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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第五章 久世攻略隊

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第二十話 同じ地下二階

 発車音の最後に、低い一音が重なった。


 壁の青白い線が太くなる。


 目の前へ半透明の表示が開いた。


――――――――――


外部迷宮からの接続を検知しました。


要求元:沈降駅迷宮

接続先:第零迷宮

状態:未承認


――――――――――


 承認するための表示はなかった。


 青白い接続線はB2の文字から離れ、俺の胸へ向かって伸びている。触れてもいないのに、右目の奥が押された。


「大月、何が見えてる」

「この駅が、第零迷宮につながろうとしてる」

「止められるか」

「分からない」


 神崎の問いへ、すぐ答えられたのはそれだけだった。


 下から救助ロープが引かれる。


 村瀬が手すりへ両腕を回し、身体ごと押さえた。地上班が引いているなら、下へ声をかけても届かない。


「腰の金具を外せ!」


 神崎に言われ、ベルトの左側を探った。指が金具を一度滑る。


 右手を回そうとしたが、肩が動かない。


 村瀬が俺の左へ手を伸ばし、金具を外した。解放されたロープが階段を下へ走り、暗がりへ吸い込まれていく。


 終端を掴んだ神崎の手袋が手すりにぶつかった。ついさっきまで、俺の腰につながっていた側だ。


「地上、引くな! 応答しろ!」


 無線には発車音だけが返った。


 その音も途中で切れる。


 救助ロープは動きを止めた。上から下りてきた一本と、下へ消えた一本が、同じ手すりを挟んでつながっている。


 神崎がロープへ白い塗料で印をつけ、下側を少し引く。


 手元の端につけたはずの印が、今度は俺たちの頭上から下りてきた。


「輪になってる」


 村瀬が呟く。


「地上につながったまま、ここも通ってるんですか」


「今は断定するな。使えないことだけ覚えろ」


 神崎はロープを手すりへ固定し直した。切れば地上側に何が起こるか分からない。腰の金具だけを外し、俺たちは命綱のない状態で踊り場へ残された。


 スマートフォンが鳴った。


 画面には三枝千紘と出ている。


「三枝」

『聞こえます。今、どこですか』

「地下二階」

『私もです』

「それは知ってる」

『そうじゃなくて、近いです。さっきより足音が大きい』


 俺はスピーカーへ切り替えた。神崎が腕時計を見る。


「三枝さん、こっちから音を出します」


 村瀬が手すりを工具で三回叩いた。


 甲高い音が階段へ落ちていく。


 通話の向こうでも、ほとんど同時に三回鳴った。そのあと少し遅れて、俺たちの左側の壁から同じ音が返る。


『二か所から聞こえました』

「こっちもだ」

『もう一回、今度は一回だけお願いします』


 村瀬が叩く。


 正面の階段から一回。左の壁から、少し遅れて一回。


 ガルは階段へ顔を向けなかった。


 左の壁際まで歩き、鼻先を床へ近づける。黄色い線はそこで途切れていた。壁の下に溜まった埃だけが、細く手前へ引かれている。


「左に何かある」

『そっちの音は低かったです』

「低い?」

『壁から聞こえた方です。反響じゃなくて、壁の向こうで鳴ったみたいな……すみません、うまく言えない』


 千紘の声が遠ざかる。


 通話の奥で、細い金属音が三回鳴った。


 今度は左の壁が震えた。


 ガルが前脚を一歩引く。毛の間から見えた傷が開き、脇腹へ新しい血が滲んでいた。


「三枝、今の音は」

『休憩室にあった傘立てです。壁を叩きました』

「そこにいて」

『います。もう叩きません』


 こちらが止めた理由まで聞き返さなかった。


 接続線はまだ俺の胸へ向いている。左へ動くと、それも追ってきた。ただ、ガルが嗅いでいる場所だけ、壁との間に小さな折れ目ができる。


 バールの先を入れようとしても、隙間はない。


 左手の手袋を外し、壁へ触れた。


 冷たいタイルの感触が、途中で消える。


 指先は壁に当たっているのに、その奥でもう一枚、薄いものが張っていた。第零迷宮の出口が閉じた時と似ている。違うのは、継ぎ目が固定されず、呼吸するように動いていることだった。


