切れ目で渡った。誘導された横断歩道は使わず、四人とも反対側の歩道へ上がる。


 俺たちは車道から離れ、青い標識が示す外周第七区へ進む。


 道路沿いの建物は、窓がほとんど割れていた。中に人影はない。自動販売機の明かりだけが点き、商品欄には水ではなく《帰還許可票》と書かれた白い札が並んでいる。


 一枚も取らなかった。


 三百メートルほど先に、低い庁舎があった。


 正面のガラス扉は割れている。上には、探査機で読んだものと同じ《東京都災害退避庁》の文字が残っていた。


 四人が敷地へ入ると、入口脇の電光掲示板が点灯した。


『東京都民 退避完了人数』


 数字は、ゼロ。


 その下へ新しい欄が増える。


『受入側世界からの到着者』


 四。

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