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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第七章 無人列車

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第三十話 回送通過

 監視盤の隙間が広がった。


 白い光が部屋を横切る。


 水野が先に美緒の肩を抱き、細い扉へ向かう。千紘もその後ろへついた。


「担架は俺たちで運ぶ。大月は先に出ろ」


 神崎は俺の返事を待たず、高梨の担架へ回った。


「ガルは」


 黒い背中は監視盤の前から動いていない。


「自分で来る。今は入口を空けろ」


 水野と美緒が細い扉を抜けた。


 保守通路は左右へ続いている。右から近づく白い光を見て、迷わず左へ進む。


 美緒が手すりの向こうを覗きかけ、水野に上着を引かれた。


「下、見ない方がいい」


「線がある」


「あるけど、今は見なくていい」


 二人の足音が離れる。


 千紘が扉の前へ来た。


 右足の大きな長靴を横にし、敷居を越える。外へ出たところで一度ふらついたが、手すりではなく壁へ肩をつけた。


「次、大月君」


「行ける」


「それは見れば分かる。早く」


 肩の毛布を左手で押さえ、立ち上がった。


 一歩目は出た。


 二歩目で床が沈んだように感じる。


 実際には部屋全体が揺れていた。


 監視盤が壁から離れ、裏側に隠れていた黒い空間が広がっていく。そこへ二本の仮設軌道が伸びてきた。


 机の電話が鳴り続けている。


『回送、進入』


 男の声はもう受話器を通していなかった。


 部屋のどこから出ているのか分からない。


 背中を神崎の手袋で押され、細い扉へ向かう。


 保守通路は左側が壁、右側が低い手すりだった。左手を壁へつければ、見えない側を空間へ向けずに済む。


 千紘が数歩先で待っている。


「ここまで真っ直ぐ。敷居だけ少し高い」


 言われた場所へ足を上げた時、背後で電話の音が止まった。


 代わりに紙が一斉に擦れ、机の上に残っていた書類が監視盤の方へ流れていく。風だけではない。床へ細い黒線が伸びていた。


 列車の開いた扉から部屋へ入り、電話のコード、消火器の留め具、机の脚へ一本ずつ触れている。触れられた電話機が机から落ち、床を滑った。


「来るぞ!」


 村瀬の声と同時に、腰を後ろへ引かれた。


 借りた救助ベルトの金具へ黒線が巻きついている。


 身体が敷居へ戻った。


 右の手すりが視界から消える。


「大月君!」


 千紘が左腕を掴んだ。


 長靴の底が滑り、二人分の身体が保守通路の壁へぶつかる。


 黒線は緩まない。


 腰のベルトが締まり、息が詰まった。


「外せ!」


 神崎が留め具へ手を伸ばす。


 指が金具の下へ入らない。


 村瀬がバールを置き、腰の救助ナイフを抜いた。


「切ります!」


「やれ!」


 刃がベルトへ入る。一度では切れなかった。黒線がさらに引き、肩の毛布が落ちた。毛布は俺の脚へ絡んだあと、先に部屋へ引き戻される。


 列車の前照灯が監視盤の奥を白く埋めた。村瀬がベルトをもう一度切る。腹の前で繊維が弾けた。


 身体が千紘の方へ倒れ、水野が通路の奥から俺の上着を掴んで壁際へ引いた。切れたベルトは部屋へ戻っていった。


 腰が軽くなる。引かれる力だけでなく、帰り道で頼るはずだったものまでなくなった。


 毛布、電話機、消火器が黒線の上を滑り、開いた列車の扉へ順番に吸い込まれた。


「人じゃなくて、物を取ってる?」


 美緒が言う。


「まだ決めるな」


 神崎が部屋へ戻りながら答えた。


「高梨を通す。村瀬、足側」


 バールを腰へ差し直した村瀬が担架を持ち上げる。


 神崎が頭側へ回った。


「狭いぞ。肘を出すな」


「俺に言ってるのか」


「全員です」


「なら先に言え」


 高梨が担架の縁を自分で掴んだところで、列車の先頭が部屋へ入った。


 壁が消えたわけではない。監視盤のあった場所だけが奥へ引き延ばされ、そこを古い車両が横切っていく。運転席に人影はなく、割れた速度計の横で細いレバーだけが勝手に動いていた。


