第十六話 一万の入口
四月九日の朝、点滴の管が寝返りに引かれて目が覚めた。
右肩は縫い直され、左腿にも新しい糸が入っている。肋骨は折れていなかったが、深く息を吸うと昨日よりはっきり痛んだ。
枕元でステータスを開く。
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HP:19/76
MP:3/18
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一日近く眠り、補液と食事を入れても戻ったのはこれだけだった。傷口は閉じられている。だからといって、身体を起こせる数字ではない。
スマートフォンには、父から動画が三本届いていた。
一本目は庭だった。午前六時十二分。物置の壁際でガルが伏せている。古い鍋に水と肉を置いても、父が近くにいる間は顔を上げるだけで口をつけない。
二本目は木戸の鍵を映していた。外から掛けた南京錠を揺らし、父の声が入る。
『木戸は閉まる。ただ、奥の壁はそのままだ。消防には連絡した』
三本目を開く。
工具棚の奥へ、黒い核保管室が続いていた。父は中へ入らず、物置側から撮っている。画面の右端に青白い輪が半分だけ映り、左の壁には昨日なかった光が広がっていた。
動画を一度止め、再生位置を少し戻す。
父が工具棚へカメラを向ける直前、右側に何か映っていた。
拡大すると、黒い壁へ大陸の形が浮いている。地図としては輪郭が粗く、国境も都市名もない。それでも日本列島と、その周囲へ散った光点は分かった。
父の足音が近づくと、壁の文字が明るくなった。
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地表接続概況
世界地表への接続反応:14,612
魔物流出警告:286
第零迷宮接続:1
個別位置情報は未開放です。
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動画の中で、父が何か言った。
音量を上げて最初から聞き直す。
『これ、お前には読めるのか』
文字は動画にも映っている。俺だけに見えているわけではないらしい。
地震直後、入口らしきものの報告は一万を超えたところで集計中へ戻った。あれから一週間、公的に確認された数もまだ一万余りとしか発表されていない。
壁にあるのは、一万四千六百十二。
海上にも、山の中にも光がある。細い島には何もないように見えて、拡大すると端へ小さな点が重なっていた。
まだ誰にも見つかっていない入口がある。
そのうち二百八十六箇所では、もう何かが外へ出ようとしている。
病室のテレビでは、海外の空港へ現れた入口を軍が封鎖したという映像が流れていた。滑走路へ並んだ車両の向こうで、黒いものが一度だけ起き上がる。画面はすぐ官房長官の会見へ切り替わった。
テレビを消した。
父へ電話をかける。
『起きたか』
「三本目の壁、文字まで映ってる」
『読めた。一万四千って、入口の数か』
「たぶん」
『たぶんで消防に見せろって言うのか』
「隠しても、物置ごと見つかるだろ」
『明日の十一時に来る。昨日、お前を運んだ隊の人だ』
「誰」
『神崎さん。前に学校の方へ入った隊員らしい』
聞いたことのない名前だった。
『あと、ガルは食ってない。お前がいないからか、俺が見てるからかは知らん』
「置いとけば食う」
『お前が置いたみたいに言うな。肉を買ったのは俺だ』
通話が切れた。
父は命令するなと言われたのを気にしているのか、ガルへ近づかずに動画を撮っていた。肉を庭へ置いて離れるところまでは、自分で考えたらしい。
午前十時を過ぎると、大学から何度も通知が来た。
新入生ガイダンスは再延期。履修登録の期限も延び、代わりに一年生だけの接続確認を行うという。参加できない場合は後日でもよいと書かれていた。
欠席の理由へ「入院」と入力しかけ、消した。
病室のベッドからでも接続はできる。カメラを切り、表示名だけ本名へ直した。
画面には十人ほどの名前が並んだ。担当教員の声は何度か途切れ、そのたび誰かの生活音が入る。食器を洗う水、子供の声、遠くの防災無線。大学の教室へ一度も集まっていないのに、全員が同じ一年生として扱われていた。
共有された資料が四ページ目で止まる。
『大月さん、見えてます?』
女の声がした。
参加者一覧で、三枝千紘という名前の横だけ音声の印が動いている。小さく開いた映像には、肩までの髪と、片耳だけに入れた白い有線イヤホンが映っていた。
「見えてる」
『よかった。返事なかったから、固まったのかと思って。先生の方が止まってるみたいです』
言われてから、担当教員の映像が同じ顔のまま動いていないことに気づいた。
「別の動画見てた」
『じゃあ、資料は見えてるんですね。あ、提出、今日じゃなくなったそうです。月曜まで』
「分かった。ありがとう」
三枝は頷き、画面の外へ目を向けた。
そのまま動かなくなる。
「今度はそっちが止まった?」
『止まってないです。今、音がしたから』
「何の」
三枝はイヤホンを外し、窓の方へ顔を向けた。マイクへ入るのは風と、どこかの車が走る音だけだった。
『久世駅の二番線です。発車する時の音』
「駅、動いてないだろ」
『はい。四月二日から一度も』
答えながら、机の上へ別のスマートフォンを置く。録音画面らしい赤い丸が一瞬だけ見えた。
「聞き間違いじゃなくて?」
『毎朝聞いてたので。いつもの音より、最後に低い音が一つ多かったですけど』
三枝は窓を少し開けた。外の音が大きくなり、カーテンが画面へ入る。
『もう一回鳴るか、少し待ちます』
担当教員の接続が戻り、途中だった説明を何事もなかったように始めた。
三枝の音声は消えた。小さな映像は残り、机の端へ置かれたスマートフォンの赤い録音表示が点いている。
父の動画へ戻る。
日本列島の中央付近で、ほかより少し大きな光が明滅していた。久世市かどうかまでは分からない。
光は一度消え、少し遅れて同じ場所へ戻った。




