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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第八章 軌道喰らい

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第三十八話 向こうの久世駅

 ガルが車両の陰から出た。


 軌道喰らいの歯は、潰れた運転席へ食い込んでいる。円形の歯列が鉄板を巻き込み、そのたび左へずれた赤い塊が内側の金具へぶつかった。


 千紘が片耳を押さえる。


「三回です」


「何が」


「回って、三回当たったあとに止まる」


 赤い塊が硬い音を立てた。


 一度。


 二度。


 三度。


 歯の回転が途切れる。


 ガルが跳んだ。


「待て!」


 止まるはずがない。


 円い歯の間へ前脚を掛け、赤い塊へ噛みついた。


 軌道喰らいの四輪が逆回転する。


 黒い筋が車輪から線路へ走り、転車台が低く揺れた。ガルの身体が歯の内側へ引かれる。


 腹に挟んでいた白い布が先に巻き込まれた。


 半分外れていた圧迫帯も引かれる。


 ガルが首を振ると、帯が脇腹から抜けた。濡れた毛の下へ開いた傷が見え、赤いものが床へ散った。


「ガル、放せ!」


 前脚の爪が鉄板を滑る。


 牙は外れない。


 車両の窓にいた七人が、同時に両手を上げた。


 背中から伸びていた黒い線が天井へ張る。潰れた車体が軋み、軌道喰らいの後部から伸びた鎖に引かれて少しずつ起き上がった。


「また来る」


 千紘が言う。


「何秒だ」


「同じなら、三回」


 村瀬が赤い円盤側から戻ってきた。


 切れた足場を跨ぎ、バールを抱えたまま転車台の縁へ飛び降りる。


「神崎、持て!」


 二人が線路へ入った。


 軌道喰らいの横からバールを差し込み、円い歯と外枠の間へ先端を噛ませる。神崎が村瀬の後ろから柄を押さえた。


「三枝、止まる時を言え」


「今は動き始めです。次、当たります」


 赤い塊が内側へ当たる。


 バールが跳ね、村瀬の手袋が裂けた。


「一回」


 神崎が足を滑らせる。


 水野が後ろから防火服の帯を掴んだ。美緒も担架を離れかけ、高梨に腕を取られる。


「お前は来るな」


「でも」


「担架を動かせ。こっちへ倒れたら俺ごと下がれ」


 美緒は唇を噛み、担架の持ち手へ戻った。


 二度目の音が鳴る。


 円い歯がさらに回り、ガルの頭が鉄板へぶつかった。


 牙が赤い塊へ食い込む。


 光は消えない。


「二回」


 俺は転車台へ足を出した。


 千紘が父の上着を掴む。


「何するの」


「あれを外す」


「どうやって」


「まだ分からない」


「分かってから行って」


 三度目の音が鳴った。


「止まる!」


 千紘の声で神崎と村瀬がバールへ体重を掛ける。


 円い歯が止まった。


 ガルの前脚が沈む。


 今しかない。


 千紘の手を外し、線路へ降りる。転車台が傾き、右足が思った場所より外へ着いた。


 踏み直す。


 ガルの身体は近いのに、赤い塊は歯列の奥にある。右側から回れば短い。見えない側へ頭を入れる気にはなれず、左から潰れた車両との隙間へ入った。


 熱い鉄の匂いと、ガルの血の匂いが混じっている。


「大月、戻れ!」


 神崎の声は聞こえた。


 戻らなかった。


 ガルが一度、鼻から息を吐く。


 肩が沈み、前脚へ力が移った。


 同じ呼吸を探す。


 無理に合わせようとすると、右肩の痛みで息が浅くなった。ガルの方も脇腹を庇い、長く吸えていない。


 揃ってはいない。


 それでも、次に力を入れる場所だけは分かった。


 《呼吸合わせ》がつながる。


 頭の奥から何かが抜けた。


 吐き気が上がり、視界の左端まで暗くなる。


 MPを使い切った。


 歯列の内側へ左手を入れる。


 赤い塊には触れず、その周りを押さえている黒い輪を掴んだ。表面は濡れた革のように柔らかく、奥で細かく脈打っている。


 回収執行体の首輪と似た感触だった。


 切れるなら《断界》を使えた。


 今はもう、MPがない。


「引くぞ」


 ガルへ言ったのか、自分へ言ったのか分からない。


