↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第九章 攻略者の国

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/121

第四十一話 家の外

 父の靴音が消えたあとも、点滴の管は引かれたままだった。千紘がベッドの柵へ引っかかった部分を外す。俺は半分まで浮かせた背中を枕へ戻したが、右肩の奥では心臓と同じ速さで痛みが打っていた。


「追いついても、車から降りられないよ」


「分かってる」


「今、起きようとしたけど」


「今は起きない」


 二度目は自分でも声が低くなった。


 千紘は言い返さず、点滴台から手を離した。東條は病室の隅で電話をかけている。最大三十二人と言った時より、口調が短い。


「山側へ向かった報道車二台。車両番号は現場から送らせます。追跡をやめさせてください。ガルへの接近も禁止で」


 通話の向こうで何か聞かれ、東條は俺を見た。


「危険性は否定しません。負傷した大型生物を追っている時点で、事故の条件は揃っています」


 電話が切れる。


「止まると思いますか」


「止まらない車がある前提で、先へ人を回します」


 東條はそう答えたが、祖父宅までの細い道を知らない。県道から一本入れば、車同士がすれ違えない場所もある。警備車両を三十二人分並べれば、それだけで集落の道が塞がる。


 俺のスマートフォンがまた震えた。母からだった。


『鍵は渡した。澄江さんにも電話したから。ガル、何食べるの? 水は水道のでいい?』


 一つずつ返す前に、次が届く。


『お父さん、病院の駐車場から出た』


 そのあとに、澄江さんから着信が入った。


「もしもし」


『起きてるね?』


「病院です」


『知ってるよ。あんたんとこの前、知らない車が二台止まってる。畑の入口まで踏んでるから、軽トラ出していい?』


「出してどうするんですか」


『邪魔なところへ置く』


 電話の向こうでエンジンがかかった。


「警察も行くから、無理しないでください」


『あんたに言われたくないよ』


 そこで切れた。千紘が少しだけ口元を動かしたが、笑わなかった。東條は別の電話へ切り替えながら、メモ用紙に小宮山澄江の名前を書いている。


「巻き込まないでください」


「もう現場にいます。排除対象にしないよう伝えるためです」


 それなら、と返しかけてやめた。澄江さんが排除されないだけで、安全になるわけではない。


 父から映像通話が来たのは、十五分ほどあとだった。千紘が端末を取って、画面を俺の左側へ固定する。最初に映ったのは車の天井で、次に父の顎、最後に朝靄の残る畑へ向きが変わった。


『着いた』


「ガルは」


『まだだ』


 画面の奥で、軽トラックが畑の入口を斜めに塞いでいた。荷台には土のついた籠と青い収穫箱が積まれたままで、運転席の前に澄江さんが立っている。


 その向こうに白いワゴン車と銀色の乗用車が止まり、カメラを持った人間が三人、道路の端へ散っていた。


『そこ、葱を植えたばっかりなんだけど』


 澄江さんの声が、父のスマートフォンにも入った。


『道路から撮ってます』


『片足、畑に入ってるよ。葱と道路の区別もつかないの』


 男が足元を見て、舗装の上へ戻る。その後ろで別の一人が祖父宅へカメラを向けた。


『大月さんですか。息子さんが攻略したという話は事実でしょうか』


『道を空けろ』


『黒い獣を飼っているんですよね。普段はどちらに』


『道を空けろと言ってる』


 父は端末を持ったまま、白いワゴン車へ近づいた。画面が大きく揺れ、俺の傷まで一緒に引かれるような気がした。


「父さん、警察を待て」


『待ってる間に来る』


「車で塞がってるなら、ガルが横を抜ける」


『分かってる』


 返し方が自分と同じだった。


 道路の先から、犬の吠える声がした。近所で飼われている小型犬だ。高く続いた声が途中で止まり、そのあとに人の足音がいくつも重なる。報道の三人が一斉に振り向き、父のスマートフォンが山側を向く。


