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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第四章 全迷宮の根

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第十五話 第零迷宮

 青い線の奥で回っているものを見ていると、左壁の方から乾いた音が届いた。


 忘れていた園芸縄が、どこかで石を擦っている。一度止まり、また鳴った。父が外から引いたらしい。こちらの返事を待っているのか、少し間を空けてもう一度だけ縄が擦れた。


 戻らないといけない。そう思って手をついたが、腕は身体を持ち上げなかった。右肩から力が抜け、肋骨の奥で遅れて痛みが広がる。


 ガルがこちらを振り返った。


「先に出てもいいぞ」


 耳は動いたが、出口へは向かわない。球体と俺を交互に見て、その場へ伏せた。


 待っているのか、動けない俺を見張っているのかは分からない。小型リュックを左肘へ引っかけ、床を這う。二度進んだだけでガーゼの下が熱くなった。


 球体までは、腕を伸ばせば届くところにある。


 青い線へ左手を近づけると、球体の回転が止まった。


――――――――――

第零迷宮第一層核


収容準備が完了しました。

固有スキル《継承》の保持者が接触してください。

――――――――――


 持ち上げて運ぶのかと思っていた。


 球体は両手で包める程度でも、床へ何も支えず浮いている。今の腕で抱えたところで、入口まで持って帰れる気はしない。


 指先で青い線へ触れた。


 表面が縦に開く。


 中には青白い輪が幾重にも重なり、それぞれが違う向きへ回っていた。機械に見えるのに、歯車も軸もない。近づいた指へ輪の一つが傾き、そのまま左手を通り抜ける。


 冷たさはなかった。代わりに、足元の石が脈打った。


 球体から青い線が流れ出す。手首へは上がらず、床を這って壁へ散った。赤い筋だけが表面へ残り、何度か明滅したあと、内側から細かく割れていく。


 ガルが立ち上がった。割れた球体へ飛びかかろうとはしない。首を低くし、青い線が壁の中を走る音を追っている。


 最後に残った黒い殻が崩れた。


――――――――――

第零迷宮第一層核を収容しました。


保有迷宮核:1


レベルが上がりました。


レベル:6 → 7

HP:9/76

MP:1/18


未配分能力値:8

スキルポイント:3

――――――――――


 最大値だけが増え、傷の痛みは何も変わらなかった。


 床へ落ちた核の殻が、黒い砂へ混じる。砂は青い線に触れた端から沈み、執行体の身体も一緒に崩れ始めた。


 胸の外殻が消えると、刺さっていた鉈が横へ倒れた。取りに行こうとして、やめる。柄までは三歩もない。けれど今は、その三歩を立って進めなかった。


 ガルが鉈へ鼻を寄せた。


「それは噛むな」


 言った直後、ガルが柄を咥えた。刃を床へ引きずり、俺の方へ持ってくる。


「噛むなって」


 ガルは鉈を落とし、鼻先で柄を押した。言うことを聞いたわけではない。それでも、鉈は手元へ戻った。


 空の鞘は腰の後ろに残っている。鉈を収めるのに三度手間取り、最後は柄の方を動かしてどうにか入れた。


 青い線が部屋の四方へ行き渡る。


 執行体の残骸が完全に沈むと、正面の壁へ四角い継ぎ目が現れた。人一人が通れる幅から、ガルの肩が触れずに抜けられるところまでゆっくり広がる。


――――――――――

迷宮核収容数が1に到達しました。


施設《核保管室》を開放しました。

施設《簡易倉庫》を開放しました。


現実側接続点を展開します。

――――――――――


 壁が音もなく奥へ退いた。


 向こうにあったのは、今までの通路より狭い部屋だった。黒い石でできているのは同じだが、床に砂はない。左壁の奥にはもう一つ小さな空間があり、浅い棚だけが並んでいる。


 中央には、腰ほどの高さの台座があった。青白い輪がその上で回っている。さっき球体の内側にあったものだ。透明な膜に包まれ、手を伸ばせば触れられそうな距離にある。


 ガルが先に入った。棚の匂いを嗅ぎ、台座を避けて奥へ進む。敵がいないと分かっている動きではなかった。入口へ戻れる距離を残し、何度も後ろを見ている。


 俺も膝を使わず、腕だけで継ぎ目を越えた。


 部屋の右側には、もう一つ開口部がある。奥から入ってきた空気に、埃と油の匂いが混じっていた。


 知っている匂いだった。黒い石の向こうへ、祖父の物置が続いている。


 壁に掛けた錆びた鋸。古い肥料袋を押し込んだ棚。今朝バールを出した時、俺が閉めたはずの木戸まで見えた。


 ただ、物置の一番奥にあった板壁だけがなくなっている。


 代わりに核保管室が口を開け、黒い床が古いコンクリートの途中まで入り込んでいた。


 物置の木戸が勢いよく開いた。


「在真!」


 父が園芸縄を片手へ巻いたまま入ってくる。俺を見つけて二歩進み、その先が黒い床へ変わっていることに気づいて足を止めた。


「……なんだ、ここ」


「俺も今見た」


「木戸の隙間が青くなってた。開けたら、お前がいるし」


「お前、どこから出てきた」


 俺が背後を指すと、父は核保管室の奥を見た。回収執行体の部屋までは一直線ではなく、青い光だけが継ぎ目の向こうへ続いている。


 説明を待つより先に、父がこちらへ踏み込んだ。


「立てるか」


「無理」


「だろうな」


 しゃがんだ父が、俺の右腕を取ろうとする。


「そっちは肩が開いてる」


「先に言え」


 左側へ回り直し、脇の下へ腕を入れられた。身体が起きるだけで肋骨に響き、息が止まる。


 ガルが低く唸った。


 父の腕へではない。俺の右肩から落ちた血を見て、喉を鳴らしている。


「ガル、外へ行け」


 父が言うと、ガルの耳が伏せられた。


「それ、命令するな」


「今その話をするのか」


「首輪、やっと切ったんだ」


 父はガルの首を見た。毛の抜けた輪と血の乾いた古傷が、もう何にも隠れていない。


 口を開きかけてやめ、俺の腰を抱え直す。


「なら、お前が先に出ろ。あいつは勝手にする」


 物置のコンクリートへ安全靴が着いた。


 朝の光は、迷宮の青よりずっと白かった。左目が慣れるまで顔を伏せていると、父がポケットからスマートフォンを出す。


「救急へ電話する」


「入口のことは」


「お前の傷より後だ」


 言い返す気力が残っていなかった。


 父が通報している間に、ガルが核保管室から出てくる。俺たちのそばでは止まらず、開いた木戸を抜けて庭まで歩いた。


 首を上げ、山の匂いを嗅ぐ。


 林へ行くのかと思ったが、ガルは物置の脇へ回った。壁際の乾いた土を二度掻き、そこへ身体を横たえる。


 木戸を閉めても、黒い部屋は消えなかった。


 工具棚の奥で青い輪が回っている。壁へ掛けた鋸の刃が、そのたびにかすかに震えた。

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