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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第六章 繰り返すホーム

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第二十七話 薬局の奥

 捕まえたゴブリンの笑い声に、地下街の打音が重なる。


 三回、二回。


 近い店から返り、少し遅れて奥からも返る。数を数えようとしたが、途中で同じ音へ戻った。


「水野さん、防火戸を下まで」


 神崎がゴブリンの背を床へ押さえたまま言う。


 水野が鎖を引く。腰の高さまで下りていた防火戸がまた動き、散らばった金属箱を隠していく。


 床まであと三十センチほどのところで止まった。


「引っかかってます」


 戸の下から、赤い駅員旗の柄が差し込まれていた。斜めに噛ませ、防火戸の重さを受けている。


 細い腕が柄を押すたび、金属が少し持ち上がる。


「村瀬、外せるか」


「今離すと、こいつが動きます」


 村瀬はゴブリンの脚を押さえている。腕の布は神崎が握っていたが、小さな身体は止まらない。腰を捻り、何度も床へ爪を立てる。


 俺は商品棚へ背をつけたまま、左脚を伸ばした。金属箱が当たった場所は鈍く痛む。骨まで来ている感じはないが、立とうとすると足裏へ体重が落ちるまで一拍かかった。


「先に俺を起こせ」


「起きて何をする」


 神崎はゴブリンから目を離さない。


「旗を抜く」


「寝てろ」


「座ってる」


「同じだ」


 防火戸の下で、濁った緑色の指が増えた。


 二本、三本と床を探り、内側へ落ちた金属箱へ届こうとしている。ガルが鼻先を近づけると、指はすぐ外へ引いた。


 ガルは追わず、戸の前へ伏せる。


 伸縮帯の赤い染みは広がっていない。呼吸のたびに端が動くのを、美緒が棚の陰から見ていた。


「あの子、手が」


 美緒が小さく言う。


 捕まえたゴブリンの腕から、布が半分外れていた。


 暴れているだけではない。割れた棚板の角へ手首を押しつけ、結び目を削っている。


「村瀬、右手」


 神崎が身体を寄せる。


 ゴブリンが急に頭を振った。


 歯が村瀬の手袋へ当たり、表面を引き裂く。村瀬が手を引いた隙に、細い脚が神崎の胸を蹴った。


 身体が床を転がる。


 ガルの前ではなく、薬局の奥へ。


「止めろ!」


 水野が鎖から手を離し、棚の横へ回る。ゴブリンは倒れた商品棚と壁の隙間へ肩を入れ、そのまま中へ潜った。


 村瀬が腕を伸ばした時には、裸足だけが棚の向こうへ消えていた。


「噛まれた?」


「手袋だけです」


 村瀬が裂けた箇所を見せる。皮膚には届いていない。


 棚の奥から、何かがぶつかる音がした。


 一度。


 続けて、蝶番が軋む。


 薬局のいちばん奥で、細い光が縦に入った。


「従業員口です」


 水野が棚へ手をかける。


「やっぱり残ってた。あの棚をずらせば通れます」


 外のゴブリンが駅員旗を押し上げた。防火戸の隙間が少し広がり、石が一つ転がり込む。


「裏が安全とは限らない」


 神崎が言う。


「ここも、もう安全じゃないです」


 千紘は従業員口へ顔を向け、片耳だけにイヤホンを戻した。


「音界地図を使います。使うと、残り二です」


「奥と外を一緒に見られるか」


「やります。棚を一回だけ叩いてください」


 村瀬がバールの平たい部分を商品棚へ当てた。


 強く振らず、押すように鳴らす。


 千紘は傘の柄でも床を叩いた。金属棚の高い音と、床の低い音が重ならずに広がる。


 目を閉じたまま、身体の向きを少しずつ変えた。


「裏は通路です。左へ曲がって、二十メートルくらい……扉が一つ。右は途中で潰れてます」


 防火戸の下で旗が擦れる。


 千紘の眉が寄った。


