バグを食らう深淵の主――運命を穿つ「全貫通」の刃
アルフレッドという名の「防壁」が崩れ去った瞬間、王都は悲鳴を上げた。
空を覆っていた幾何学模様の光がパラパラと剥落し、その背後から――「深淵」が覗いた。
王城の跡地から立ち上ったのは、空を覆い尽くすほどの漆黒の翼を持つ巨大な獣だった。
かつて辺境の地で、レオナの母が命をかけて封印した災厄。この世界の「理」を乱すものを喰らい、バグを強制的に処理するための、世界最終防衛プログラム――『黒龍』。
「あら。ついに本丸がお出ましね」
レオナは崩れゆく王都の瓦礫の上に立ち、漆黒のドレスの裾を翻した。その表情には恐怖の欠片もなく、むしろ規格外の敵を前にした狩人のような、妖艶で不敵な笑みが浮かんでいる。
「お嬢様、あれは……お母様が最期まで恐れ、守り抜こうとした、この世界の『ゴミ処理機』ですね」
「ええ、見てるわよ、ジーク。随分と仰々しい演出だけど、要は巨大なデータの塊でしょう? 私の貫通魔法の、一番の栄養源になりそうじゃない」
黒龍が咆哮を上げる。周囲にいたエリオットとルシアンが、その咆哮をまともに受けて半透明に透け始めた。
「悪いな、レオナ。……俺の物語はここまでみたいだ。後は頼んだぞ」
「君というイレギュラーに会えて、計算外の刺激を楽しめた。……これは、僕の人生で最も面白いエラーだったよ」
二人は満足げな笑みをレオナに向け、光の粒子となって消えていく。その光景をレオナはどこか遠いものを見るような瞳で眺め、肩をすくめた。
「……随分と潔い別れね。後でルシアンにタスクの続きを投げようと思ってたのに、これじゃあ損害賠償を誰に請求すればいいのかしら」
そう呟くレオナの声音は、あくまでも冷静で、どこか他人事のように響く。彼女が自分の感情を意図的に切り離しているのか、あるいは本当に「他者の献身」の重みを計算外のノイズとしか感じていないのか――ジークでさえ、その真意を測りかねるほどだった。
「お嬢様、彼らの想いは……」
「ジーク。戦場に感傷を持ち込むのは無能のやることよ。彼らも戦士だったなら、死に際くらい自分の役割を全うしたかったんでしょう。……さあ、邪魔者が消えたなら効率がいいわ。早く黒龍の懐に入るわよ」
レオナは黒龍の巨大な頭部を突き抜け、その胸部――システムの中枢が露出する「核」へと向かって突き進んだ。
そこは、無数のコードが渦巻く、この世界の墓場のような場所だった。
黒龍の核が、レオナを認識し、全方位からの圧殺を試みる。
圧倒的な質量と重圧。ジークが黒剣を掲げ、盾となる。先ほどからの激戦で彼の身体はあちこちが透け、消滅の予兆であるノイズが激しく明滅していた。
「今だ、レオナ様!」
ジークが叫び、レオナを突き飛ばすようにして攻撃の軸をずらす。
レオナは迷いなく、両手を核へと突き出した。
指先がコードに触れた瞬間、彼女の脳内にこの世界のあらゆる「台本」が流れ込む。
すべてが作り物だったことを理解し、レオナは冷ややかな溜息を吐いた。
「ああ、本当に安っぽい物語。……でもね、その安っぽさを支えていた貴方たちの『理』、この私がブチ壊してあげる」
レオナの指先から、すべてを無効化する「全貫通」の閃光が放たれる。
パリン、という音と共に、黒龍の核がヒビ割れた。その瞬間、システムが絶叫し、空を覆っていた幾何学模様が物理的なノイズとなって世界中に降り注ぐ。
黒龍の身体は分解され、霧散していく。
静寂が戻った崩壊の地で、レオナはゆっくりと降り立った。
ジークが膝をつき、今にも消えそうな身体で剣を杖代わりにしている。レオナは無造作に歩み寄り、彼の手を引いて立たせた。
「……何か、すごいことをしたみたいね。王都の空が、ずいぶん味気ない色になったわ」
「……お嬢様。貴女が、世界を救ったのですよ」
ジークの言葉に対し、レオナは「ふうん?」と気の抜けたような返事をしただけだった。
彼女はジークの肩にかかったノイズの煤を、まるでただの埃を払うかのように軽く指先で払う。
「救うなんて大層なことは考えてないわ。私はただ、私の邪魔をするプログラムを消去しただけ。……それにしてもジーク、貴方、さっきから随分とフラフラしてるじゃない。せっかく私が勝ったんだから、早くお茶の準備でもしてくれないと困るわ」
彼女はジークが消えかけていることに対して、あえて言及しない。
気づいていないふりをしているのか、それとも本当に、彼が自分のためにどれほどの代償を払ったのかを「ただの使用人の職務遂行」として処理しているのか。
「……はい。お茶、ですね」
ジークが切なげに微笑み、一歩足を踏み出す。レオナは先を行く彼の背中を追いかけながら、誰にも聞こえない声で、ただ一度だけ小さく呟いた。
「……手際が悪いわね。次からは、もう少し長持ちする設定にしなきゃ」
それは彼女なりの不器用な気遣いなのか、それとも次なるハッキングの効率化を考えての独り言なのか。
レオナは不敵に笑い、瓦礫の向こう側へと進んでいく。
彼女が選んだ未来には、相変わらず「絆」という名の甘美な響きは存在しない。けれど、彼女が歩く道が、確かにこの世界を書き換えていく――その事実だけが、冷たく、そして鮮烈に残っていた。




