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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第十一章 首都環状迷宮

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第五十四話 三人の帰還

 錆びた扉の向こうで、二度目の音が少し遅れて返った。


 無線からは何も聞こえない。


 東條が端末を口元へ寄せる。


「望月さん。聞こえるなら、一回叩いて、少し待ってから二回お願いします」


『一回と、二回ですね』


 答えは無線からだった。


 その直後、壁が一度鳴る。


 間を置いて、二度。


 千紘が床へついた手を滑らせ、扉の右下へ指を向けた。


「最後の二回、ここが先」


 錆の浮いた場所へ近づく。


 最初に見えた四本の筋は、まだ重なっていた。ただ、望月が壁を叩くたび、一本だけがほかより早く震える。ほんのわずかな差で、目を逸らせばもう分からない。


 左手を当てると、掌の下でその一本が細くなった。


 切っていいのかは、まだ分からない。


 扉の向こうには三人いる。


 前方の救急車までは、もう三メートルしかない。


「これを開ける」


 誰へ言ったのか、自分でも分からなかった。


 千紘が頷く。東條は止めず、八代は入口側へ振り返った。


「盾、こっちへ。扉の正面は空けろ」


 待機していた班員が動く音を背中で聞きながら、早く震えた筋だけへ意識を合わせる。


「断界」


 左手の奥が冷えた。


 灰色の筋が一点で切れ、残りの三本が壁の内側へ沈む。


 MPが三十減り、残りは百七十になった。


 錆びた扉が、向こう側から押された。


 隙間から入り込んだ空気には、排気ガスと湿ったコンクリート、それに消毒液の匂いが混じっている。扉の先は狭い階段だった。蛍光灯は半分以上が消え、下の方だけ橙色の非常灯が点いている。


「開いた、こっちです!」


 望月の声が、今度は無線を通さずに届いた。


 最初に上がってきたのは田辺だった。資器材の袋を片腕へ抱え、もう片方の手で錆びた手すりをつかんでいる。こちらへ片足を出したところで止まり、奥から差す朝の光を見た。


「朝……?」


「止まらないで。あと二人は」


 東條に促され、田辺が扉から離れる。


 二人目の隊員は水の袋と救急鞄を胸へ押しつけていた。敷居へ爪先を取られ、八代の班員に腕を引かれる。転びかけても荷物だけは離さなかった。


 最後に望月が見えた。携帯無線を肩へ挟み、何度も階段の下を振り返っている。


「望月さん、早く」


「音がします」


 俺にも聞こえた。


 靴ではない。硬く乾いたものが、段を一つずつ踏んでいる。


 千紘が立ち上がろうとして、壁へ肩をぶつけた。


「一体じゃない。三……もっといるかも」


 橙色の明かりへ、白い指が掛かった。


 肉のない手だった。


 次に頭蓋骨が現れ、その後ろから肋骨と錆びた短剣が上がってくる。骨の肩には、古い反射帯の切れ端が巻きついていた。


「スケルトン!」


 八代が金属盾を起こす。


 大きな音が狭い通路へ弾けた。八代の班員が望月の腕を引き、こちら側へ出す。スケルトンの短剣が盾の上を滑り、錆の粉を散らした。


「三人、出ました!」


 望月が叫ぶ。


 八代は返事をせず、盾を階段側へ押し込んだ。


 骨の足は細い。だが、体重のない見た目に反して押し返す力が強い。盾の縁から覗いた指が床をつかみ、関節を逆に折りながらこちらへ這い出そうとする。


 二体目が、その背中を踏んだ。


「頭じゃない。胸に石がある!」


 肋骨の奥で、小さな黒い物が揺れていた。


 八代が盾を傾ける。


 一体目の上半身だけが扉のこちらへ崩れた。班員の短槍が胸へ入ったが、穂先は肋骨の間を抜ける。床へ落ちた頭が歯を鳴らし、身体の方はまだ盾へ腕を伸ばしていた。


 白樫の短棒を左手で抜く。


 支えを失った足が揺れた。


 戦うなと言われた意味を、身体の方が先に思い出す。


 それでも、床を這う骨の手首だけは短棒で押さえた。


「八代さん、下」


 千紘の声と同時に、盾の右下から別の短剣が突き出た。


 俺には見えていなかった。


 千紘が安全帯を引き、切っ先が脇腹の固定帯を掠める。八代は盾から手を離さず、踵で床の頭蓋骨を壁際へ蹴った。


「見えてます。そっち、押さえたまま!」


 短槍を持った班員が柄を返す。


 金属の石突きが、肋骨の奥を一度叩いた。


 黒い石にひびが入り、二度目で砕ける。


 短棒の下にあった手から力が抜けた。ばらけた骨は動かず、関節の隙間から黒い砂だけが流れ出す。


「閉めます!」


 望月が扉の取っ手へ手を掛けた。


「待って、まだ腕が」


 二体目の片腕が盾の脇から伸び、敷居へ肘を差し込んでいる。


 八代は一歩下がるふりをした。


 骨が腕を伸ばした瞬間、盾の下端を床へ落とす。肘が挟まり、乾いた音を立てて砕けた。


「今です」


 望月と田辺が二人で扉を引いた。


 向こう側から骨がぶつかる。


 一度、扉が押し戻された。


 田辺の靴が滑り、望月が何か短く悪態をついた。八代が盾ごと扉へ肩を入れる。班員も加わり、錆びた板が少しずつ枠へ戻った。


 最後に残った骨の指を、田辺が資器材袋で叩き落とす。


 扉が閉まった。


 鍵はなかった。


 それでも輪郭から錆がこぼれ、扉と枠の隙間へ入り込んでいく。何度か続いた衝突音も、壁へ吸われるように遠くなった。


 気づけば、俺は短棒へ体重を預けていた。


 千紘は安全帯をつかんだまま、手を離さない。


「見るだけって言った」


「開けただけだ」


「今、棒持ってるけど」


「押さえただけ」


 言い返す声が思ったより掠れた。


 東條は俺たちを見たが、診断書の話はしなかった。先に救急隊員三人を数え、望月へ向き直る。


「現在は六月一日、午前七時二分です」


 田辺が笑いかけて、やめた。


「俺たち、何時間いなかったんですか」


「こちらでは、十二時間以上です」


 二人目の隊員が抱えていた水の袋を落とした。破れはしなかったが、床へ鈍い音が広がる。


 望月だけは扉を見ていた。


「車、置いてきました」


「乗員の退避が先です。車両は後で――」


 東條の端末から、三つの音が鳴った。


 金具が二度ぶつかり、車輪が床を擦る。


 千紘の指が安全帯の上で強くなる。


「同じ音」


 端末には、誰もいなくなった三十八号の車内が映っていた。


 前方の同じ救急車までは、二メートルを切っている。


 運転席も助手席も空だった。後部のストレッチャーには誰も触れていない。


 その固定金具が、ひとりでに二度跳ねた。


 ロックの外れたストレッチャーが、閉じた後部扉へ向かって、ゆっくり滑り始めていた。

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