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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第二十章 中枢迷宮

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第九十九話 まだない指輪

 病院を出たのは、第七獣舎から戻って三日目の昼だった。


 左肩には新しい保護材が入り、背中の打撲も黒紫から黄色へ変わっている。HPとMPは戻ったが、腕を真上へ上げると噛まれた場所が引きつった。


 右目は変わらない。


 真竜人になって変わったのは、傷が消えることではなく、身体の奥で熱が暴れにくくなったことだった。歩くだけで汗をかいていた竜脈が、今は息を整えれば背骨の内側へ収まる。


 帰還した日の処置が終わってから、残していた能力値を配った。増えた最大値まで戻るのに、食事と二晩の睡眠が要った。


――――――――――


名前:大月在真


種族:真竜人

種族ランク:上位種

レベル:50


HP:3,940/3,940

MP:1,240/1,240


筋力:1,380

耐久:1,680

敏捷:1,350

器用:680

感覚:420

精神:875


未配分能力値:0

スキルポイント:46


称号:

《第零迷宮初踏破者》

《隻眼の攻略者》

《黒狼の盟友》

《沈降駅踏破者》

《世界杭攻略者》


固有スキル:

《継承》Lv.7


継承能力:

《断界》Lv.1

《衝撃分散》Lv.1

《空歩》Lv.1

《座標記録》Lv.1

《係留》Lv.1

《道標共有》Lv.1

《記憶固定》Lv.1


一般スキル:

《呼吸合わせ》Lv.1

《境目抜け》Lv.1

《足場読み》Lv.1


種族特性:

