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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第八章 軌道喰らい

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第三十五話 軌道喰らい

 黒い二本の帯が分岐器を越え、洗浄線のレールへ重なった。ガルの前まで伸びても、ガルは退かなかった。


 脇腹から落ちた血が、低い溝の床へ一滴ずつ続いている。裂けた片耳を前へ向け、円い歯を開いた黒いものを見ていた。


「ガル、上がれ!」


 俺の声にも動かない。


 赤い光が強くなった。


 視界へ白い文字が浮かぶ。


――――――――――


沈降駅迷宮・車両解体区画のボス領域へ侵入しました。


ボス個体《軌道喰らい》を確認しました。


対象情報

種族ランク:非該当

個体分類:ボス個体

レベル:32

HP:15,000/15,000

MP:1,100/1,100

筋力:1,400

耐久:1,800

敏捷:900

器用:600

感覚:800

精神:1,000


――――――――――


 俺の最大HPは千。向こうは一万五千ある。だが円い歯の奥の赤い光も、黒い帯の仕組みも、数字には出ていない。


 名前が消える前に、線路を削る音が止まった。


「音が止まりました」


 千紘が言う。


 静かになったわけではない。解体機械の回転音も、裂かれた銀色車両の軋みも続いている。


 それでも、軌道喰らいの円い歯だけが止まっていた。


 ガルが横へ跳ぶ。直後、黒い身体が前へ出た。


 四つの車輪が黒い帯を噛み、低い溝を飛び越える。さっきまでガルがいた場所を円い歯が通り、床へ残った血ごとコンクリートを削った。


 逃げただけには見えなかった。軌道喰らいが帯から外れられないか、自分で試していたのかもしれない。


 黒い帯は洗浄線に沿って真っ直ぐ続いている。ガルが横へ避けても、軌道喰らいはすぐには向きを変えなかった。


「あいつ、線の上しか来ない」


「浅いところの個体と同じか」


 村瀬がバールを構える。


「たぶん。でも自分で線を作ります」


 千紘の返事と重なるように、軌道喰らいの後部から別の黒線が伸びた。


 細い線ではない。


 平たい輪をつないだ鎖が二本、作業台へ飛んでくる。


「下がれ!」


 神崎が担架の前へ出た。


 一方の鎖が柵へ巻きつき、もう一方が床に落ちていた金属片を引く。銀色の板が作業台を滑り、美緒の足元へ向かった。


 美緒は高梨の担架へ寄るのでなく、青い扉の方へ走った。


「こっち、開きます!」


 取っ手を両手で下げる。扉は重かったが、内側へ少し動いた。


 水野がその隙間へ身体を入れる。


「押すよ。せーの、じゃなくて今!」


 美緒と二人で押し、扉を人一人分まで開いた。


 神崎はそちらを見てから、担架の頭側を持ち上げる。村瀬が足側へ回った。


「水野、中を見ろ」


「見ながら開けてます!」


「ならそのまま行け」


 担架が青い扉へ動く。


 俺は美緒の足元へ滑ってきた金属板を左足で踏んだ。止まらない。靴ごと持っていかれ、膝が崩れそうになる。


 村瀬のバールが板と床の間へ入った。


「足をどけろ」


 踵を上げる。


 村瀬がバールを捻ると、金属板が横へ立った。引いていた黒鎖が外れ、柵へぶつかる。


「もう一本!」


 千紘が作業台の奥を指した。右から来ていた。


 顔を向けた時には、鎖が借用プロテクターへ触れ、外れた留め具へ平たい輪が入っていた。右肩ではなく胸の前が強く引かれ、作業台の端まで一歩で持っていかれる。


「大月!」


 左腕を誰かに掴まれる。千紘だった。


 足を止められない。千紘の右足の長靴も床を滑り、二人まとめて柵へ近づく。


