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『世界のシナリオにハメられた「黒煙の魔女」の娘、一子相伝の【魔法障壁全貫通】で理不尽な運命もバカ王子もすべてブチ抜く  作者: ルツ


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月の下のワルツ――偽りの幸福、あるいは真実の夜

舞踏会当日の空は、嘘のように澄み渡っていた。王立学園の正門をくぐり抜ける馬車列が、まるで黄金の蛇のように王都のメインストリートを蛇行している。王国の威信をかけたこの夜、舞踏会の大広間は、シャンデリアの幾千もの光で黄金色に塗り潰されていた。

 レオナは、自室の鏡の前で小さく息を吐いた。纏っているのは、深い夜の海をそのままドレスにしたような、漆黒の絹織物。裾には星屑のような刺繍が施され、動くたびに夜空が揺れるような錯覚を与える。それはジークが辺境の村で守り抜いた、亡き母の遺品を彼自身が何日もかけて完璧に仕立て直したものだった。

「お嬢様。……言葉を失うほど、お似合いです」

 後ろから声をかけたジークは、礼服の襟を正しながら、いつも通りの静かな微笑を浮かべていた。だが、その瞳の奥には、レオナを誰にも渡したくないという、微かな独占欲が揺らぎ、消えていく。執事としての規律と、それを遥かに上回る深い情念が、彼の完璧な所作をわずかに震わせていた。

「ジーク、本当にこれでいいの? 私、こういう場所には慣れていなくて」

「レオナ様は、貴女のままでいてください。……そこにいるだけで、他の誰よりも気高く、美しいのですから」

 彼はレオナの髪に、一輪の黒い薔薇の髪飾りを添える。その指先がレオナの耳に触れ、少しだけ熱を帯びた。彼は慌てて手を引き、執事としてのポーカーフェイスを装った。レオナはその不器用な献身が愛おしくてたまらず、思わず頬を緩める。

「ふふ、ありがとう。……さあ、行きましょうか。地獄の入り口へ」

 会場に足を踏み入れると、そこには貴族たちの傲慢な熱気が渦巻いていた。シャンデリアの下、宝石を散りばめたドレスの波が揺れている。レオナの登場は、会場の空気を一瞬で変えた。昨日まで彼女を「異端」と罵っていた者たちも、その圧倒的な存在感の前では沈黙せざるを得ない。

 そんな中、最初に歩み寄ってきたのはエリオットだった。彼はいつも通りの軽薄そうな笑みを浮かべているが、その眼差しにはレオナへの純粋な信頼が宿っている。

「やあ、レオナ。今日の君は戦士の顔じゃないな。……まるで、物語の中の主役だ」

 彼はレオナの前に膝をつき、恭しく手を差し出した。「一曲、お付き合い願えるかな? 舞踏祭のダンス、まだ君には教えてなかっただろう」

 レオナは笑ってその手を取った。エリオットのリードは柔らかく、肩の力が抜けるような優しさがあった。

「君が戦場で見せる厳しい顔も好きだけど、こうして笑っている顔は、もっと最高だよ」

 彼がそう言って微笑むと、周りの令嬢たちからも小さなため息が漏れる。戦場という過酷な現実を共有した二人だからこそ生まれる、信頼のダンス。エリオットはレオナを導きながら、ささやいた。「君が何をしようとしていても、僕はずっと君の味方だ。……たとえ世界が敵に回ってもね」

 エリオットとのダンスが終わると、今度は少し離れた場所から、学園でも一二を争う秀才であり、レオナの良き理解者でもあるルシアンが歩み寄ってきた。彼は冷静沈着な眼鏡の奥に、知的な光を宿している。

「レオナ。君がこの場にいること自体が、この国の常識に対する最大の反逆だな」

 ルシアンは少しだけ口角を上げると、レオナを誘った。彼のダンスは驚くほどに論理的で、美しい。

「君の貫通魔法を初めて見た時、僕は理解したよ。君は壊すんじゃない。この退屈な世界に風穴を開けようとしているんだと」

 ルシアンのステップは、まるで数学の方程式のように無駄がなく、レオナを心地よくリズムに引き込んだ。「君が道を見失いそうになったら、いつでも僕が地図を書き直してあげる。……僕も、君の描く未来が見てみたいから」