《真竜鱗》

《真竜脈》


――――――――――


 千紘も二百四十ポイントを残さず配った。


 筋力百六十、耐久四百十、敏捷五百四十、器用六百六十、感覚九百二十五、精神七百六十。HPは二千八百八十、MPは千二十まで上がっている。


「感覚には、今回は三十なんだな」


「四十にしようとしたら、廊下の自販機がずっと鳴ってたからやめた」


「鳴ってないぞ」


「在真にはね」


 迎えに来た父の車で祖父の家へ戻る間、千紘は何度か左手を開いていた。能力値へ慣れていないせいではない。薬指の根元を親指で触り、そのたび何もないことを確かめている。


 家の前には知らない白い車が停まっていた。


 千紘の両親が先に来ている。


「もう来てるじゃん」


「一時って言っただろ」


「今、十二時五十七分」


「三分前だ」


「着替える時間がないって言ってるの」


 千紘は病院を出た時のシャツのまま、自分の袖を嗅いだ。消毒薬の匂いしかしないと思う。


「俺も同じだ」


「在真はそのままでも気にしないでしょ。私は嫌」


 父が運転席から降り、トランクを開けた。


「玄関で続けろ。荷物持てるのか」


「左なら」


「聞いてない。持つな」


 退院したばかりの息子に対する言い方は、真竜人になっても変わらなかった。


 玄関を開けると、焼いた魚と味噌汁の匂いがした。母は昼飯を軽くすると言っていたはずなのに、座敷の机には皿が七枚並んでいる。


 妹の結衣が廊下から顔を出した。


「角、ちょっと伸びた?」


「たぶん変わってない」


「触っていい?」


「だめ」


「千紘さんは触ったことあるのに?」


 千紘が靴を脱ぐ途中で止まった。


「母さん」


「私、何も言ってないわよ」


 台所から返った声は妙に速い。結衣のスマートフォンへ送ったのは母だろう。


 隠す話でもない。


 ただ、座敷へ入る前に全部済んだ感じがして、用意していた言葉が一度消えた。


 千紘の父親は背筋を伸ばして座り、母親は湯飲みを両手で持っていた。何度か会ってはいるが、二人が揃ってこの家へ来るのは初めてだった。


 父が俺の隣へ座る。


 母と結衣は台所へ戻らず、空いている側へ詰めた。


 千紘が俺を見た。


「先、言う?」


「俺たち、婚約することにしました」


 口に出すと短かった。


 千紘の母親が湯飲みを置く。底が受け皿へ二度当たった。


「同居のお話までは、聞いてたけど」


「その先も決めました」


 千紘が言った。


「大学は?」


「やめないよ」


「遠征は」


「それも、今すぐやめるとは言えない」


「結婚したら、やめるの?」


 千紘は答える前に、膝の上で指を組み直した。


「結婚したからって理由では決めない。行く場所と、その時の私で決める」


 母親の眉が寄る。


 隣で父が息を吸った。俺へ何か言う前に、千紘の父親が口を開く。


「それは、二人で決めたことか」


「私は私で決めました」


「在真君は?」


「同じです。千紘が行くかは、千紘が決める」


 父がこっちを見る。前なら、守ると言え、と口を挟んでいたかもしれない。


 今日は膝へ置いた手を動かさなかった。


「戻ったばかりで決めたわけじゃないんです」


 千紘が続ける。


「灰海へ行く前から、一緒に暮らす話はしてました。帰れたら、でもなくて。そのあと大学をどうするかとか、家賃とか、鍋が二つあるのをどうするとか」


「鍋?」


 千紘の父親が初めて少し顔を崩した。


「同じ大きさのが二つあって」


「一つでいいだろ」


「在真が両方使えるって言うから、まだ決まってない」


「使える」


「使うかどうかの話」


 結衣が吹き出し、母も口元を押さえた。


 張っていたものが全部ほどけたわけではない。千紘の母親はまだ娘の手を見ている。向こう側で鼻血を出し、知らない魔人の腕へ包帯を巻いた手だ。


「指輪は?」


 結衣が聞いた。


「今日、見に行く」


「まだないのに報告したの?」


「物を買ってから許可を取りに来たみたいにしたくなかったから」


 千紘が答えると、今度は俺の母が立ち上がった。


「じゃあ、ご飯にしましょう。冷めるから」


 賛成とも反対とも言わないまま、味噌汁を運び始める。


 俺も立とうとしたが、父に肩ではなく皿を押さえられた。


「お前は座ってろ」


「もう動ける」


「左肩、上がってないだろ」


 言われて持ち上げると、保護材の下が引きつった。


「上がる」


「それで皿を持てるのか」


 結局、魚の皿は結衣が配った。


 食事の途中で、千紘の母親がもう一度だけ聞いた。


「怖くないの」


 誰に向けたのか分からなかった。


 俺が答えかけるより先に、千紘が箸を止める。


「ずっと怖いよ」


 母親はその続きを待った。


 千紘は何も足さず、冷めかけた味噌汁を飲んだ。


 午後、俺たちは駅前の小さな店で銀色の指輪を選んだ。


 宝石はなく、内側へ名前と日付を刻むだけのものだ。受け取りは一週間後になる。


「今日つけて帰れないんだ」


 店を出てから千紘が言った。


「別のにするか」


「これがいい」


「じゃあ待つしかない」


「分かってる。言っただけ」


 祖父の家へ戻ると、結衣が作った家族用の通話画面に神崎さん、灯、直人が映っていた。


「なんで三人いる」


『おばさんから聞いた』


 直人が答える。やはり母だった。


『大月、婚約したなら最初に言うことがそれか』


 神崎さんは消防署らしい白い壁の前にいた。灯は救急車の横で紙パックの飲み物を持ち、直人は大学の作業室にいる。


「今から言うつもりだった」


『その言い訳、指輪の受け取りにも遅れそう』


 灯が言った。


 千紘は俺の横から画面を取り上げる。


「一週間後だから。時間はまだ決まってない」


『おめでとう』


 神崎さんが先に言い、直人がそれへ重ねた。灯だけは少し遅れた。


『今度、傷のない時に見せて』


「努力する」


『在真じゃなくて千紘に言った』


 通話の向こうで笑い声が重なる。


 ガルが縁側で頭を上げた。


 画面の音ではない。


 物置の方へ耳を向け、立ち上がる。


 次に聞こえた音は、居間にいる俺にも分かった。


 床下から二回。


 間を置いて、三回。


 千紘の顔から笑いが消える。


「ノアだ」


 通話を切らず、俺たちは物置へ走った。


 左肩が遅れる。千紘は先に木戸を開け、ガルがその脇を抜けた。


 第零迷宮の観測門には、すでに黒い四角が浮かんでいる。


 映ったノアは第七獣舎にいなかった。背後の壁が揺れ、天井から白い粉が落ちている。右耳のない個体十二を連れ、狭い階段を下りていた。


『第三地下が落ちた』


「薫と蓮は」


『中枢へ逃げた。継続局も追ってる』


 ノアが振り向く。


 遠くで、鐘に似た音が三度鳴った。


『中枢迷宮が、向こうから開く』


 黒い画面の縁へ青い線が集まり始める。

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