泥の聖女と、静寂の学園
大演習場を支配していたのは、圧倒的な静寂だった。
砂煙が舞い、その中心で第一王子アルフレッドが、泥だらけの情けない姿でうずくまっている。自慢の『絶対聖障壁』――王家の血筋のみが扱えるとされる、神の加護を受けた鉄壁。それが、レオナが放ったたったひとつの「初級・風弾」によって、飴細工のように砕け散ったのだ。
「……は? 嘘だろ」
誰かの間抜けな声が響く。だが、レオナはそんな周囲の驚愕など気にも留めず、泥にまみれた王子の顔を、まるで落ちている小石でも見るような無関心な瞳で見下ろした。
「なに、そんなに驚くこと? 貴方の障壁の魔力回路、構成の継ぎ目があちこちスカスカだったわよ。……あと、その泥。制服につくと落ちにくいから早く立った方がいいわよ。掃除は私のタスクに含まれていないから」
「き、貴様……っ! この私が……このルミナスの血を引く私が、平民の不浄な魔法なんぞに……!」
アルフレッドが逆上し、泥のついた手で地面を叩く。その姿は、かつてレオナが前世の知識で見た「王子様」の面影など微塵もない、ただの聞き分けの悪い子供だ。
「ジーク。この人、まだ暴れるみたい。退学届、持ってる?」
「ええ、もちろん。お嬢様が王子を粉砕する瞬間に、学園長へ提出する根回しと、今後の賠償金請求に関する法的書類をまとめておきました」
ジークがいつもの無表情で、懐から分厚い封筒を取り出す。彼は王子には目もくれず、レオナの制服についた塵を丁寧に払った。
「……はい? それ、何の話……?」
アルフレッドの取り巻きたちが、ジークのあまりの手回しの良さに腰を抜かす。
レオナは満足げに頷くと、踵を返した。
「帰りましょう、ジーク。お母さんの形見の魔導書、今日の続きを読みたかったの。……あ、晩御飯のメニューは、ポチが狩ってきた魔獣のローストでいいわ。香草を多めに使って」
「承知いたしました。ルシアン様たちが先ほどからこちらを熱い視線で見つめておりますが、無視してよろしいですね?」
「ええ。彼らは『徹夜タスク』の進行状況を確認しているだけでしょうから、ほっておいて」
二人は周囲の凍りついた空気を背に、堂々と演習場を後にした。
彼らにとって、王子のプライドを破壊することは「帰路の途中で石ころを蹴った」程度の些事に過ぎない。
その夜。学園の図書室で、レオナは一人、魔導書を開いていた。
「……障壁の解読は終わり。次は、この国の『世界のシナリオ』に組み込まれている、強引な魔力供給ラインを遮断する方法ね」
指先で虚空をなぞると、空間に無数の光の糸が浮かび上がる。
それはこの学園、ひいてはこの国を維持している「世界の加護」という名の魔力回路だ。
レオナはそれを、まるでパズルのピースを外すように、指先で軽やかに解いていく。
「お母さんを陥れた黒幕たち、楽しみね。貴方たちが信じている『正義』の結界が、明日には全部音を立てて崩れるんだから」
少女の唇に、ふっと冷ややかな笑みが浮かぶ。
それは、魔女の娘だけが持つ、美しくも残酷な「貫通」の始まりだった。




