魔女の証明――「理」そのものを超越する悪意
空が、死んだ。
王都を覆っていた夜空が、大奥様――システムに再編された「黒煙の魔女」の降臨によって、物理法則ごと塗りつぶされたからだ。
かつてレオナが知る「お母さん」は、最果ての村で常に何かに抗っていた。システムという名の鎖、寿命、呪い、そして迫りくる王国の監視。それら全てが「デバフ」として彼女の全力を縛り付けていた。それでもなお、あの時の彼女は最強だった。
だが、今の目の前に佇む「大奥様」は違う。システムが用意したバックアップデータ。デバフは皆無。世界の理に干渉する権限を、何の制約もなしに行使できる「完全な存在」として、彼女はそこに君臨していた。
「……あり得ない。出力の次元が、違いすぎる」
レオナは、自分の指先が微かに震えているのを見て、自嘲気味に笑った。
ジークが震える声で叫ぶ。「レオナ様、逃げて……! あれはかつて大奥様がシステムに封印された時の、さらにその先の……完全な魔女です!」
大奥様が、ゆっくりと右手を持ち上げる。それだけで、周囲の大気が悲鳴を上げた。
彼女が掌を開くと、そこには「空」が詰まっていた。星の輝き、虚無、物理法則の全てを凝縮した漆黒の球体。それは魔法などという矮小な言葉では片付けられない、世界の「削除権限」そのものだった。
『レオナ。貴女に教えたことは、この世界を穿つための手段であって、この世界の理を創り出した私そのものを貫くための力ではない』
冷徹な声が、王都の隅々まで響き渡る。
魔女が指先を弾く。
――次の瞬間、レオナが展開していた七重の防御障壁が、一切の音もなく消滅した。
障壁が砕けたのではない。最初から「そこに障壁は存在しなかった」という事実を、彼女がシステムへ書き込んだのだ。
「っ……!」
レオナは防御も何も間に合わず、衝撃波をまともに受けて弾き飛ばされる。
崩れゆく石造りの塔を背中で受け、血の味を噛み締める。全身の魔力回路が逆流し、内臓が焼け付くような熱を放つ。かつて、お母さんの背中を追いかけて森で戦ったあの日の、数千倍、数万倍の絶望的な差。
これが、縛られなかった母の全力。
これが、この世界の管理者となった「最強」の姿。
『貴女は賢い。私の基礎を応用し、ハッキングという手法で私の理論の隙を突いてきた。だが、その隙間すら、今の私には必要ない』
大奥様は、歩くことさえしなかった。
彼女が杖を一振りすると、空間そのものがレオナを圧殺しようと収縮を開始する。物理的な圧力ではない。概念そのものがレオナというバグを「排除」しようとしているのだ。
「お母さん……っ! ……いいえ、大奥様! 貴女が私を産んだのは、ただのバグとして消されるためだったの!? 私を、この世界を『貫通』する牙として育てたのは、お母さん、貴女でしょう!」
レオナは泥をすすり、血の海の中で立ち上がる。
彼女の瞳には、死への恐怖ではなく、圧倒的な「最強」に対する純粋な渇望が燃え盛っていた。
レオナは全魔力を指先に集中させる。
かつてお母さんに教わった、あの不器用で、真っ直ぐな、そして誰よりも凶悪な一撃。
全属性ハイブリッド、全ベクトル変換、極小精密・全貫通ハッキング・ブレイク。
レオナの持てる全ての演算能力を投入した、彼女の生涯最高傑作の閃光。
「あぁ……そうよ。お母さんがデバフだらけで戦っていた時ですら、私はお母さんの背中に追いつけなかった。……なら、今ここで、完全なお母さんを貫けばいい!」
レオナの指先から放たれた漆黒の光が、空間を裂いて魔女へと向かう。
それは針のような一筋の線だった。だが、その先にあるのは、この世界に存在する「あらゆる障壁」を等しく無効化する、世界の特異点。
大奥様は、それを見て、初めて小さく口角を上げた。
その笑みは、母親としての慈愛か、それとも支配者としての冷笑か。
『愚かな娘。だが、その愚かさこそが、私の証明』
魔女は、防御を張らなかった。
彼女は正面から、レオナの「全貫通」を受け入れた。
――いや、それは受け入れたのではない。
彼女自身が世界の「理」を再編し、レオナの魔法が到達するその一点に、この大陸全土の魔力を結集させたのだ。
衝突の瞬間。
王都という概念が消滅した。
舞踏会場も、学園の塔も、レオナがこれまで足掻いてきた思い出も、すべてが光の奔流の中に溶けていく。
レオナの「全貫通」が、お母さんの胸元へ到達するその一瞬。
レオナは見えた。
お母さんの瞳に映る、自分自身の姿。そこには、ただのバグでも、模倣品でもなく、紛れもなく「お母さん」という名の理不尽を乗り越えようとした、最強の魔女の娘の姿があった。
「お母さん、……私、貴女を……」
言葉は、爆風にかき消された。
最強の貫通魔法同士の激突。それは物理的な破壊などではない。この世界の物語の「結末」そのものを粉砕する、時空の特異点。
レオナの魔力が、お母さんの理に飲み込まれる。
レオナの全存在が、光の粒子となって剥がれ落ちていく。
最後に見たのは、崩れゆく王城の向こう側で、絶望的な形相でこちらに手を伸ばすジークの姿。そして、自分をこの世界から「排除」するために、微笑みを浮かべているお母さんの冷酷な顔。
世界が反転する。
レオナの意識が、深い暗闇の底へと沈んでいく。
彼女の「全貫通」は、ついに貫くことは叶わなかった。
圧倒的な力の差、理の差、そして……「お母さん」という壁の巨大さに、レオナは敗北した。
王都は消滅した。
彼女の足掻いた物語は、こうして強制的に書き換えられた。
意識が途切れる直前、レオナは自分の身体がバラバラに引き裂かれ、時空の彼方へ放り出されるのを感じた。
その痛みすら、もう彼女の意識には届かない。
ただ、暗闇の中で、彼女の魂だけが叫んでいた。
(……負けた。……でも、次は……次は必ず……)
レオナの存在が、この世界から跡形もなく消え去った。
後に残されたのは、静まり返った廃墟と、ただ風が吹き抜けるだけの、空虚な大地だけだった。




