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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第九章 攻略者の国

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第四十二話 Dランク

 五月に入って三日目、祖父の家へ続く道には、見覚えのない白線が引かれていた。


 県道から曲がってすぐの路肩に仮設詰所があり、その先は車一台分を残して樹脂製の柵で塞がれている。以前なら畑へ行く軽トラックしか通らなかった道に、警察車両と警備会社のワゴンが並び、道路脇では腕章をつけた男が二人、折り畳み椅子へ座っていた。


 父の車が近づくと、二人とも立った。


「窓、開けるぞ」


「俺も見えてる」


「お前の右から来たんだ」


 言われて首を回す。助手席のすぐ外まで、一人が寄ってきていた。


 病院を出てまだ一時間も経っていない。ステータスではHPもMPも最大まで戻っているのに、シートベルトの下では右肩が固まり、窓の高さまで腕を上げようとすると途中で止まった。左手でガラスを下ろしている間に、父が運転席から通行証を出す。


 係員は顔写真と俺を見比べた。眼帯まで写った、退院前日に病院で撮られた写真だった。


「大月在真さんですね。後続の車は」


「佐伯自転車店。頼んだ資材を持ってくる」


 父が答えると、係員は後ろを覗いた。軽いエンジン音と一緒に、店名の入った古い配送車が坂を上ってくる。そのさらに後ろにも黒い乗用車が一台ついていたが、そちらは白線の前で止められた。


 運転席から男が降り、窓越しに何かの紙を見せ始める。腰には、鞘にも入れていない長い包丁が布紐で結ばれていた。


「あれも資材か」


「違う。朝から三人目だ」


 父は窓を閉め、車を出した。


 黒い車の男がこちらへ顔を向ける。声は聞こえなかったが、口の動きだけで、第零迷宮と言ったのが分かった。


 道の両側は、見慣れた畑のままだった。けれど、電柱には小型カメラが増え、祖父宅の手前にはもう一つ柵がある。家が近づくほど帰ってきた感じが薄くなり、門柱が見えたところで、ようやく土と葱の匂いが車内まで入ってきた。


 父が庭へ車を入れる。俺は先に左足を出し、屋根へ手をついて立った。病院の廊下では、もう杖なしでも歩けた。ところが土の上では靴底が頼りなく、念のため持たされた杖の先も簡単に沈んだ。先端についた湿った泥を見ていると、玄関から東條が出てきた。


「退院、おめでとうございます。とは言わない方がよさそうですね」


「医者にも言われました」


「では、退院を確認しました。こちらを」


 差し出されたのは、透明なケースへ入った灰色の紙だった。上には顔写真と名前、その下へ大きくアルファベットが一文字印刷されている。


 D。


 さらに小さく、レベル十八、仮登録とあった。


 裏面にはFからSまでの区分が並んでいる。Dはレベル十から十九。次のCには、二十から二十九、一次進化後と印刷されていた。


「久世駅を止めても、Dなんですね」


「レベルだけで区切りました。功績まで一文字へ混ぜると、最後に殴った人が、そこまで運んだ人より上になります」


 東條はもう一枚を指で挟んだ。三枝千紘、レベル八、Eランク。本人申告と複数の活動記録に基づく仮登録、と下に細い字が続いている。


「本人に渡してないんですか」


「後ろにいます」


 配送車の助手席が開き、千紘が白い紙袋を抱えて降りてきた。右足だけ大きかった長靴はもう履いていない。白いスニーカーで砂利を踏んだ時の甲高い音に、眉を寄せた。


「病院には来なくていいって言っただろ」


「行ってないよ。佐伯君の店にいた。イヤホン、勝手に直したら録音が変わるから、横で見てた」


「勝手には直してない。まだ文句を聞いてる途中」


 運転席から佐伯直人が降りた。大学で最後に見た時と同じ紺色の作業着だが、胸には家の店名が縫いつけられている。後ろの扉を開けるより先に、分厚い封筒を俺へ向けた。


「退院祝い。休んだ分のプリントと、レポート三つ。あと出席日数がまずいっていう先生からの伝言」


「どれが祝いなんだ」


「俺も分からん。先生は燃やすなって言ってた」


 封筒を左脇へ挟むと、紙の角が肋骨の辺りへ当たった。痛くはない。ただ、病院の外にも時間が進んでいたことを、道路の柵よりそちらで思い知らされた。


 直人は配送車の荷台から、橙色の台座を二つ引き出した。自転車の修理台に使う黒いゴム脚、その上へ太い布の帯が巻かれている。金属の留め具はなく、端には大きな樹脂の爪がついていた。


「おじさんから、音が鳴らなくて、車が来たら一人でも退けられる柵って言われて。普通の自転車屋へする相談じゃないけど、うちの親父が面白がった」


「ガルを囲う物じゃない」


「人間を止める方。見たら分かるだろ、低いし」


 直人が帯を引くと、布の擦れる音だけで庭を横切る線ができた。樹脂の爪を押し込んだあと、自分で強く引いて外れないことを確かめる。千紘はその横で片耳へ修理途中のイヤホンを入れ、帯を二度、指で弾いた。


