灰の舞踏会――傲慢なる「理」の破壊
王都の上空に走った亀裂は、単なる物理的な破壊ではなかった。それは、この世界を縛り付けていた「運命」という名の不可視の鎖が断ち切られた音だった。
大広間が跡形もなく崩れ去り、レオナたちは夜の王都の空に放り出された。ジークがレオナの腰を抱き寄せ、魔力の奔流を足場にして宙を駆ける。エリオットとルシアンもまた、それぞれが持つ魔力で空を滑走し、レオナの周囲を護衛するように陣形を組んだ。
眼下に見える王都は、すでに異常事態に陥っていた。
シャンデリアの光が消え、人々の動きが止まった会場とは異なり、王都そのものが「バグの修正」のために強制的に停止させられている。空には巨大な幾何学模様が浮かび、まるで神の指先がこの国の理を再構築しようとするかのように、建物を、道を、人々の記憶を、データとして書き換えようとしていた。
「レオナ、状況は最悪だ」
ルシアンが冷徹な表情で、空中に展開した情報の波を見つめる。
「王都全体が、システムの中枢に取り込まれようとしている。このままだと、明日にはこの国の人々から『レオナ』という存在の記憶だけでなく、彼女に関連する全ての歴史が消去されるぞ」
「消去ね。……いい度胸じゃない」
レオナは冷え切ったアメジストの瞳で、浮かび上がる幾何学模様を見下ろした。
「私というバグを消すために、国ごとリセットするってわけ? まるで、汚れた皿を洗うみたいに」
彼女がそう呟くと、王都の中央にある王城から、巨大な光の柱が昇った。それは、この国の守護を司るという「聖なる加護」の正体であり、システムが生成した最強の防壁プログラムだった。
光の柱からは、無数の光の剣が放たれ、レオナたちに向けて飛来する。
「お嬢様、回避を!」
ジークが黒剣を振り抜き、迫りくる光の剣をすべて弾き飛ばす。しかし、その衝撃は凄まじく、彼の礼服の袖が切り裂かれ、その下からは黒いノイズを纏った傷口が見えた。
「ジーク!」
「……問題ありません。お嬢様、今は攻撃に専念してください」
レオナはジークの肩に手を置くと、不敵な笑みを浮かべた。
「ええ、そうさせてもらうわ。……ルシアン、エリオット。あの光の柱の『核』が見える?」
「ああ。……あそこだ。システムの制御中枢に繋がっている」
エリオットが剣先で指し示したのは、聖なる加護を放つ王城の頂上、玉座の間の上空だった。
「じゃあ、いくわよ。……あそこの防壁、私の貫通魔法で穴を開けるわ。エリオット、そこから侵入してシステムを物理的に破壊して。ルシアン、君は防壁の回路を逆流させて、中のデータを全部私のところに引き寄せて」
「物理破壊ね。了解、一番得意なやつだ!」
「回路の逆流か。……死ぬほどリスキーだが、君がそう言うならやってやろう」
レオナは杖を捨て、両手に真っ白な光を凝縮させた。それは魔力ではない。システムの中枢コードを直接破壊するための、彼女自身の「意志」の結晶だ。
「さあ、舞踏会の続きを楽しみましょうか!」
レオナが叫ぶと同時に、白銀の閃光が放たれた。それは王都の夜空を切り裂き、聖なる加護の光の柱を一直線に貫いた。
キィィィィィィン! という、金属が擦れ合うような嫌な音が王都全土に響き渡る。強固だった防壁に、巨大な穴が開いた。
「今よ!」
エリオットがその穴へ向けて弾丸のように飛び出す。ルシアンもまた、複雑な魔法式を構築しながら後に続く。
レオナとジークは、空中を滑りながら、防壁の向こう側から現れた「排除プログラム」の守護者たち――かつての王国の英雄たちのデータ集合体――と対峙した。
「懐かしい顔ぶれね。……教科書でしか見たことのない人たちが、こんなところで私の警備員をしてるなんて」
