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第6話「ひび割れた空間」

 王宮の最上階、再現された診察室は、外の世界から切り離された「無の空間」だった。

 

 ミゼリ・ラトランドによって与えられた贅沢な食事と、静寂。腹部の刺し跡は、時折疼くような熱を放つものの、彼女の「献身的な看護」によって、僕の肉体は緩やかに異世界の理に馴染みつつあった。

 

 だが、その平穏は、窓の外から聞こえてきた異質な「音」によって破られる。

 

 ――ガシャン、と。

 

 何かが砕ける音。続いて、獣のような、低く濁った唸り声。

 バルコニーから階下の練兵場を見下ろすと、そこには数人の騎士に取り押さえられた一人の少年兵の姿があった。

 

「離せ……離せよ! あいつが、あいつが俺の……!」

 

 少年は泡を吹き、白目を剥いて暴れていた。その周囲には、ミゼリが放ったと思われる淡い光の粒子が、雪のように舞っている。

 

「魔力暴走ですね。……お気の毒に。心が壊れかけて、解呪の魔法すら受け付けなくなっている」

 

 いつの間にか背後に立っていたミゼリが、退屈そうに呟く。彼女が指をパチンと鳴らせば、あの少年の「痛み」は無理やり引き抜かれ、彼は微笑む人形へと作り替えられるだろう。

 

 前世での、あの日々がフラッシュバックする。


 薬物で感情を塗り潰し、個性を失くして「扱いやすい患者」に仕立て上げる――僕がかつて否定し、戦ってきたはずの、古い精神医療の光景そのものだった。

 

「待て、ミゼリ。……あれは『魂の殺害』だ。君のやり方では、彼は二度と自分を取り戻せない」

 

「でも先生、放っておけば彼は周囲を焼き尽くして死ぬだけですよ?」

 

 僕は彼女の制止を振り切り、バルコニーから駆け下りた。

 

 練兵場に辿り着くと、少年の魔力は黒い霧となって膨れ上がっていた。騎士たちが恐怖で手を離す。僕はその霧の中に、迷わず飛び込んだ。

 

「落ち着け。僕の声を聞くんだ」

 

 少年の肩を強く掴み、視線を合わせる。瞳孔は散大し、焦点は合っていない。典型的なパニック状態、あるいは急性ストレス反応か。

 

「……地面を、踏みしめるんだ。硬い土の感触を感じろ。次に、自分の呼吸の音を聞け。吸って、吐いて。……君の指は、今、僕の腕を掴んでいる。その熱を感じるか?」

 

 前世で何度も繰り返した『接地法グラウンディング


 五感を通じて「今、ここ」の現実に意識を繋ぎ止める技法。魔法による強制的な去勢ではなく、本人の自律神経を呼び覚ます、地道で、泥臭い「対話」だ。

 

 少年の荒い呼吸が、次第に規則正しいものへと変わっていく。黒い霧が霧散し、彼の瞳に、湿った生きた輝きが戻った。

 

「あ……ああ……。俺は、俺は……」

 

 少年兵はそのまま僕の胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。解呪されず、自らの「悲しみ」を保ったまま、正気を取り戻したのだ。

 

 周囲の騎士たちが、奇跡を見るような目で僕を見つめている。

 

「……素晴らしい。先生の『魔法』は、本当に優しくて、残酷ですね」

 

 背後で、ミゼリが小さく溜息をつく。

 

 僕は、自分の手に残る少年の涙の熱に、言いようのない高揚感を覚えていた。


 ミゼリの支配が及ばない領域。僕の言葉だけで、この世界の狂気を書き換えられるという確信。

 

 救世主としての、再始動。

 

 だが、僕はまだ気づいていなかった。

 少年の瞳に宿った、僕への「盲目的な信頼」という名の、新たな依存の萌芽に。

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