 バールは村瀬の手にある。


 《断界》には届かない。


 左手で胸元の固定帯を探る。外れた留め具の下に指が入った。


 神崎が戻ってきた。


 固定帯へ救助ナイフを当てようとする。


「切るな。端だけ外せる」


「早くやれ」


 留め具を押し込む。一度目は指が滑り、鎖が引かれて右肩の縫合部へ熱が走った。


 二度目で爪がかかり、固定帯が外れた。


 借用プロテクターだけが胸から抜け、黒鎖に引かれていく。軌道喰らいの後部へぶつかり、黒い帯の上を跳ねた。


 千紘と一緒に床へ倒れる。


 プロテクターを失うと、上半身を守るのは父の古い上着だけになった。右肩の血を止めているものまで、急に軽くなった気がした。


「立てる?」


「先に立て」


「一緒に倒れたんだけど」


 千紘は言い返しながら左膝をついた。俺も壁へ手をつき、身体を起こす。


 軌道喰らいが向きを変え始めていた。


 前の円い歯で洗浄線のレールを噛み、身体の後ろへ新しい黒い帯を吐く。曲がった帯が、作業台と平行に伸びていく。


 逃げたガルの方ではない。


 青い扉へ向かっている。


「こっちの位置、分かってます」


 千紘が息を切らす。


「赤いのがこっち向いてた」


「目かどうかは後だ」


 青い扉の向こうから水野が顔を出した。


「洗浄機の操作室です。奥にもう一つ出口があります」


 高梨の担架と美緒は中へ入っている。


 神崎が千紘の背を押し、先に行かせた。俺も続こうとした時、低い溝からガルが上がってくる。


 前脚を作業台へかけ、一度滑った。


 脇腹の帯は半分ほど外れ、濡れた毛へ垂れている。


「ガル」


 今度は呼ぶだけにした。


 ガルは俺を見た。


 それから青い扉と、伸びてくる黒い帯を見る。


 自分で作業台へ上がった。


 触れようとした村瀬へ牙を見せ、その横を通り過ぎる。青い扉の手前で一度止まり、美緒が奥へ離れたのを確かめてから中へ入った。


 最後に俺と神崎が扉を抜ける。


 右肩へ左手を当てる。父の上着に残っていた黒い染みが、また少し広がっていた。


 HPは二百二十まで落ちている。


「閉めます!」


 水野が壁のハンドルを回した。


 青い扉がゆっくり閉じる。


 隙間へ黒い帯の先が入った。


 神崎と村瀬が扉を押し、水野がさらにハンドルを回す。鉄板が黒い帯を挟み、床から剥がした。


 軌道喰らいの車輪が空回りする。


 身体は扉の手前で止まった。


「止まった」


 美緒が言う。


「まだだ」


 高梨の声が操作室の奥から返る。


 扉の向こうで、円い歯が回り始めた。


 鉄を削る音が近づいてくる。


 水野は操作盤の前へ移り、並んだスイッチを見た。文字は古いが、赤い非常停止と、その横の洗浄開始だけは読める。


「非常停止、押します?」


「どれが止まる」


「分かりません。洗浄機か、線路か、全部か」


「洗浄を動かせ」


 高梨が言った。


「止める方じゃなくて?」


「あれは線を床へ貼ってる。水で剥がれるか見ろ」


 水野は一瞬だけ高梨を見た。


 洗浄開始を押す。


 操作室の外で、大量の水が落ちた。


 天井ノズルと床の噴出口が一斉に開き、扉の向こうを白く隠す。円い歯の音は止まらない。


 ただ、床へ挟まっていた黒い帯が波打った。


 端から浮き、排水溝へ引かれていく。


 軌道喰らいの車輪音が乱れた。


「効いてる?」


 美緒が操作盤へ寄る。


「剥がれてはいる」


 千紘が耳を押さえたまま答えた。


 水音の下で、また鉄を食う音がした。扉の下へ、剥がされたものより太い黒い帯が伸びてくる。


 軌道喰らいは止まっていない。線を作り直している。

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