 ガルが歩いてきた。


 朝靄の中では輪郭が滲み、黒い毛だけが道路から浮いて見えた。頭を低くし、右の脇腹を庇うたび歩幅が崩れる。半分剥がれたガーゼは脚へ触れ、赤黒く濡れていた。


 それでも立ち止まらない。


 カメラの連写音が鳴った。ガルの前脚が止まり、首が上がる。唇の端から牙が見えた。


『撮るな。下がれ』


 父が言った。


『危険なら、住民へ説明する必要が――』


『怪我してるから下がれと言ってる』


 父はガルへ近づかず、道路の中央へ立った。ガルと報道の間を塞ぐ位置だった。


 白いワゴン車の横から、長い棒についたマイクが伸びる。黒い毛の上へ影が落ちた瞬間、ガルの肩が沈んだ。


 画面の外から澄江さんの鍬が出て、棒を下から押し上げた。


『それ、畑でも使わないよ。引っ込めな』


『危ないですよ』


『だから、あんたが引っ込めるんでしょ』


 マイクが戻る。ガルは飛びかからなかったが、呼吸が速くなっていた。開いた脇腹から血が一筋落ち、道路へ丸い跡を作る。


 俺の左手がシーツを掴んだ。包帯の内側で傷が擦れ、指を開こうとしてもすぐには戻らない。


「ガル」


 スマートフォンの小さなスピーカーから、自分の声が流れた。


 ガルの耳が動いた。けれど、こちらへ来るわけでも、画面を探すわけでもない。父の横から祖父宅を見て、そのまま道路の端へ一歩寄った。


『呼ばなくていい』


 父が言った。


 端末を石垣の上へ置く。画面は少し傾き、家の門柱と物置の屋根、道路に立つ父の背中が一緒に入った。


『こっちは開いてる。入りたきゃ入れ』


 誰へともなく言い、父は門柱の前から離れた。


 ガルはすぐには動かなかった。報道の車、軽トラック、澄江さん、父。順に匂いを取るように鼻先を動かし、最後に物置の方を向く。前脚を出した時、カメラの連写音がまた鳴ったが、今度は止まらなかった。


 父の横を通る。その距離で、父も手を伸ばさなかった。


 庭へ入ったガルは、以前と同じ物置脇の乾いた土まで歩き、前脚から身体を沈めた。横たわる直前に傷側を上へ向ける。剥がれたガーゼが地面へ落ちた。


『水』


 父が振り返ると、澄江さんがもう軽トラックの荷台を開けていた。


『金属の桶はやめた方がいいんだろ。これ、漬物に使ってたやつ。洗ってあるから』


 青いプラスチックのたらいを持ってくる。ガルから五歩ほど離れた場所へ置き、水道のホースを伸ばした。


『あたしは触らないよ。怖いし』


『それでいい』


『あんたも噛まれないでよ。息子と同じ病室は空いてないでしょ』


 父は返さず、車から白いボトルと包帯の袋を出した。駅に来ていた獣医から受け取ったものらしい。


「父さん、最初は流すだけでいい。押さえようとするな」


『聞こえてる』


「首の近くへ手を出すなよ」


『お前は医者の言うことを聞け』


 父が物置へ近づく。ガルの目が開き、喉の奥で低い音が鳴った。父は足を止めたが、戻らない。洗浄液の蓋だけを開け、傷へ届く手前の土へ少し流すと、薬品の匂いを拾ったのかガルの鼻が動いた。


『前にもやった』


 父はガルではなく、スマートフォンへ言った。


『お前が入院してた時、水も肉も俺が置いた。食うところは見せなかったがな』


 もう一歩だけ近づき、ボトルを傾ける。透明な液が黒い毛を伝い、固まった血を薄めた。ガルの牙は見えたままだった。


 父の手が震えているのか、映像では分からない。二本目を使い切るまで、ガルは立たなかった。


 処置用の厚い布を傷の横へ置くと、ガルが自分で身体をずらした。布の端が脇腹の下へ入る。父は巻こうとせず、その上から一度だけ手の甲で押した。


 低い唸りが止まる。胸の奥に溜まっていた息が抜けた。安心したはずなのに、俺のいない場所で父の手を許したことへ、少しだけ置いていかれたような感じもした。


 千紘が画面を見たまま言う。


「在真がいなくても、帰れるんだね」


「ああ」


 今度は、それしか返せなかった。


 道路の向こうから複数の車が近づいた。白と青の回転灯が朝靄を切り、東條の電話もほぼ同時に鳴る。


 警察車両のあとへ、灰色の資材車が入ってきた。荷台の扉が開き、折り畳まれた金属柵と鎖が見える。


 鎖の束が地面へ下ろされ、硬い音が連続して鳴った。


 物置脇で伏せていたガルが跳ね起きた。父の手から白いボトルが落ち、傷へ当てた布がずれる。


 画面の中で、黒い背が大きくなる。


「止めろ!」


 俺と父の声が重なった。


 東條はすでに電話へ向かっていた。


「資材を戻してください。金属柵は使いません。鎖も車内へ」


『ですが、危険生物の逸走防止が――』


「家の周りを囲う許可は取っていません。道路側の人員整理だけです。今すぐ戻して」


 資材車の前で隊員が止まり、落とした鎖を拾う。もう一度金属音が鳴ると、ガルの喉から短い咆哮が出た。報道のカメラが一斉にそちらを向いた。


 ガルは人間へ飛びかからなかった。


 身を翻し、物置の木戸へ肩をぶつける。閉まっていた扉が内側へ開き、暗い工具棚の奥から青い光が漏れた。


『あれは何ですか!』


『ダンジョンの入口ですか!』


 道路から声が飛ぶ。


 父がスマートフォンを掴み上げた。画面いっぱいに作業着の袖が映り、次に物置へ走る足元へ変わる。


 ガルは振り返らず、工具棚の奥へ入っていった。青い光が黒い尾を呑み込む。


『在真』


「追わなくていい」


『分かってる。木戸を閉める』


 父の左手が木戸へかかる。閉じる直前、核保管室へ続く黒い床が一瞬だけ映った。


 東條はそれを見ていたが、画面の保存には触れなかった。電話の向こうへ、警備線を道路の分岐まで下げるよう伝えている。


 木戸が閉まる。


 映像には古い板壁しか残らなかったが、外からはまだ、入口を見せろという声が続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。