 息を吐く。


 ガルも首を引いた。


 黒い輪が伸びる。


 左手の皮膚へ食い込み、指が痺れた。


 村瀬のバールが軋む。


「まだか!」


「もう一回、動きます!」


 千紘が叫んだ。


 黒い輪の奥に、四本の細い筋が見えた。それぞれが軌道喰らいの車輪へ続き、赤い塊が受けた衝撃を足元へ逃がしている。


 ガルが後脚を踏ん張る。俺も輪を捻った。


 一本目が切れ、転車台の右側へ衝撃が落ちた。外周の金具が弾ける。


 二本目。軌道喰らいの後輪が浮く。


 三本目が伸びたところで、円い歯が動き始めた。


「離れろ!」


 村瀬がバールを手放した。柄が回転へ巻き込まれ、半分まで歯の間へ消える。ガルの牙が赤い塊から滑り、俺の左手も輪から離れない。


 見えない右側から黒い鎖が来た。脇腹へ当たる直前、神崎が父の上着の背中を掴み、身体だけが後ろへ引かれる。輪へ残った左手の指が開きかけた。


 ガルがもう一度噛み直す。


 呼吸が重なり、最後の一本がちぎれた。赤い塊が歯の奥から抜け、ガルと一緒に転車台へ落ちる。


 黒い鎖が俺の脇腹を掠めた。服の下で皮膚が焼け、息が止まる。神崎に引かれたまま線路へ背中から倒れた。


 軌道喰らいの円い歯が空回りし、四輪から伸びていた黒い筋が、行き先をなくして身体の中へ戻っていく。前輪が潰れた車両へ衝突した。


 今度は衝撃が逃げなかった。


 平たい身体が中央から折れた。


 円い歯列が外れ、転車台の黒い水へ転がる。後部の鎖は一斉に落ち、深緑の車両を引いていたものも動かなくなった。


 ガルが赤い塊を床へ吐き出す。


 まだ光っている。


 軌道喰らいは動かなかった。


――――――――――

ボス個体《軌道喰らい》を討伐しました。


沈降駅迷宮の流出進行が停止しました。


レベルが上がりました。


レベル:10 → 18

最大HP:1,000 → 1,480

最大MP:260 → 420


HP:170/1,480

MP:0/420


未配分能力値:400

スキルポイント:14


称号《黒狼の盟友》を取得しました。

称号《沈降駅踏破者》を取得しました。

――――――――――


 村瀬が外れた歯列の下からバールを引き抜いた。


 中央が浅く曲がっている。


「こいつはもう駄目だな」


 そう言いながらも、捨てずに足元へ置いた。


 数字が増えても、脇腹の熱さは消えない。


 左手を床へつくと、指の付け根から血が出ていた。


「お前、本当に」


 神崎が言いかけ、俺の腕を肩へ回した。


「説教は外でやる。立てるか」


「たぶん」


「それは立てないやつの返事だ」


 身体を起こされる。


 足には力が入った。増えた数字のせいか、神崎がほとんど持ち上げているのかは分からない。


 ガルは赤い塊から離れ、脇腹を舐めようとして届かずにやめた。圧迫帯も白い布もなくなり、傷がむき出しになっている。


 美緒が近づく。


 今度のガルは牙を見せなかった。


 触らせもしない。


 美緒が二歩手前へ新しいガーゼを置くと、ガルはそれを見たまま伏せた。


「大月」


 千紘が床からさっきのガーゼを拾っていた。


「これはもう使わない方がいいです」


「落としたのはそっちだろ」


「誰のせいで掴んだと思ってるの」


「俺」


「分かってるならいいです」


 千紘の手は、まだ少し震えている。


「三枝は」


「何が」


「レベル」


 千紘が一度だけ表示を開く。


「八。MPはゼロのままです」


「俺も」


「十八になってる人と一緒にしないで」


 近くで、水野も見えない文字を追っていた。神崎は表示を確かめず、村瀬の裂けた手袋を外している。


「数えるのはあとだ。止血を先にする」


 高梨が担架から言った。


「珍しくまともなことを言いますね」


「水野、お前はあとで覚えとけ」


 水野は口を閉じたが、高梨はまだ何か言いたそうだった。美緒は担架の持ち手を握ったまま、ガルの方を見ている。


 左から順に顔を数えた。七人目まで行っても、息はうまく抜けなかった。


 床の赤い塊を見る。


 光は弱くなっている。


 近づくと、視界へ三つの名前が開いた。


――――――――――

沈降駅迷宮の迷宮核を確認しました。


継承候補:

