研究室の熱量と、小さな温度
放課後の王立学園。ルシアンが管理する研究室は、魔導書と実験器具が散乱する異様な熱気に満ちていた。
「レオナ様、こちらの魔力解析結果ですが……」
ルシアンは寝不足で充血した琥珀色の瞳をレオナに向け、熱っぽく語りかける。彼の手には、レオナが指示した「学園の不浄な障壁」のデータがある。
「この解析、君の思考回路をそのまま写したみたいで……素晴らしい。君の頭の中を覗いているみたいで、ゾクゾクするよ」
「……そう? 効率化のために手順を最適化しただけよ。あと、その眼差し、少し気持ち悪いからやめてくれる? データの解析速度が落ちるわ」
レオナは表情ひとつ変えず、ルシアンの情熱的なアプローチを「ただの雑音」として切り捨てる。ルシアンは『そんな無自覚な拒絶すら美しい……!』と勝手に恍惚とし、レオナはその様子を『……どうしてこの人、いつもこんなに顔色が悪いのかしら。栄養が足りてないのかしら』と、純粋に健康状態を懸念するだけだ。
「そういえば、ルシアン。このデータの中に、王国の最高峰聖騎士の魔力シグネチャーの痕跡はある?」
「……え? 聖騎士? まさか、かつての最強騎士団長……?」
「ええ。お母さんが最期に遺した言葉に、あの人の名前があったの」
レオナが何気なく呟いたその名前。ルシアンは、レオナが珍しく「個人の私情」に踏み込んだことに驚き、そして胸の奥に鋭い棘が刺さるのを感じた。レオナが自分以外の誰かに興味を持っている。その事実に、彼は言いようのない焦燥を覚える。
「……探してみるよ。君が望むなら、地の果てまで追いかけて記録を見つけ出す」
「助かるわ。これでまた一つ、私のやるべき『タスク』が終わる」
レオナはふわりと微笑んだ。
それは、母親譲りの妖艶な美しさを宿した、計算のない純粋な笑顔。
ルシアンはその一撃で完全に撃ち抜かれ、腰から力が抜けて椅子にへたり込んだ。
「……あぁ、本当に。君は僕をどこまで狂わせれば気が済むんだ」
「え? 何か言った?」
「……何でもない。……君のタスク、すぐに完了させる」
ルシアンは血を吐くような思いで、レオナのために再びペンを走らせる。
その横顔を、レオナは少しだけ不思議そうな顔で見つめた。お母さんからは「魔法は合理的に使うもの」と教わってきた。でも、今のルシアンを見ていると、魔法そのものよりもずっと複雑な「熱」が、彼の身体から溢れ出しているのを感じる。
「……ルシアン」
「ん? なんだい、レオナ様」
「貴方、さっきから顔色が悪いわ。……はい」
レオナは無造作に、自分の鞄から小さく包まれた干し肉を取り出し、ルシアンの机に置いた。
「これ、辺境の村でジークが作ってくれたもの。噛めば噛むほど味がして、元気になるわよ。……タスクをこなすための、栄養補給として食べておきなさい」
「……っ!」
ルシアンの琥珀色の瞳が大きく見開かれる。
レオナは「別に貴方のために用意したわけじゃないわよ、私の予備なの」と付け加え、素早く視線を魔導書へ戻した。耳が、わずかに紅潮しているのを隠すように。
ルシアンは震える手でその干し肉を掴み、宝物のように握りしめた。
「……ありがとう。レオナ様。これ、一生かけても食べられないくらい、最高の味がするよ」
「……意味不明。たかが干し肉よ」
レオナはぶっきらぼうに言い捨てたが、その口元は、普段の「スン……」とした表情よりも、ほんの少しだけ柔らかくほどけていた。
(……不思議。お母さん以外の人に何かを渡して、お礼を言われるのが、こんなに『温かい』ことだなんて)
その様子を、研究室のドアの隙間からジークが冷ややかな視線で見つめていた。だがその目は、レオナの小さな変化を誰よりも鋭く捉えている。
(……お嬢様が、誰かに自分から何かを分け与えるなど。……ルシアン様、貴方はラッキーですね。ですが、その干し肉の出所が私である以上、感謝すべき相手は私です)
ジークは心の中で複雑な嫉妬を燃やしながら、それでもレオナが笑ったことに安堵していた。レオナが人間らしくなっていくことは、彼が望んでいたことでもあり、同時に、彼だけが持っていた「レオナの全て」という独占的な領域が侵食される不安でもあった。
レオナは知らない。
自分が無意識に見せたその「デレ」が、学園の猛者たちをさらに深く沈めていくことを。
そして、彼女が学ぼうとしている「感情」の果てに、どのような運命が待っているのかを。




