システム・オーバーライド――幸福の終わる場所
大広間の空気は、依然として華やぎを保っていた。しかし、テラスでジークと踊り終え、会場へと戻ったレオナの胸中には、言いようのない寒気が走っていた。
会場に足を踏み入れた瞬間、時が止まった。シャンデリアの光が、異常なほど鋭く、針のように降り注ぐ。楽団の奏でるワルツは、先ほどまでの優雅さを失い、同じ旋律が執拗なまでに繰り返されている。
「……ジーク。嫌な予感がするわ。この曲……数分前から、一度も拍子が変わっていない」
ジークは即座にレオナの背後に立ち、燕尾服の裏に隠した黒剣の柄へと手をかけた。紫の瞳には、一切の迷いのない殺気と、レオナを守るという揺るぎない覚悟が宿る。
「ええ。音楽がループしています。貴族たちの動きも……先ほどから同じ動作を繰り返している。気づいてください、レオナ様。この会場全体が、まるで――」
言葉の途中で、広間の中央で談笑していたはずのオスカーが、ふっと表情を消した。エリオットも、ルシアンも、周囲の令嬢たちも、一切の動作を停止させる。
それは人形が電源を落とされたような、あまりにも不自然な静寂だった。
次の瞬間、全員が一斉に首を――180度、カクンと折れ曲がるような不自然な角度で――レオナの方へと向けた。
『特異点レオナ・フォン・ロゼリア。メインシナリオ・進行率99.9%。これより、物語の瑕疵を排除する。世界再構築フェーズへ移行』
広間の床の大理石が砂のように砕け散り、そこから真っ黒なデジタルノイズが噴出した。ゲストたちの身体は透明なポリゴンへと分解され、再構成されていく。そこにはもう人間はいない。ただ、プログラムされた「排除命令」だけが動く軍勢がいた。
「バグ、削除シマス」
オスカーが聖剣を突き放つ。しかし、その刃がレオナに届くことはなかった。
「おいおい、勝手に友達を消そうとするなよ、この無機質なプログラム野郎が!」
エリオットが華麗なステップでオスカーの剣を弾き飛ばし、ルシアンが冷静に魔導障壁を展開する。
「レオナ、驚かせてすまない。だが、僕たちの意識は……この狂ったシステムの中にあっても、君との絆だけは消せなかった」
「君がこの世界で示した『強さ』という変数が、僕たちの論理回路に干渉したらしい。……レオナ、ここは僕たちが時間を稼ぐ。君は中枢を叩いてくれ!」
ルシアンが冷徹な瞳で宙に魔法式を描く。
「エリオット、敵の動きを僕の解析通りに誘導する。レオナ、君はジークと共に突破口を開け!」
ジークがレオナの前に立ち、黒剣を抜いた。
「お嬢様、道は開かれました。……情けをかける必要はありません。彼らは、貴女の物語を奪おうとする残滓に過ぎない!」
レオナは杖を空中に投げ放ち、フッと不敵な笑みを浮かべた。そのアメジストの瞳は、絶望の赤に染まる会場で、氷のように冷たく、かつ燃えるように輝いている。
「分かってるわ、ジーク。……へえ、シナリオ通りの結末に押し込めようってわけ? 随分と乱暴な編集ね。でもね、私の物語に勝手な赤ペン入れないでくれる?」
レオナは両手で空間を掴むような所作をとった。指先が、空中に浮かぶ魔法式を強引にハッキングしていく。
「この世界は、お母さんが生きて、私が生きて、ジークがいて、皆と笑い合った……紛れもない『現実』よ! シナリオなんていう安っぽい檻に、私たちの時間を支配させようなんて……一万年早いのよ!」
レオナの魔力が、会場の赤い照明を圧倒するほどに輝きを放つ。彼女はすべての魔力を「一点突破」へと集約させ、この世界の心臓部――システムの中枢へと向けて、禁忌の貫通魔法を放とうとしていた。
「ルシアン、座標を!」
「……右前方、層の薄い場所だ。そこを貫けばシステムの根幹に届く!」
「エリオット、護衛を!」
「任せろ!」
二人の友が猛攻を凌ぐ。彼らの連携は完璧だった。友情という絆だけが、支配を拒絶し、レオナの戦いを支えていた。
「ジーク、私の背中を貸して!」
「心得ています! 私の魔力も、命も、すべて貴女の剣に捧げましょう!」
ジークがレオナを支え、自らの全魔力を注ぎ込む。レオナの魔力が、ジークの武技と共鳴し、見たこともない白銀の光となって炸裂した。
システムが悲鳴を上げるような電子音が会場に響き渡る。舞踏会の幸福な夜は、完全に崩壊した。
レオナは不敵に髪をかき上げ、理不尽な物語の結末を、その手で書き換えるために、世界そのものを穿つ。
「見てなさい。私の意志が、この世界の新しいルールになるわ。……せいぜい地獄で、自分の書いたシナリオが灰になるのを見届けることね!」
白銀の閃光が突き抜けた先には、冷酷な神の視線のようなものが揺らいでいた。世界が断末魔を上げる中、レオナと仲間たちは背中合わせになり、押し寄せる無数の偽物たちを見据える。
かつての日常は終わり、ここからが、本当の戦いの始まりだ。
崩壊する会場の中で、ジークはレオナの細い腰を強く引き寄せ、仲間たちがその周囲を固める。
「お嬢様、最後までお供します」
「僕たちもだ。レオナ、物語の続きは、僕たち自身の手で書こう」
光がすべてを飲み込んでいく。壊してやる。私をバグと呼ぶこの理不尽な物語の、その続きを、私の手で紡ぐために。二人の絆と、仲間たちの誓いが、唯一の現実として輝いていた。




