第7話「聖者の行進」
少年兵を救ったという噂は、王都の静寂を破る一滴の劇薬だった。
「新しい救世主がいる」
その噂は瞬く間に広がり、翌朝には王宮の広場に数百人もの民衆が押し寄せていた。彼らは皆、自らの内に膨れ上がる「魔力暴走」の兆候に怯え、ミゼリの魔法によって感情を抜き取られ、白痴のような人形になることを恐れる者たちだった。
「先生。ずいぶんと大掛かりな『集団療法』になりそうですね」
バルコニーから広場を見下ろす僕の背後で、ミゼリが楽しげに微笑む。彼女は自分に向けられるはずだった民衆の視線が僕に奪われているというのに、嫉妬するどころか、嬉しそうに目を細めていた。
「……彼らを、広場へ通してやってくれ。僕が診る」
「ええ、もちろん。先生が望むなら、この国すべてをあなたの『箱庭』にして差し上げます」
広場に降り立った僕を、民衆はすがるような目で見つめた。
僕は前世の心理学理論をフル回転させ、彼らのトラウマと不安の構造を瞬時に分析していく。一人ひとりの目を見て、認知の歪みを解きほぐし、彼らが抱える恐怖が「ただの過去の影」であると言い聞かせる。
「大丈夫だ。君の怒りは正当なものだ。だが、それに飲み込まれる必要はない。……僕が、君の痛みを理解している」
その言葉に乗せた微かな魔力が、彼らの精神の「重り」となって定着する。僕の語彙は、彼らの散散に砕け散りそうな自我を繋ぎ止める、絶対的な楔として機能した。
次々と運び込まれる「患者」たち。数十人の暴走状態にあった民衆が、僕の言葉一つ、指先の動き一つで、憑き物が落ちたように穏やかな涙を流し始める。
「おお……賢者様……!」
「セト様、あなたこそが真の救済者だ!」
数十人が同時に膝をつき、地鳴りのような歓声と共に僕の名を呼んだ。額を石畳に擦りつけ、僕の衣服の裾に触れようと手を伸ばす。
その光景を見下ろした瞬間。
僕の背筋を、氷のように冷たく、そして焼けるように熱い「何か」が駆け上がった。
視界が明滅し、脳の奥底から甘い麻痺が広がっていく。
それは、彼らが救われたことへの安堵などではない。他者の人生を、精神を、僕という存在の指先一つで完全に作り替えてしまったという、生理的な全能感だった。
跪く彼らの瞳には、かつての自立した輝きはない。ただ「僕がいなければ明日も正気を保てない」という、無防備で純粋な依存だけが淀んでいる。
――ああ、なんて美しい景色だろう。
僕は気づいてしまった。
僕は彼らを「救いたかった」のではない。自分という存在に縋り付き、僕の言葉なしでは呼吸すらできなくなる、この「無力な瞳」が見たかったのだ。
「……お見事です、先生。とっても素晴らしい『信頼関係』の構築ですね」
傍らに立つミゼリが、僕の耳元で甘く囁く。
彼女の吐息が、僕の内に芽生えたおぞましい支配欲を、優しく撫で上げた。
恐怖と、それに勝る圧倒的な法悦。
僕は、自分の微笑みが、かつて前世でミゼリを狂わせた「加害者」のそれと全く同じ形に歪んでいることに、もう気づけなくなっていた。