「境目があります」


 神崎が隣へ来る。


「切れるか」

「一回なら」

「その先に三枝さんたちがいる保証は」

「ない」


 通話の向こうで千紘が言った。


『でも、そっちの声が壁から聞こえます』


 神崎は腕時計を見た。残りは九分を切っている。


「やれ」

「失敗したらMPがほとんどなくなる」

「それで何ができなくなる」

「次の境目は切れない」

「分かった。ほかは」


 答えようとして、右目の奥がまた脈打った。吐き気が戻る。前と同じなら、切った境界はすぐ戻るかもしれない。指を離せば、この場所も見失う。


「開いても、長く持たない」


「村瀬、先に抜けろ。ガル、大月、俺の順だ」

「ガルは決めても」

「今そこを言い直すな」


 村瀬が左壁の前へ立つ。ガルは指示を待たず、その横へ身体を低くした。


 息を吐き、指先で動く継ぎ目を押さえる。


 《断界》を使うと、胸の奥から熱が抜けた。


 壁の向こうにあった薄い膜へ、青白い亀裂が走る。タイルの目地が左右へずれ、人一人が通れる幅だけ壁が折れた。


 奥に暗い廊下がある。


「行け!」


 村瀬が身体を横にし、上半身だけ隙間へ入れた。ライトを左右へ振る。


「床が一段低い。人影なし、通れます」


「抜けろ」


 村瀬が向こうへ降りた。ガルが続く。


 俺も足を出したが、床の高さを読み違えた。左足が空を踏み、裂けた壁の縁へ右肩からぶつかる。


 息が止まった。


 神崎に背中を押され、廊下へ転がり込む。右肩の下が濡れた。今度は確かめなくても、縫った場所が開いたと分かった。


 最後に神崎が抜けた。


 壁は防火服の背中を擦りながら閉じた。


 向こうに残った救助ロープも、B2の表示も見えなくなる。


「立てるか」

「立てます」

「まだ聞いてない」


 神崎は俺の右肩を見ていた。


 父の上着に黒い染みが広がっている。触ろうとした神崎の手を避け、壁へバールをついた。


「先に四人」

「村瀬」

「俺が見ます」


 村瀬が戻り、上着の肩口を開いた。ガーゼの上まで血が滲んでいるが、流れ落ちるほどではない。


「圧迫しながらなら動けます。帰ったら縫い直しです」


「帰れればな」


 神崎が閉じた壁を叩く。返ってきたのは一度だけだった。


 ステータスを開くと、HPは二十五、MPは二まで落ちていた。同じことは、もうできない。


     ◇


 廊下の天井灯は、三本に一本だけがついていた。


 案内板にはB2とある。


 さっきまでいた場所と同じ階なのに、壁の色が違う。白かったタイルは薄い緑に変わり、ところどころへ古い広告の剥がし跡が残っている。


 ガルが先に歩いた。


 黄色い点字ブロックの手前で止まり、右の通路へ入る。


 俺たちも線を踏まずに続いた。


「三枝、もう一度音を」


 神崎が言ったが、通話は切れていた。発車音のあとに開いた通信時間が終わったらしい。


 代わりに、壁を叩く音がした。


 三回。少し間を空けて、二回。


 村瀬が工具で三回、二回と返す。


 すぐ近くで、何かが床を走った。


 ライトを向ける。


 通路の奥から黒い板状の頭が現れた。車輪の脚が黄色い線を噛み、壁へ触れそうな速さで近づいてくる。


「線を切れ!」


 神崎が前へ出る。村瀬が腰の袋から折り畳んだゴム板を投げた。黄色い線の上へ落ちたが、端が丸まり、怪物の前脚が乗り越えた。


 神崎の盾は地上に置いてきている。代わりに長い工具を横へ出した。黒い板がぶつかり、神崎の身体が後ろへ滑る。押し返しても怪物の脚は線から外れず、車輪だけが回り続けた。


 ガルが横から肩を当てた。脇腹を庇ったせいで押し切れず、怪物の頭がガルへ向く。


 俺はバールの曲がった先を黄色いブロックへ差し込み、左手だけで持ち上げた。一枚目は動かない。二枚目との境へ体重をかけると接着が剥がれ、黄色いブロックが浮く。中央の黒い軌道線が途中で折れ、怪物の車輪が空回りした。


「離せ!」


 神崎が工具を捻る。


 怪物の身体が黄色い線から外れ、床の濡れた場所へ転がった。


 村瀬がゴム板を広げ、剥がれた線の上へ重ねる。怪物は脚を回したまま、その場で黒い頭を振った。


 倒してはいない。


 それでも通路の先は空いた。


 ガルは怪物へ向かわず、壁を叩く音を追った。


 角を二つ曲がる。


 緑色の扉が少し開き、隙間から少女がこちらを見ていた。十歳にもなっていない。片手に折れた傘の柄を持ち、俺たちを見ても声を出さなかった。


「消防です。もう大丈夫」


 神崎が膝をつこうとする。


 少女は神崎ではなく、ガルを見た。怖がって下がると思ったが、握っていた傘の柄を床へ置く。


「この子、黒いの踏んでない」


 ガルの足元を見て言った。


「そうだな。君も踏まなかったのか」


 少女が頷く。


「お姉ちゃんが、音が返ってきたら扉のところ見ててって」


 少女の後ろで扉がもう少し開き、三枝千紘が顔を出した。片手にスマートフォン、もう片方に金属の傘立てを持っている。


 俺を見るなり、視線が眼帯から右肩の血へ落ちる。


「本当に来たんですね」

「消防だけの方がよかった?」

「その怪我で来るとは思ってませんでした」


 声は責めるより先に、少し呆れていた。


「三枝も同じだろ」

「私は来た時は怪我してません」


 言い返したあと、千紘の手から傘立てがずれた。床へ落ちかけた金属を、少女が両手で受け止める。


 千紘は礼を言い、持ち直した。


 震えているのは指だけだった。


「中に二人います。歩けない人が奥です」


 神崎と村瀬が先に入る。


「消防です。名前を聞かせてください」


「水野です。こっちは高梨。足をやってます」


 狭い休憩室の床に、駅員が二人座っていた。高梨は腫れた足首を傘とベルトで固定され、水野は濡れた制服の上着を子供へかけている。


 壁の下から水が薄く入り始めていた。


「三枝さん以外に、ステータスが出た人は」


 神崎が聞くと、駅員二人と少女は首を振った。


「壁の線に触ったの、私だけです」


 神崎が高梨の状態を見ている間、千紘は扉の外へ耳を向けた。白いイヤホンは耳から外れ、胸元へ垂れている。


「さっきの黒いの、まだいます」


「線から外した。動けない」


「それだけじゃないです」


 千紘が顔を上げた。


 天井の向こうで、重いものが走り抜ける音がした。


 部屋全体が細かく震える。


「上を走ってます」


 今まで聞いた発車音とは違うベルが鳴った。


 駅員二人が同時に通路へ顔を向ける。


『二番線に、列車がまいります』


 電気の切れていた案内板が点灯した。


 そこには出口ではなく、下向きの矢印が表示されていた。

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