 神崎たちが担架を保守通路へ入れる。布の端が扉に擦れ、水野が奥から頭側を受け取った。美緒は高梨の毛布を両手で持ち上げる。


「脚、当たる」


「上げすぎるな」


 高梨が短く息を吐いた。


 固定された足首が敷居を越える。


 村瀬も通路へ入った。


 神崎が最後に手を離し、部屋へ振り返る。


「ガル!」


 ガルは監視盤の前から動いていなかった。列車の一両目が通過する。


 窓の向こうに赤い駅員旗と食料袋が転がっていた。座席には誰もいない。開いた扉から伸びた黒線だけが、部屋に残るものを探していた。


 ガルの圧迫帯へ細い赤が滲んでいる。それでも、こちらを見ていなかった。次の車両の床には、平たい輪をつないだ黒い鎖が重なっていた。ガルの首へ食い込んでいたものと、形が似ている。


 車輪の音が近すぎて、唸りは聞こえなかった。裂けた片耳だけが前を向く。


「ガル、こっちだ!」


 俺の声に、一度だけ顔を上げた。


 そのまま保守通路へ来ると思った。


 ガルは列車へ向き直った。


「大月、戻るな」


 神崎が細い扉の前へ身体を入れる。


「どけ」


「今のお前が行って何をする」


「どけって言ってる」


「ガルはお前を見た。それで来なかった」


 神崎の肩越しに部屋を見る。


 ガルは開いた扉へ飛び込まなかった。


 通過する車両と壁の間に、一段低い足場が現れている。ガルは前脚をそこへ下ろし、身体を滑らせた。


 列車の下ではない。


 仮設軌道と並んで続く、別の細い通路だった。


 黒い背中が一度見える。


 ガルは鎖を載せた車両と同じ方向へ歩き出した。


 走ってはいない。追われてもいない。


 戻れないようには見えなかった。それでも、呼んでも戻らなかった。


『残留、一』


 男の声が部屋へ響く。


 最後の車両が入ってくる。


「扉を閉めるぞ」


 神崎が保守通路へ下がった。


「待て。まだガルが」


「部屋にはもういない」


 声と同時に、表示が変わる。


『残留、ゼロ』


 細い扉を閉めても、列車の音は遮れなかった。すぐ横を黒い窓が流れ、一枚ごとに自分たちの姿が映る。それが途中から別の場所へ変わった。


 水没した三番線。


 薬局の防火戸。


 誰もいない古い二番線。


 偶然の景色には見えなかった。列車が、俺たちの通ってきた場所を順に辿っているようだった。


 最後の窓には、祖父の家の物置が映った。見間違いか確かめる前に通り過ぎ、列車の後部灯と黒線が暗闇へ沈む。


 神崎が細い扉を少しだけ開け直した。あとに残ったのは、何も置かれていない中央防災室だった。監視盤も机もなく、向こうの壁まで灰色の床が続いている。


 視界へ白い文字が浮かんだ。


――――――――――


沈降駅迷宮・回送収容区画から生還しました。


未踏区画《車両連絡路》へ到達しました。


レベルが上がりました。


Lv.9 → Lv.10


最大HP 94 → 100

最大MP 24 → 26


未配分能力値を4獲得しました。

スキルポイントを1獲得しました。


――――――――――


 現在HPは二十五、MPは二のままだった。


 増えた最大値に身体は追いつかない。


 耳の奥に列車の音だけが残り、千紘の声が一度遅れて届いた。肩が壁へ傾く。千紘が先に身体を入れた。


「私も三になりました」


「MPは」


「ゼロのまま。最大は十二です」


「聞こえるか。ガルの音」


 千紘はすぐに答えなかった。


 片耳のイヤホンを外し、手すりの下へ顔を向ける。


 高梨の息と、遠ざかる列車の音が重なっていた。


「下に何かいます」


「ガルか」


「まだ分かりません。爪みたいな音はしたけど、列車の音も近いから」


「降りる場所を探す」


 俺が言うと、神崎が保守通路の先を照らした。


「探す。ただし全員で動ける道からだ」


 言い返す前に、高梨が担架の上からライトの先を指した。


 通路は二十メートルほど先で下り階段へ変わっている。


 壁の札には、薄い文字が残っていた。


 車両留置線。


 内線で指示された場所だった。


「結局そっちかよ」


 村瀬が小さく言った。


 矢印の下で、金属を擦る音がした。


 千紘はまだ、ガルだとは言わなかった。

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