 《加速》

 《軌道固定》

 《衝撃分散》


選択できる能力は一つです。

選択しなかった能力は取得できません。

――――――――――


 加速へ意識を向けると、一度の踏み込みで短い距離を駆け抜ける感覚が返った。軌道固定なら、自分が通った経路を一時的な足場として残せる。


 どちらも、さっきまでの俺にあれば使った。


 最後に《衝撃分散》へ触れた。脇腹を掠めた鎖の熱より先に、軌道喰らいの身体を走っていた四本の黒い筋が浮かぶ。あれを潰したのは、車両の重さではない。


 逃がす先をなくしたことだった。


 俺は《衝撃分散》を選ぶ。


――――――――――

《衝撃分散》を選択しました。


《加速》《軌道固定》は取得できなくなります。


固有スキル《継承》Lv.2

継承能力《衝撃分散》Lv.1を取得しました。


《衝撃分散》Lv.1

身体へ受けた一度の衝撃を、接触している足場へ分散します。

消費MP:20

――――――――――


 今はMPがない。


 使えるようになっても、試す気にはならなかった。


 未配分の能力値を開く。数字を追う間にも、神崎が俺の脇腹へ新しいガーゼを押し当て、村瀬が曲がったバールを足で引き寄せていた。


 右目がないまま感覚だけを上げても、視界は戻らない。それでも音と足元を拾えなければ、ここでは何度も死んでいた。次も同じ傷で動けなくなるつもりはない。


 筋力へ七十。耐久と敏捷へ百ずつ。器用と感覚へ五十ずつ振り、残りを精神へ入れた。


――――――――――

能力値を配分しました。


筋力:130 → 200

耐久:180 → 280

敏捷:170 → 270

器用:110 → 160

感覚:80 → 130

精神:180 → 210


最大HP:1,480 → 1,600

最大MP:420 → 460


HP:170/1,600

MP:0/460


未配分能力値:0

スキルポイント:14

――――――――――


 身体の芯が重くなる。


 傷はそのままだ。急に立てるほど回復もしない。


 赤い迷宮核へ左手を触れる。


 表面が脈打ち、指の傷へ熱が入った。


 ガルが頭を上げる。


 赤い光が青へ変わった。


 塊の内側から輪がほどけ、細い線になって床へ沈む。


――――――――――

沈降駅迷宮核を収容しました。


保有迷宮核:2


施設《訓練区画》を開放しました。

施設《素材保管》を開放しました。

――――――――――


 青い線が転車台の外周へ走った。


 軌道喰らいの残骸が、端から黒い砂へ崩れていく。潰れた深緑の車両にも線が入り、窓に立っていた七人の像が一人ずつ薄くなった。


 最後まで残ったのは、プロテクターを着けた俺だった。


 胸へ置いていた手を下ろす。


 口が動いた。


 何を言ったのかは聞こえない。


 車体と一緒に黒い砂へ沈んだ。


 転車台が勝手に回り始める。


「円盤、誰も触ってないですよね」


 水野が壁を見る。村瀬はもうこちら側にいる。


 中央の線路は六本のどれにも合わず、その間で止まった。正面のコンクリート壁へ青い継ぎ目が走り、壁が左右へ開く。


 向こう側から白い光が入ってきた。村瀬が曲がったバールを拾い直す。


 夜の駅地下に差す色ではない。曇った昼の光だった。


 一本のホームが、壁の先へ続いている。


 線路は錆び、雑草が枕木の間から伸びていた。割れた屋根の向こうに灰色の空が見える。


 ホームの看板には、ひらがなで「くぜ」と残っている。


「久世駅……?」


 美緒が読んだ。


 水野が担架から離れ、開いた壁の手前まで進む。


「同じじゃない」


「何が」


「柱が古い。改装する前の配置です。でも、あの階段は今の南口と同じ場所にある」


 千紘も俺の横へ来た。


 右足の大きな長靴が、青い継ぎ目の手前で止まる。


「外、見えます」


 崩れた改札の先に、駅前通りがあった。


 こちらの久世駅にもある時計塔が、途中から折れている。商店の並びも同じだった。屋根が落ち、看板の文字が剥がれ、道路には錆びた車が何台も止まっている。


 人は見えない。ホームの時計だけが動き、針は六時十二分を指している。


 ガルが立ち上がった。傷を庇いながら継ぎ目へ近づき、向こうから来る風の匂いを嗅ぐ。


 一歩も入らなかった。


 低い声で唸り、俺たちの方へ戻ってきた。向こうにあるのも、久世駅だった。


 ただ、俺たちが帰る駅ではなかった。


 千紘が片耳へ手を当てる。


「向こうにも、地下があります」


 千紘は崩れた南口階段を見ていた。


 俺には、そこから吹いてくる風の音しか聞こえなかった。

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