レオナは杖なしで、指先から貫通魔法を連射する。彼女の魔法は、英雄たちの鎧を易々と貫き、その後ろにある中枢コードを直接破壊していく。
「お嬢様、少し無理をされていませんか? 魔力回路が悲鳴を上げています」
「関係ないわ、ジーク。……この国の人間が、お母さんに何をしたか、忘れちゃったの? 私はね、まだ彼らに『お返し』を何もしていないのよ」
レオナの瞳から、一筋の黒い涙のような魔力が流れた。それは彼女が抱え続けた、母への愛と、世界への憎悪の混ざり合いだった。
その時、王城の玉座の間から、一人の人影が現れた。
金色の髪をなびかせ、いかにも傲慢そうな笑みを貼り付けた男――王太子アルフレッドだ。
彼は以前、レオナに完膚なきまでに叩きのめされ、学園から追い出されたはずの男だった。しかし、今の彼はシステムに完全に「同期」させられ、その背中からはシステムと直結した無数の光のケーブルが、毒々しく蠢いている。
『……レオナ・フォン・ロゼリア。貴女というバグの存在は、この世界の安定を著しく阻害する。王家に対する不敬、および世界の理への反逆。……ここで完全に消去する』
レオナは冷めた視線を向け、鼻で笑った。
「あら、ごきげんよう、アルフレッド王子。まだ懲りていなかったの? 学園を追い出されたはずの『失敗作』が、今度はシステム直結の『操り人形』として再登場とはね」
レオナの冷徹な言葉に、アルフレッドの無機質な表情がわずかに歪む。
「……貴女のその傲慢さ。あの時と何も変わらない。いや、より一層、排除すべき害悪として洗練されているようだな」
「そうね。貴方が泥水をすすって退学していったあの瞬間から、私の中での貴方の評価は『王国の希望』から『ただのノイズ』に格下げされたから。……さあ、どうやって消去するのかしら? 前回の決闘みたいに、また王冠を泥にまみれさせてあげようか?」
レオナは杖を捨て、黒剣を構える。その姿は、かつて王子の自慢の障壁を「全貫通」で粉砕した時の、あの氷のように冷ややかな支配者のそれだった。
「アルフレッド、勘違いしないで。貴方が神の代弁者気取りで出てきたところで、私にとって貴方は、ただの『邪魔な障害物』に過ぎないのよ。前回は学園の外へ追い出したけれど、今回は……」
レオナはジークの方を一瞥し、妖艶に微笑む。
「この物語そのものから、貴方というノイズを完全に削除してあげるわ」
アルフレッドが激昂し、光の奔流を放つ。しかし、レオナは一切動じない。彼女は王子の魔法回路の継ぎ目、秒単位の揺らぎを完璧に捉えていた。
「全貫通・ハッキング開始。……まずは、そのダサいケーブルから引きちぎってあげる」
レオナの閃光が、アルフレッドの背中のケーブルを根こそぎ粉砕した。システムの中枢と切り離された王子は、糸の切れた人形のように力なく崩れ落ちる。
「ガ、アアァ……ッ!? 貴様、何をした……!」
「何って? 貴方の『正義』のプラグを抜いただけよ。あぁ、残念。貴方の自慢の神の加護も、システムという名の特権も、これでもう全部ゼロね」
かつての「傲慢な王子」の面影は消え、ただの抜け殻のような男がそこにいる。レオナは無表情で、泥に塗れた王子の肩を踏みつけた。
「さあ、見せてあげるわ。魔女の娘が描く、本当の結末を!」
レオナの剣撃が、アルフレッドを支えていたシステムの中枢へと深く突き刺さる。
王都全体を包んでいた光が激しく明滅し、そして全てが沈黙した。
運命という名の鎖は、今この瞬間、レオナの手によって粉砕されたのだ。彼女にとって、王子など単なる「最初の踏み台」に過ぎない。レオナは振り返ることなく、崩れ去る王城を見下ろした。