「外は正面に四つ。右の店に二つ。もっと奥は重なって分かりません。入ってきた通路にも一ついます」


「逃げたやつは」


「左へ行ってます。一つだけ。こっちを待ってないです」


 千紘が目を開ける。壁へ手をつき、息を一度吐いた。


「MPは二。もう一回は使えます」


「残せ。村瀬、水野さんと棚を動かせ。俺はここを見る」


 神崎が防火戸へ向かう。


 俺は棚から背を離した。


「大月は高梨さんの横」


「まだ何も言ってない」


「立とうとした」


 左の膝は上がったが、足裏を床へ置いたところで力が抜けた。誤魔化せず、担架の横へ座り直す。


 高梨がこちらを見た。


「あんたも担架、いるんじゃないか」


「一つしかない」


「半分使うか」


「脚を退けられるなら」


「それは無理だ」


 高梨が息だけで笑い、すぐ眉を寄せた。


 村瀬と水野が棚を持ち上げる。床へ散った瓶が転がり、乾いた音を立てた。


 美緒が一本を拾いかける。


「触らなくていい」


 水野に言われ、伸ばした手を引っ込めた。代わりに高梨の上着を床から拾い、担架の胸元へ戻す。


「やっぱり寒そう」


「さっきよりは」


「嘘」


「そうかもな」


 棚が横へずれ、従業員口が半分見えた。扉は逃げたゴブリンが通れる幅だけ開いている。


 防火戸の向こうで、駅員旗の柄が折れた。


 支えを失った戸が一度下がる。だが、すぐ別の鉄棒が差し込まれた。


 ガルが立ち上がった。


 戸の隙間へ口を寄せず、正面で身体を大きく見せる。外から突き込まれた鉄棒が床を掻き、ガルの前脚までは届かない。


「通すぞ。美緒ちゃん、千紘、水野さん。次に担架」


 神崎の指示で、美緒が先に従業員口へ入る。千紘は大きな長靴を扉の下へぶつけ、身体を傾けながら続いた。


 水野が通路側から扉を押さえる。


 高梨の担架は真っ直ぐでは通らなかった。頭側を先に入れ、固定した脚を少しだけ斜めにする。


「待って、そこ当たる」


 高梨の声が裏返る。


 村瀬が足側を下げた。


「ここなら」


「早くしてくれ。ゆっくりの方が痛い」


 担架が扉を抜ける。


 俺は壁へ左手をつき、立ち上がった。握る必要がなければ、まだ身体は支えられる。


 薬局の床が少し沈んだように見えた。


 目を閉じかけた時、左腕を掴まれる。


「歩けますか」


 千紘が通路側から戻っていた。


「戻ってくるなよ」


「返事になってない」


「歩ける」


「じゃあ、こっち」


 千紘は引っ張らず、左腕へ手を置いたまま先に進む。扉の段差だけを声で知らせた。


 後ろで神崎と村瀬が薬局から出る。最後にガルが身体を低くして従業員口を通った。防火戸の隙間から石が飛んだが、扉の枠へ当たって落ちる。村瀬が従業員口を閉め、神崎と二人で倒れていた清掃用具入れを寄せた。鍵のない取っ手を塞ぐ。


 裏の通路は、店の搬入口をつなぐ細い廊下だった。天井の照明は消え、壁の非常灯だけが弱く残っている。左へ曲がった先に、小さな裸足の跡が続いていた。


「追うのか」


 神崎が俺を見る。


「ほかに道があるなら、そっちでいい」


「ないです。右は潰れてました」


 千紘が答える。


 神崎は何も言わず、左を選んだ。


 十メートルも進まないうちに、ガルが止まる。


 逃げたゴブリンも、その先にいた。


 腕には切れた布が残っている。俺たちへ歯を見せたが、戻ってくる気はないらしい。背中を壁へつけ、通路の床を見ていた。


 床を一本の黒い線が横切っている。


 点字ブロックで見たものより細い。壁際の配線穴から出て、反対側の搬入口へ続いていた。


 ゴブリンが足元のボルトを拾い、黒い線へ投げた。触れたボルトが線の上を滑って暗がりへ消える。


 少し遅れて、車輪の回る音が返ってきた。


 前からではない。俺たちが閉めた薬局の扉の向こうからも、同じ音が近づいていた。

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