「高い音は減った。でも、擦れた時の低い方も消えてる」


「ケースを厚くしろって言ったの、三枝だろ」


「外の音を全部消してとは言ってない。駅でそれやったら困るから」


「駅で使う前提、今初めて聞いた」


 二人が配送車の横で言い合っている間に、東條が俺の手元の登録証を見た。


「Dランクは、迷宮へ自由に入れる許可証ではありません。今の制度では、指定訓練と登録チームへの参加条件が――」


「これを下げてたら、門の前の人は帰りますか」


「増えるでしょうね」


 東條は続きの説明をやめ、千紘の分を本人へ渡した。


 カードを首から下げる気にはなれなかった。上着の内ポケットへ入れると、硬い角が胸へ残る。レベル十八。久世駅の底であれだけ死にかけても、社会が決めた区分では初心者の上だった。


 低すぎるとは思わない。ただ、これを見て自分より下だと思う人間が出てくるなら、その方が面倒だった。


「ガルは」


「今朝は見ていない」


 父が物置へ向かう。木戸には、以前なかった太い帯が二本渡されていた。直人が作った物と同じ樹脂の留め具で、蝶番の金属音を抑えるよう、縁には切ったタイヤチューブが挟まっている。


「昨日の夜、試しにつけた。中から押せば外れる」


「ガルが?」


「人間でもだ」


 父は上の留め具だけ外した。木戸を少し開けると、古い油と土の匂いに混じって、冷たい空気が流れてくる。工具棚の奥には青い境目が残り、その向こうに黒い床があった。


 東條は庭から動かなかった。


「中へは」


「今日は俺と父さん、千紘、直人だけで入ります」


「佐伯さんはステータス未開放です」


「知ってます」


 直人が荷台から工具鞄を下ろしかけ、手を止めた。


「いや、俺、入る話になってる?」


「入口の内側も測らないと、扉を直せないだろ」


「それはそうだけど、先に言えよ。レポート持ってきたついでにダンジョンへ入る奴はいないって」


 工具鞄を一度荷台へ戻し、代わりに短い巻き尺と樹脂製の楔だけをポケットへ入れる。嫌だとは言わなかったが、青い光の前まで来ると、靴底を二度擦って泥を落とした。


 父が先に境界を越えた。千紘はイヤホンを外し、白いコードを紙袋へしまってから続く。俺が右肩を壁へ寄せて入ると、直人の息が背後で一度止まった。


 核保管室は、最後に見た時より広くなっていた。


 正面には二つの迷宮核が離れて浮かんでいる。一つは黒く脈打つ小さな塊、もう一つは金属片と赤い実体が噛み合った軌道喰らいの核。駅で見た大きさより縮んでいるのに、二つ目からは今も遠い車輪音のような振動が床へ伝わっていた。


 左の壁には通路が二本増えている。


 一方の奥には、棚とも穴ともつかない黒い段が並び、駅から持ち帰れなかった金属片や魔石の一部が、薄い膜に包まれて収まっていた。もう一方は幅が広く、床の黒い砂だけが先へ続いている。照明のない奥から、乾いた風が吹いてきた。


 ガルは、その二本の間で伏せていた。


 脇腹には父が置いた布が残っていた。位置は少しずれているが、血は乾き、呼吸に合わせて黒い毛がゆっくり動く。父が一歩近づくと目を開け、低く唸ってから、また顎を床へ戻した。


「こっちへ来てから、ずっと?」


「分からん。飯は減ってた。水も」


「傷は」


「洗えたのは三回だ。薬も肉へ入れてる。近づける日はな」


 父は近づくのをやめた。ガルの鼻が直人の方へ動く。直人も動かず、ポケットから出しかけた巻き尺をゆっくり戻した。


「あれがガル?」


「そう」


「写真よりでかいな」


「その感想、本人の前で言う?」


 千紘が小声で言った。ガルの耳だけがこちらへ向く。


 俺が広い通路へ目を戻すと、視界へ文字が開いた。


――――――――――


保有迷宮核:2


《訓練区画》を利用できます。

《素材保管》を利用できます。


――――――――――


 訓練区画へ意識を向ける。表示が切り替わり、黒い通路の奥で、砂が風とは逆に動き始めた。


――――――――――


訓練記録:

・第零迷宮第一層

・沈降駅迷宮


記録済みの環境および敵性個体を再構成します。

区画内で受けた損傷は、退出後も残ります。

同一記録の反復は、成長評価へ加算されません。


――――――――――


 奥で砂が盛り上がる。最初に細い腕ができ、その先へ刃の形が伸びた。


 ゴブリンだった。


 輪郭だけの黒い身体が一体、まだ頭の半分もできていないのに、右手の刃で壁を叩いた。


 乾いた音が、通路の奥から一度返る。


 反射的に一歩退き、杖の先が黒い床を滑った。左足で踏ん張るより先に、ガルが立ち上がっていた。


 父ではなく、俺の前へ出る。


 唸りながら通路を睨んだが、踏み込まない。開いた脇腹から、乾いていた布へ赤が少しずつ戻り始めている。


「閉じられる?」


 千紘の声がすぐ左からした。


「分からない」


 消えろと考えても、形は崩れなかった。訓練中止と意識したところで、ゴブリンの刃がもう一度壁を打つ。


 二度目は、近かった。


 ガルの肩越しに黒い通路を見る。退院したばかりの俺と、傷の開いたガル。それでも身体は、壁を叩く間隔を数え始めていた。


「在真、下がれ」


 父の手が左腕へかかる。その時、三度目の音が鳴った。今度は、通路のすぐそこだった。

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