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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十一章 首都環状迷宮

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第五十六話 戻れない入口

 六月一日、午後一時過ぎ。


 第零迷宮の核保管室に、昨日までなかった通路が二本開いていた。


 片方は白い石床が続き、もう片方からは金属を削る低い音がする。首都環状迷宮の映像を東京へ残し、対策班の車で祖父宅へ戻った時には、灯と、俺が入室を認めた検査担当二人が白い通路を塞いでいた。


「先に言うけど、右目は治らない」


 灯は俺の顔を見ず、壁へ浮いた文字を読んでいた。


「表示に出てる」


「見せて」


「俺にしか見えてない」


「じゃあ、全部読んで。都合の悪いところも」


 白い通路の奥には、人一人が横になれる黒い石の槽があった。透明な水が浅く溜まり、底から細かな泡が上がっている。


 縁へ触れると表示が開いた。


――――――――――


《治療槽》を使用できます。


対象:大月在真


処置可能:

 右肩裂傷の閉鎖補助

 右脇腹打撲の修復補助

 疲労および生命余力の回復


処置不能:

 右眼欠損

 進化以前に固定した組織欠損


所要時間:六時間


再使用待機:七十二時間


――――――――――


 一行ずつ読み上げる。


 右目のところで、父が一度だけ鼻から息を吐いた。


「六時間で動けるようになる、とは書いてないな」


「閉じる補助だけです」


 灯が俺の固定帯へ指を掛け、勝手に外そうとはしなかった。


「東京へ戻るなら、終わったあと私が見る。傷が閉じてても、肩が元どおり動くとは限らないから」


「戻るって決めてない」


 父は何も言わなかった。


「戻る気はあるんでしょ」


 千紘はそう言って、俺の返事を待たずに通路の外へ出た。自分も寝る、と父に客間の場所を聞いている。


 槽へ横になると、水は冷たくなかった。


 傷の周りだけを内側から押される。痛みより先に眠気が来て、天井の白い光が途中で途切れた。


 六時間後、現在HPは千八百四十まで戻っていた。


 右肩の表面は閉じている。腕を胸の高さまで上げると、奥で細い筋が引きつった。


「そこまで」


 灯に手首を押さえられる。


「戦えるかじゃなく、どこでまた開くかを見てる。肩より上へ上げない。右で強く引かない。脇腹も打たれたら終わり」


「分かった」


「本当に?」


「三つとも覚えた」


「返事だけは前より上手くなったね」


 灯は新しい固定帯を巻き直し、樹液患者の検査へ戻った。治療槽へ入れる許可は、まだ出さないらしい。


 もう一本の通路では、装備工房が裂けたヘルメットを分解していた。


 黒い作業台から細い腕が何本も伸び、角の位置に合わせて内装を削る。外殻へ二つの溝を開け、後頭部の帯を広いものへ交換しただけで、壊れた箇所まで新品には戻らなかった。


 千紘が起きてきた頃には、窓の外が暗くなっていた。


「角、出てる」


 加工されたヘルメットをかぶった俺を見て言う。


「穴を開けたからな」


「意味ある?」


「頭は守れる」


「角は?」


「知らない」


 千紘は指で片方を軽く弾こうとして、父に見られているのに気づき、途中で手を下ろした。


 食事をして、もう一度眠った。


 翌朝、俺の数値はHP千九百、MP三百七十。


 千紘はHP八百、MP二百八十まで戻っていた。


 どちらも全快ではない。


 それでも六月二日午前六時半、俺たちはもう一度、首都高速の第三換気坑に立っていた。


 ガルは来ていない。


 樹海迷宮の入口下から離れず、父だけが昨夜遅くに現地から戻った。今朝は俺たちを東京まで送り、地上の指揮車で待っている。


 八代は昨日と同じ防火外套を着ていたが、右袖だけ新しいものに替わっていた。


「探査機、まだ生きてます」


「残りは」


「二十八パーセント。日が沈んだ形跡はなし。信号はずっと赤です」


 隣にいる岩瀬は、昨日スケルトンの魔石を砕いた短槍を持っている。槍先だけ交換され、柄には黒い粉が残っていた。


 現実側に残る班員が、四人分の装備を床へ並べている。


 外へつながるロープはない。


 長い通信線も、帰路標識も持ち込まない。同じ経路を戻る危険が消えていない以上、外とつながった物を引いて歩く方が危ない。


「進入は四人。八代、岩瀬、大月君、三枝さん」


 東條が名前を確認する。


「現場の先導は八代さん。退避は一人でも決めていいです。能力を使うかは本人に任せます。経路を再使用しないことだけは全員で優先してください」


 八代が俺を見る。


「そっちの能力で出口は作れますか」


「場所が分かれば切れることはある。戻れる保証はない」


「昨日よりは、ましな返事ですね」


「探査機より先に死ぬ気はない」


「あれ、俺より高いんで。置いていかないでください」


 岩瀬が短槍の石突きで、八代の靴を小さく叩いた。


「今それ言うと、本当に機械を助けに行く人みたいですよ」


「半分はそうだ」


 八代は笑わなかった。


 千紘は白いイヤホンを外し、胸ポケットへ入れる。乾いた木の実は使わず、小さな金属球を一つ床へ落とした。


 球は青い膜へ向かって転がり、触れたところで消えた。


「向こうで止まった。距離は二メートルくらい」


「能力は」


「使ってない。今は二百八十ある」


 俺たちは一人ずつ膜の前へ立った。


 最初は八代。次に岩瀬。その二人が向こう側から床を二度叩く。千紘が入り、最後が俺だった。


 青い膜へ左手を触れる。


 昨日は四本あった灰色の筋が、今は三本しか見えない。望月たちを帰した一本だけがなくなっていた。


 表示が開く。


――――――――――


《首都環状迷宮》外周経路へ接続します。


経路使用数:一


同一個体による再通過時、現在の時間座標は保持されません。


接続後の帰還地点は未設定です。


――――――――――


「戻ったら時間がずれる。帰り先も、まだない」


 東條と父へ伝える。


『分かった』


 先に返したのは父だった。


『行くなとは、もう言わん。帰る道を見つけてから帰ってこい』


「矛盾してるぞ」


『知るか』


 無線の向こうで、何かを置く音がした。


 青い膜を越える。


 足元の床は続いていたが、空気が乾いていた。


 八代と岩瀬、千紘が二メートル先で待っている。床には千紘の金属球があり、その奥へ探査機の履帯跡が延びていた。


 振り返る。


 青い膜はもうない。


 現実側の通路が見えていた場所には、濡れたコンクリート壁があるだけだった。


 千紘が息を止める。


「信号、変わった」


 探査機から届く映像の中で、別の東京の赤信号が一斉に青へ変わっていた。

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