 続いてレオナを誘ったのは、オスカーだった。白い軍服に身を包んだ彼は、誰もが認める学園の王子様だ。

「君の強さは認める。だが、今日は一人の令嬢としてエスコートさせてほしい」

 オスカーのリードは、騎士道精神そのものだった。厳格で、しかしどこまでも清廉。二人のステップは周囲の貴族たちを魅了し、彼らは昨日までのわだかまりを忘れ、この「番狂わせの勝利者」の優雅さに感嘆の声を上げる。

「君は、僕が騎士として守りたかった理想そのものだったのかもしれないな」

 オスカーは少しだけ寂しそうに笑った。レオナもまた、彼という存在が、この閉ざされた学園でいかに孤独であったかを理解する。二人のダンスは、互いの背負う重荷を、ほんの一瞬だけ分かち合うための儀式のようだった。

 舞踏会も半ばを過ぎ、会場の喧騒から逃れるように、レオナはテラスへと向かった。そこには、静かな月光が降り注いでいる。ドアが開く音。足音。振り返るまでもなく、それが誰かは分かった。

「……お疲れ様でした、お嬢様。エリオット様、ルシアン様、オスカー様とのダンス、見事でした」

「ジーク。……あそこは窒息しそうだったわ。誰も彼も、シナリオ通りのセリフしか吐かない人形みたいで」

 レオナは手すりにもたれかかり、遠くの街明かりを見つめる。ジークは彼女の隣に並び、銀の盆から冷えたグラスを差し出した。

「お嬢様。……最後に、私と踊っていただけませんか?」

 レオナは目を見開いた。社交界のルールを破る行為だ。それでもジークは、揺るぎない眼差しでレオナを見つめている。

「社交界の作法などは学んでおりませんが。ただ、貴女をリードし、守るための歩法なら、誰よりも心得ています」

 レオナは、その差し出された手を取った。それは硬く、傷だらけで、けれどこの世界で一番温かい手だった。

 音楽はない。月明かりだけが、二人の舞台を照らしている。

 ジークのリードは、エリオットの優しさとも、ルシアンの知性とも、オスカーの厳格さとも違った。それは、戦場で互いの命を預け合うような、切迫した調和。二人の呼吸が重なり、影が夜の闇に溶けていく。

「……ねえ、ジーク。私、この世界が好きになれるかもしれない。貴方がいて、仲間がいて……こんなに温かい夜があるなら」

 レオナの言葉に、ジークの動きがわずかに止まった。彼はレオナの腰を抱き寄せ、耳元で静かに囁く。

「……そう思わせるほど、貴女がこの世界を歩いてきたからです。私は、貴女のその強さを、誰よりも誇らしく思っています」

 ジークの瞳に、かすかな迷いと、あふれんばかりの情愛が見えた。彼は執事の仮面を脱ぎ捨て、一人の男としてレオナを見つめている。レオナもまた、彼を「幼馴染」以上の存在として意識せずにはいられなかった。

 このまま、夜が明けなければいい。テラスの向こうで、大広間の喧騒が続いている。だが、この月明かりの下にいる二人には、無縁の世界のように思えた。

 二人は、月夜の下で夢のような時間を紡いでいた。だが、レオナの視界の端で、夜空の色がわずかに変色し、時計の針が逆回転するようなノイズが走った。

 二人はそれに気づかない。この小さな幸福が、これから訪れる悪夢への「最後の晩餐」であることも知らずに。明日、光は闇に食われ、世界はシステムという名の冷酷な「理」によって、すべてをリセットしようとしている。それでもレオナは、今この瞬間だけは、誰よりも幸せな令嬢として、ジークの腕の中で踊り続けた。

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